第26回 消えゆくサフランを記憶する世代

サフランを料理に使ったこと、ありますか? 

スペインを代表する料理パエリアのお米の色と言えば、黄色。サフランを使うと、その色が出るのです。でも「どうやって使うの?」と思う方もいらっしゃるかもしれませんね。

サフランは花のめしべ。チェリートマトと比べるとその繊細さがよくわかる。

サフランが詰まった瓶のふたを開けると、お腹の底までスーッと通る爽やかな香りが広がります。そこから細くて赤い糸のような サフランを数本つまむのは、繊細を要する作業です。少しでも濡れた指に触れると、乾いたサフランが水分を吸い、他のサフランまで濡れてしまうし、鮮やかなオレンジ色の液体も広がってしまうのです。私の場合、妹にウィンナーと呼ばれたこともある太い指で数本つまむ器用な技は不可能ゆえ、箸を使います。料理用ピンセットがあれば、それが一番いいかもしれません。そうして、例えば、お米を浸けてある水に入れたとしましょう。

水の中でサフランは、鍋の中で楽しそうなおしゃべりを始めるかのように、ゆらりゆらり揺れながらお米の上に落ちていき、周囲をやわらかな黄色に変えていきます。私は魔法の杖を回すようにオリーブオイルを振りかけ、塩を少々撒いて蓋をしめ、着火。十数分後に火を止めて蓋を開けると、サフランの香り漂う柔らかな黄色いご飯が炊き上がっているというわけです。

そんなサフランですが、実はスペインでは絶滅寸前の農産物です。

サフラン農家が減ったから、主婦たちがビタミンベースの安い着色料を使うようになったのか。そんな着色料が発明されたからサフラン農家が減ったのか。どっちが先かはわかりません。加えて、今は安価な外国産もスーパーに並ぶ始末。スペイン産はもはや貴重品なのです。

風車の並ぶコンスエグラの高台は、ラ・マンチャ地方の人気観光地。

サフランの生産地として有名な村が、私が住むトレド周辺にいくつかあります。中でもトレドから60㎞ほどの所にあるコンスエグラは、小高い丘の上に残る古城とその横に何基も並ぶ風車のおかげで、毎日何十台も世界中の観光客を乗せたバスが訪れる名所です。風車の立つ高台から見える景色は、見渡す限りの大地と地平線と天空だけ。

その大地が紫色に染まる10月になると、サフラン祭りが開かれます。村中の生産者たちが、自慢の紫の花で広場を埋め尽くして収穫を祝うこの祭りは、コンスエグラの風物詩です。棚にはサフランの詰められたガラス瓶がぎっしり並べられ、若い女性たちは民族衣装で身を飾り、村人たちも遠来の見物人も、ここでしか味わえないサフラン独特の爽やかな香りに包まれながら、生産者が実演するサフラン摘みを珍しそうに眺め、買い、年に一度のこの祭りを堪能するというのです。話を聞くだけで、腸詰、生ハム、チーズにワインと、賑わいの香りまで漂ってきそうです。

サフランの花は紫色。赤く伸びた雌しべがハーブになる。写真提供 カルメンさん

そんな祭りをいつか取材してみたい。是非一度この目で見てみたい。サフラン農家の知り合いがいたら早いのにと、常々思っていたものの、そんな知り合いもおらず、したがって「花が咲いたから見においで」という誘いの声もかからず、なかなかチャンスがありませんでした。

それが、とうとう昨年10月に、実現しました。

ふたつの不思議な巡り合わせによって。

最初のきっかけは、昨年の夏、仕事の関係で一緒に日本に行ったスペイン人グループの一人、カルメンさんとの出会いです。

オヤジギャクで周囲から「また言ってるよ」と突っ込まれるのが大好きなご主人と、聡明でハンサムな17歳の息子さんを同伴していたカルメンさんは、めちゃめちゃ元気な中にも繊細な一面を併せ持つ主婦。本場のラーメンや寿司を食べることを楽しみにしていて、日本での発見と感動を表情豊かに語る話術に、私は忽ち惹きつけられました。

スペインに戻ってからしばらくして、打ち上げの通知がありました。集合場所はコンスエグラでした。みんなで移動した先は、漆喰の壁や天井の梁のある古民家を改築した、シブい伝統料理店。 店内には数々のカゴや董の陶器、農機具などが飾られていて、民芸博物館も兼ねているんだなと思いながらゆっくり見回っていると、突如、カルメンさんが声をあげました。

「あら、懐かしい! 篩(ふるい)だわ。サフランを乾かすのに使うのよ」

「ええ? おうちでサフランを作っていたんですか!?」と私。

「そうなのよ」とカルメンさん。

 ついにサフラン農家とつながった! こんな出合い方があるものなのか、と不思議な縁を感じた瞬間でした。

「まさか、あなたがコンスエグラ娘だったとは! 私、スペインに来てもう長いのに、サフランの咲いている風景だけはまだ見たことがなくって」

「そうだったの!? もうすぐサフラン祭りだから、来るといいわ。待って。畑に連れってもらえるように、兄嫁に聞いてあげる」

「わー、本当!? 嬉しい!」

 喜ぶ私に「声を下げて」と手のひらで合図をし、笑いながら携帯電話で話していたカルメンさんの顔が、次第に険しくなり、うんうん相槌を打ち始めました。そして、電話を切った後、申し訳なさそうに教えてくれました。

「今年は不足だって、サフランが……」

「え? どういうことなんですか?」

「ごめんね、お役に立てないわ。今年はね、来週祭りだというのにまだロサが咲いていないと言うの。祭りのために、花が咲いている他の村を探して、そこから買って祭りを乗り切るらしいのよ」
 悲壮な顔をして、早口で電話の内容を私に告げた後、
「サフランの花のことをロサ(バラ)と呼ぶのよ、ここでは」と、地元ならではの説明もしてくれるところが、カルメンさんらしい気遣いなのでした。

「そんなの、悲しすぎる……」

私は、複雑になった心を隠せませんでした。

「仕方ないよね。夏はカラッカラの日照り続きで、雨が一滴も降らなかったし」と、説明するカルメンさん。

「ああっ」としか、もう言葉が出ません。

ここでも、また一つ、スペインの美しい火が消えようとしている……。

 

河合妙香(かわいたえこ)/プロフィール
スペイン在住16年。ライター・フォトグラファー。大学日本語講師。ビジネス・旅行コーディネーター。台湾・國立政治大学新聞研究所修士課程終了。ようやく、ずっと知りたかったサフランの素顔に触れる日が到来し、とても幸せな気分になった。この美しい食材を、心を込めて使いたいと思う。著書『パリのおさんぽ〜パリの小道巡り』(扶桑社)。『ロンドンのおさんぽ』(扶桑社)では写真担当。その他、雑誌連載、ガイドブック多数。旅サイト「トラベルコ」マドリード・ガイド。www.kimiplanet.com