第2回 夫が帰国をしぶしぶ承諾する

日本帰国にあたって、一番の難関は、フランス人の夫をどう説得するか、であった。

夫は一緒に移住する気はない。剣道を教えているくらいなので、日本は大好きだが、今日まで日本駐在の可能性がある仕事を探すでもなく、気が付いたら、50代後半だ。定年後にしばらく住むのも悪くないという程度の気持ちはあるようだが。息子のことはかわいがっているが、発達障害については、大病院で診断を下されたにも関わらず、いまだに認めたくない様子で、療育にも関心がない。

今回、夫がしぶしぶ承諾した理由は、我が家の遺産問題だ。自分のような庶民には関係のないことだと思っていたが、財産は少ないほど揉める、と言われるように、身近でも遺産のトラブルはよく耳にする。特に海外在住者の場合、日本に住む親の面倒を見なかったことを理由に相続放棄を家族から迫られたとか、ひどいケースでは、兄弟が勝手に自分の名前で相続放棄申述書を提出してしまったが、海外にいるため、裁判もままならない、などという話も聞いた。

我が家の場合、父は健在であるにも関わらず、腹違いの姉(父の先妻の娘)が、私が父の面倒を見ないことを理由に早々と相続放棄を要求して来た。姉の母は資産家の一人娘だった。父と離婚後に再婚したが、その相手も資産のある会社経営者で子どもがおらず、姉と養子縁組をしたので、姉ははすでに他界した母と養父の二人から合わせてン億円の遺産を相続している。

“面倒”と言うが、父は私の母と一緒に老人ホームに入っている。母によると姉はたまにやって来て、父と飲みに出かけ、お小遣いをもらって帰って行くそうだ。確かに父が入院した時は、姉が付き添った。また、父にしてみれば、自分の不倫(私の母との)で、つらい思いをさせたとの負い目もあるらしい。

ただ、遺産放棄の提案は、父は全く知らなかった様子だった。相続放棄を拒否すると、「あんたはフランスで好き勝手して、何かあっても手伝いに来ないくせに」と非難される。好きでフランスに行ったのは確かとはいえ、私はそこに家族がいて、仕事があり、生活をしているのだが、姉には外国暮らしをエンジョイしているように見えるらしい。

その後、父の入院中に、姉が父の貯金通帳から“父からのご褒美”と称して百万円を引き出したことが分かる。私が姉に文句をつけると、さすがに父もまずいと思ったのか、その後、父母の貯金通帳は弁護士に預かってもらい、私の元にも、出入金報告をメールで送ってもらうことになった。

姉の問題がひと段落したところに、今度は、父に40年来の愛人がいることが発覚。弁護士に“追加小遣い”の名目で依頼していた送金は、愛人に渡していたようなのだ。前妻との離婚も愛人問題も父の責任で、自分のお金でその始末をしていると言えばそれまでだ。ただ、私の母は父より12歳若く、父亡き後、遺族年金だけでは老人ホームの費用を払えず、生活費として父の遺産をあてにしている。そもそも父母が二人で築いた財産だ。それが“お小遣い”をもらいに来る姉や愛人のせいで、貯金がどんどん減っていき、残っている実家も売却し、年老いた母の行き場がなくなったら? 面倒を見るのは、母にとって唯一の子どもである私だ。

実家のごたごたは包み隠さず、夫に話していたので、「ここは私が日本に戻り、実家に住みながら、両親の様子を見るのが最善策だと思う」と言うと、夫は納得した様子であった。ただ、夫からの条件は、「子どもを連れて行くのは構わないが、日本での生活費も学費も、一切出さない」というもの。夫の性格は分かっているので、別に驚かなかったし、その時は、帰国を認めてくれただけでもありがたい、という気持ちであった。

江草由香(えぐさゆか)/プロフィール
編集者・ライター・通訳・翻訳者・イベントコーディネーター。
立教大学仏文科卒。映画理論を学ぶために96年に渡仏し、パリ第一大学映画学科に登録。フランスでPRESSE FEMININE JAPONAISEを設立し、99年にパリ発フリーペーパー『Bisouビズ』を創刊し、現在日仏バイリンガルサイト『BisouJaponビズ・ジャポン』の編集長。個人ブログは『ビズ編集長ブログ』