第27回 消えゆくサフランを記憶する世代 -2-

スペインを取り巻く環境が、悲しい方向へ劇的に変わっています。
例えば天候。北部は雨や曇りの日が多いのに比べ、乾燥して寒暖の差も大きいのが中央部から南部にかけての一帯でしたが、その乾燥地帯であっても、「3月は風。4月は千の雨が降る」というこの国の諺に見られるように、春先は雨の季節でした。そのため地下水が豊富で、農作物がよく育ったのです。

私が来た16年前も、たしかに春先によく雨が降ったように記憶しています。

しかし、それも今は昔。もうあまり雨が降らなくなってしまったのです。

その悪影響を実感した出来事があります。ある冬、マロングラッセを作りたくてスーパーに栗を買いに行ったところ、10軒中9軒に、「いつ入荷するかわかりません。今年は雨が降らなかったせいで、栗がないんです」と言われてしまったのです。最後の1軒で、やっと真空パックに入ったむき栗を見つけましたが、そのむき栗が一円玉程度で使い物になりません。マロングラッセは諦めざるをえませんでした。

気候だけではありません。大型スーパー、ファスト・ファッションブランド、中国製など工業新興国からもたらされた溢れる商品の陰で、どんどん消えてゆくスペイン国産商品や工芸品。「中国産のアスパラガスを買わないで」とスペインの友達に懇願されたこともあります。スペイン北部の名産を棚から追い出した中国産アスパラガスは、今やスーパーの主力商品の一つです。

自慢のサフラン畑に連れて行ってあげられないと、悲しそうな顔で私に現状を伝えるカルメンさんの話に、どんどん壊れていくスペインの牙城のさらなる陥落を認めざるをえませんでした。

しかし、それを私が食事の席で蒸し返したところで、あまり意味がありません。そんなのは嫌だ辛いわと言えるのは、私が外国人だから。センチメンタルに片付けられるのです。当のスペイン人たちは、辛すぎるからこそ、言葉にしたくないのではないかと思うほど、そういうことを話したがりません。痛すぎるからこそ、ワインを飲みながら、楽しい話やおバカな話をして、辛い現実を明るく乗り切ろうとしているのかもしれません。

そんなことをぼんやりと考えていた私は、相当、浮かない顔をしていたのでしょう。

「私が子供の時はね」

カルメンさんが明るい口調で、私の沈黙を破りました。

「うちはね、父が左官屋だったの。コンスエグラでは、サフラン農家は兼業なのよ。サフランだけでは食べていけないからね。

サフランは球根から作るのよ。毎年、暗い納屋で、昨年の球根を5月まで育てて、5月になったら畑に植えるのよ。10月になると、紫の美しいロサ(花)が一面に咲くの。

収穫の時期は、その頃家には車がなかったから、毎朝、父が母をオートバイの後ろに乗せて、3キロ離れた畑まで送ってから仕事に行ったの。私は、朝は学校に行ったけど、早く畑に行きたくて。お昼ご飯を食べに家に帰るや、カバンを置いた手で、テーブルにある、お母さんが朝作ってくれたボカディージョ(フランスパンで作ったサンドイッチ)を手に取って自転車に乗り、片手でボカディージョを食べ、片手で運転しながら、お母さんのいるところまで全力で走ったのよ。

畑に着くと、お母さんが午前中に花を詰んだカゴが、もういくつもできていて、私はそれを載せられるだけ自転車に乗せて家に帰ったの。

家では、おばあちゃんや近所のおばさんたちが花の到着を待っていて、私がカゴを置くと、カゴから花を丁寧に出して、床全体に広げるのよ。私たちがトイレに行くために歩く細い通り道だけを残して。それはもう、まるで紫色の海よ。爽やかな香りも家中に充満してね。とっても強い香りなのよ。

私は空いたカゴを自転車に乗せて、またお母さんのところに戻って、空いたカゴと引き換えに花でいっぱいになったカゴをまた持ち帰って、おばあちゃんたちに渡してから、午後の授業に戻ったの。

放課後は、歩いてお母さんを迎えに行って、残りのカゴを一緒に持ち帰ったのよ。

カルメンさんのご両親と甥御さん。昔の作業が想像できる。かつてはこの何倍もの花を扱った。 カルメンさんのご両親と甥御さん。昔の作業が想像できる。かつてはこの何倍もの花を扱った。

夜は、ロサからサフランとして売る雌しべを抜き取る仕事が待っていて。毎日、朝の5時頃まで仕事したのよ。眠くて眠くて、こっくりしながら取ることもあったわ。親に寝ろって言われても、やりたかったから、自分に負けないように頑張って。

翌朝、クラスに行くと、サフラン農家の子供たちの手は、みんな手が爪まで真っ黒なのよね。花の色が染み込んじゃってて。

サフランの雌しべを抜く仕事は、デリケートで大変なのよ。一つの花には雌しべが3本しかないから、折れないように、力をあまり入れずに抜き取らなければならないの。職人仕事そのものよね。何カゴも何カゴもあるから、床に敷き詰められた花がなくなることはなかったわ。次の日のためにも、花が萎れないうちに、床から花がなくなるまで、延々と仕事をし続けなければならかった。

祭りの日は、特に忙しくて。遠くで祭りの騒ぎが聞こえても、『ああ、やっているなあ』、って羨ましく思いながら、私はテーブルに張り付いて、雌しべを延々と抜いていたのよ。大変だったけど、 忙しいのは毎年10月の20日間くらいだったから、耐えられたのね」

カルメンさんの淀みない思い出話は、私には、言葉で流れる映画そのものでした。

私の頭の中では、映画や写真で見た古き良き時代のヨーロッパの風景が、カルメンさんの抒情溢れる話にあわせて果てることなく映し出されていくのでした。フランスの映画監督フランソワ・トリュフォーの数々の名場面、涙が止まらなかった『汚れなき悪戯』や『禁じられた遊び』、写真家ロベル・ドワノーが白黒写真に収めたパリの子供たちや イキイキした町の表情……。

大空と大地の間に延びる舗装されていない一本道を、オートバイで行く夫婦。

お母さんの仕事を手伝いたい一心で、ボカディージョを頬張り、風を切りながら自転車をこぐ少女。

夕暮れ空の美しい大地を、大きなカゴを頭に載せ、歌いながら歩く母と娘。

田舎の大きな家の居間に敷き詰められた、紫色の花の海。

取ったばかりのサフランの雌しべ。(写真提供/カルメンさん)取ったばかりのサフランの雌しべ。(写真提供/カルメンさん)

爪の中まで真っ黒になった手を教室で自慢し合う農家の子供たちの、「お前は何時まで仕事した? 俺は4時までやったぞ」って声まで聞こえてきそう。

それらはまさに、子供の頃から私が憧れ続けたヨーロッパのそのものではありませんか! いつの間にか、砂漠に突然湧き出た泉のように、悲しかった心に喜びが溢れ、満たされていきました。

河合妙香(かわいたえこ)/プロフィール
スペイン在住ライター・フォトグラファー。スペインの大学日本語課講師。「漫画なんか見て」と親に怒られたのも昔。今はスペイン人の学生たちに「アニメを何も知らない」と怒られる日々。一念発起して日本のアニメ『東京喰種』、 『東京喰種√A』を見終わり、『東京喰種:re』を貪り中。他の人気アニメを見るのは宿題になっており、 紙の漫画スペイン語版『北斗の拳』は登場人物テストに備えて猛勉強中。NHK大河ドラマ「西郷どん!」は中国人学生から情報を取得。いやはや時代は本当に変わった。