第2回 食の外交官―これから公邸料理人を目指す人へ―後編
チャンカカ(黒糖)のアイスクリーム

前回に続き、前ペルー公邸料理人、野口修平・奈美夫妻へのインタビュー。(社)国際交流サービス協会(以下:協会) のサイトによると、独身・単身者が8割を占める公邸料理人。しかし、野口さんは妻・奈美さんを帯同しての赴任だ。今回はまず奈美さんにお話を伺い、野口さんには仕事のやりがいと具体的な問題点を語っていただいた。

 ▼奈美さんへの質問です。奈美さんはパティシエと伺っていますが?

結婚前にいたのはホテルやレストランのサービス部門で、料理は専門ではありませんでした。ただ主人の採用が決まった時、自分の経験を活かしたサポートができたらいいなと思ったんです。それに前々からお菓子作りに興味があったので、リオデジャネイロ時代に本やネットで勉強しました。そのうち私のお菓子をお出しする機会も少しずつ出てきて。もっと本格的な勉強をしたいと、リオから日本に戻った後地元のお菓子屋さんで勉強させてもらったんです。

 ▼自分のキャリアが途切れる不安は?また専業主婦としてのんびり暮らす道もあったのでは?

私自身もいつか海外で生活してみたかったし、さっきもお話したように、新しいステージで彼をサポートしたいという想いもあったので、キャリア云々はまったく考えなかったですね。おかげさまでリオの時はボランティアでしたが、ペルー着任時は調理補助として登録してもらうことができ、結果として自分もパティシエという道を歩みだすことができました。

夫が公邸料理人、妻がパティシエとして契約している人もいるそうですが、それだと何かと拘束されてしまうので、私の場合は設宴でデザートを担当したら1日いくらという形にしていただきました。頑張った分はちゃんと評価してもらえるし、自由な時間は語学学校に通ったり、駐在員の奥様方とランチを楽しんだりと、プライベートも満喫しましたよ。

 ▼ちなみに名物スイーツはできましたか?

リマでチャンカカ(黒糖)のアイスを作ったんです!ペルーにはこんなに美味しい黒糖があるのに、そのアイスクリームはないんですよね。日系人スタッフにも聞いたけれど、誰も食べたことがないって。試食してもらったらすごく好評だったので、これはぜひペルー大使館の定番にして欲しいなぁって思います。

 ▼夫婦喧嘩はしない?

大使に雇われているとはいえ、自分たちですべてを采配しなきゃいけないから自営業と同じ。日々の仕事に影響があってはいけないので、喧嘩なんかできません。というか私はいつも臨戦態勢なんですが、この人(修平さん)は本当に愚痴を言わないし、怒らない人なんですよね。私が「ぎゃー!」って感じでも、彼が受け流しちゃうので喧嘩にならなくて。私たちは籍だけ入れてすぐ海外に出たので、この10年間24時間ずっと一緒だったんですよね。この後日本に帰ったらどうなるかなぁ……。

 ▼夫・野口さんにお伺いします。夫婦での赴任はいかがでしたか?

公邸料理人には研修期間などないので、着任したその日から1人で現場を仕切っていかなければなりません。右も左もわからない異国の地で単身でやっていくには、相当タフな精神を持ち合わせていないと辛いでしょう。なので彼女のサポートは本当にありがたかったです。

実はリオデジャネイロから戻った後に次の面接を受けたんですが、夫婦での赴任を希望したところ不採用になりました。雇用側にしてみれば、1人より2人のほうが何かと出費がかさみますからね。でも、ぼくたちの最初の雇用主である福川氏ご夫妻は「家族で赴任するほうが料理人は精神的にも安定し、仕事の質も向上するのでは」というお考えで、だから彼女(奈美さん)を連れていけたんです。

現地でのストレスから、任期半ばで帰国してしまった単身の料理人さんも少なからずいるという話を耳にしたことがあるので、ぼくたちは本当にラッキーでした。これから公邸料理人と契約するという公館長の方々にも、ぜひそのあたりの事情をご理解いただけたらなって思います。

 ▼やはり向き不向きがある?

最終的には個別事情でしょうが、短気な人は向かないと思いますね。あとは何といっても忍耐力。すべて自分で判断しなければなりませんが、小さなこと1つとっても日本とは勝手が違います。ぼくは南米での勤務ですが、とにかくすべてがルーズなので、いちいち怒っていては身体が持ちません。とにかく理不尽なことにも耐えられるか、少しでも早くその環境に順応できるかどうかだと思います。

 ▼でもやりがいはありますよね?

やりがいはありますよ!なんといっても“自分の料理”を提供できるんですから。メニューから買い出し、仕込み、調理やサービスまで全工程を自分自身で考えることが一番の楽しみでした。そんなこと雇われでは絶対できないし、将来自分の店を持ちたいという人にはとてもいい経験になります。また普通ならまずお会いできないようなお客様にも、自分の料理を召し上がっていただくことができました。皆さまに評価いただいたことがとても大きな励みになったし、次の創作意欲にも繋がりました。

もう1つは現地の食文化に触れられることでしょうか。単なる旅行ではなかなか出会えない料理や食材を知り、味わうことができましたし。「いつかは自分の城を」という人には本当にオススメですよ。

 ▼昨年認定された「優秀公邸料理長」の称号(※)も、独立後のPRポイントになりますね。

ありがとうございます。あれは大使を始めとする大使館の方々の推薦と、設宴の回数なんかで決まるそうですが、実際にはそれをお膳立てしてくれる人がいないとなかなか難しいようです。私の時もその手筈を整えてくれた人のおかげで皆さんの推薦に繋がったわけですし、周囲に恵まれました。

※優秀かつ貢献度が高いと認められる公邸料理人に対し贈られる外務大臣表彰

 ▼日本に戻ったらまず何を?

しばらくは身体のメンテナンスに集中したいですね。人間ドックにも行きたいし、とにかく歯を治療したい。落ち着いたら地元の栃木か横浜(奈美さんの実家)で、自分の店を持ちたいですね。

 ▼苦労はあれど、仕事のやりがいは大きい公邸料理人。これまでのお話だと、なぜそこまで人材不足なのかと思ってしまうのですが?

まず公邸料理人という仕事についての情報が少ないですよね。この仕事に就くには協会に登録するしかないのですが、そもそもその存在自体が知られていない。

そして何より、社会保障がないのが大きいです。個人契約なので雇用保険がなく、帰任しても失業保険がありません。日本の健康保険はないから一時帰国中に歯医者もいけませんしね。だからぼく自身も7年ぶりのメンテナンスというわけです。

あと元の職場に戻れる可能性もほぼありません。ぼくはシェラトンの料理長にお願いして運良く戻ることができましたが、それでも契約社員でしたしね。一匹狼で自由にやってきた料理人を、簡単に受け入れてくれる組織はそう多くないですよ。

 ▼人材不足を補う手はないのでしょうか?

今はFacebookに「チーム公邸料理人」という非公開グループがあって、そこで情報交換できるようになりました。OB会はないので、昔の料理人たちとはなかなか連絡が取れないけれど、現役と、これからやってみたいという人たちでやり取りしています。個人契約なのでどうしても雇用する側が強くなってしまいがち。現地でのストレスだけでなく、中には大使と反りが合わず途中で帰ってしまった人もいます。でもそれじゃいい料理なんて絶対作れませんからね。

またこれまで協会は「斡旋したらそれで終わり」でしたが、ボリビアの元公邸料理人がかけ合って、帰国後の仕事探しをサポートする動きもでてきました。将来の不安を少しでも取り除かないと、希望者は増えません。

 ▼少しずつ改善はされているのですね?

いえ、それでもまだ不足しているようですね。登録者がいても、希望任地が先進国ばかりじゃしょうがないし。希望者のいない国には、タイ人の公邸料理人を連れていくようです。タイ人がだめというのではないけれど、なんかちょっと違いますよね。

公邸料理人帯同制度を実施しているのは日本と中国、あと本当に僅かな国だけです。でも食は外交の要だし、ぼくは素晴らしい制度だと思うんですよ。だからこそこれから公邸料理人になりたいという人たちを、どうにか応援したいんですよね。

通算して10年、長きに渡り日本の外交を料理の面から支え続けた野口さん。本帰国後は友人や元同僚を訪ねたり、気になる店を食べ歩きつつ、夢の実現へ向けて歩みだしている。

今回のインタビューは、野口さんの「公邸料理人という職種をもっと広く知ってもらいたい。これからこの仕事に就こうという人の疑問や不安を少しでも取り除きたい」という気持ちから実現したもの。興味のある人は(社)国際交流サービス協会や、Facebookの「チーム公邸料理人」にぜひ問い合わせて頂きたい。未来の食の外交官たちにとって、少しでも参考になれば幸いだ。

原田慶子(はらだ・けいこ)/プロフィール
ペルー・リマ在住フリーランスライター: 2006年来秘、フリーライターとしてペルーの観光情報を中心に文化や歴史、グルメ、エコ、ペルーの習慣や日常などを様々な視点から紹介。『地球の歩き方』ペルー編・エクアドル編、『今こんな旅がしてみたい(地球の歩き方MOOK)』ペルー編、『トリコガイド』ペルー編、共著『値段から世界が見える!日本よりこんなに安い国、高い国』ペルー編、『世界のじゃがいも料理』ペルー編取材・写真撮影など。ウェブサイト:www.keikoharada.com