第3回 『動物保護』について考える

「海外在住メディア広場」に登録されている有馬めぐむさんが、浅川千尋氏と共著でお書きになられた『動物保護入門 ~ドイツとギリシャに学ぶ共生の未来~』を読んだ。「動物保護」に関するいろんな取り組みが紹介されているが、殺処分、肉食、動物実験……と関わることは多義にわたり、政治、行政、経済、文化、習慣など密接に関係するため、「動物に優しい環境づくり」の実現が簡単ではないことがよくわかる。ただ動物に優しい社会なら人にも優しいのではないか?  ということには心からうなづける。

昨今の日本の政治的な動きを見ていると、社会的弱者の切り捨て傾向が進んでいるように見えてならない。私利私欲のためなら、人の命さえも軽視する一部企業のトップや権力者たちの姿勢は、利益追求の影でモノ言わぬ動物に心ない犠牲を強いる姿と重なる。

動物保護先進国のドイツには、捨てられた動物の保護施設「ティアハイム」が各地にあり、犬猫殺処分ゼロを実現しているという。財政難を抱え人々の暮らしもままならぬギリシャも野犬が多かったが、斬新なアイデアと取り組みから殺処分ゼロを実現した。法整備も去ることながら、民間レベルの活動による「意識改革の賜物」だということがよくわかる。

日本ではどうだろう?  外から日本を見ているわたしの個人的な感想としては、ペットとして可愛がる人々は多くとも、「共存」という意識を誰もがもっているようには見えない。特に年配層は「人は動物より上の存在であり、動物が人の犠牲になるのはしょうがない」と考える人も多く「同じ命ある生物として共存しよう」という発想を定着させるにはもう少し時間がかかる気がしている。

本書によると、日本で本格的動物保護法にあたる法案「動物愛護管理法」が成立したのは1999年のことだという。なるほど、ついこの間ではないか……まだ未成熟なわけだ。読書中、動物にまつわる過去の自分の経験がよみがえった。この法案ができる少し前のことだったと思う。わたしは犬、鶏、アヒル、ウズラ、セキセイインコ、カメを“ペット”として飼い愛知県の山村で4人の子どもたちと田舎暮らしを楽しんでいた。ある日、子犬が数匹生まれたので、ほしい人がいればあげると近所に声をかけたところ、あるお年寄りはにっこり笑顔でこう言った。

「犬は畜生だから目があかんうちに川に流すか埋めればいい」

あまりに衝撃的な発想で身震いした。可愛がっていた鶏がイタチかキツネに殺られがっくりしていたとき、「今ならまだ食える」と隣のお婆さんに言われてギョッとした。同じ日本人でも都会と田舎、世代によってこれほどちがう感覚なのだと驚いたものだ。そんな経験から早30年余り。いくらなんでも変わっているとは思うものの、そうした年寄りたちに育てられた次世代が、土地の習慣を受け継ぎながら暮らす田舎に戻ると、さあ、どれほど意識が変化していることやら……と考え込む。

ところ変わって、南太平洋のサモアにいたころのことも思い出した。サモアの犬は基本的に放し飼いだったが、ある日、近所の犬が学校から帰宅途中の長男に襲いかかり怪我をしたことがあった。犯人ならぬ犯犬は、ワルモノとしてすぐに銃殺刑となった。戯れただけだったかもしれないのに、ほんとうに可哀想なことだった。ただ、サモアではお祝いごとがあると、飼っている豚を石蒸し焼きにするのが伝統文化だ。生き物を目の前で殺すことは生活の一部でもあるので、軽い気持ちで殺してしまうのだろう。残酷な話だがどちらも人は人情深いのだ。動物保護だの動物愛護だのという考え方が成熟していない社会で、保護を訴えてみても理解を得るのは簡単ではないだろうと、過去の経験から推察してしまう。

一方、日本に住んでいる妹、義妹、そして在米の娘も息子も強烈な愛犬家だ。特に娘は、学生時代からアニマルシェルターや保護団体の活動にも参加。動物実験や動物テストをしている会社の商品、毛皮や革製品は買わないという「動物の味方」だ。米国に暮らし始め、我が家でフェレットを飼いだしたころから、動物が好きすぎて肉どころか魚も食べないベジタリアンに変身した。

そんな娘を間近で見ていたこともあり、間接的には動物保護に関する情報や知識はある方だと思うが、わたし自身はそれほどの活動家ではない。それでも、不要な動物実験や殺処分などは、できる限り早く消滅してほしいと願っている。

動物実験をしていない認証マークであるリーピング・バニー(Leaping Bunny)は1996年に米国やカナダの動物保護団体によって設立された動物実験に反対する団体CCICによるもの

動物と人との関係性には、価値観、伝統や文化的背景、生活習慣に経済事情などが絡む複雑な問題なので、ひとつの正解は見いだせないものの、バランスよく「動物保護」を意識することがたいせつだと思う。ささやかながらわたしが実践していることは、「命いただきます」の感謝を忘れず肉は少なめにし、野菜主流の食事を心がける。動物実験をやめない会社の商品は避け、スキンケア製品などはリーピングバニー(動物実験をしていないことを示すマーク)のついているものを購入している。

幸いにも、わたし自身は子どものころから犬を飼い、世帯を持ってからも数々の動物とともに暮らす機会に恵まれてきた。一方で、これまで動物に対する多様な価値観の存在も目の当たりにした。今暮らす米国ミシガンでは、娘のように動物保護に関心のある人たちと真逆の、動物を殺すことが何よりの趣味という狩猟大好き人間も多い。いろんな考え方があるからこそ、「動物保護」を進めることが一筋縄ではないことがわかる。論争してもはじまらないが、無知は論外だ。まずは知ることからはじめて、多くの人が自分なりに実践できる何かをみつけ、命をたいせつにできる社会に成長していけたらいいなと思う。

椰子ノ木やほい/プロフィール
動物虐待は今日も世界各地で起こっていて、動画配信サイトに行けばその現実を簡単に知ることができる。中国には「犬肉祭り」があるからと、中国人を野蛮扱いしたり敵対視する言葉をみかけたことがある。しかし、前述のように日本で「畜生発言」を聞いたことがあるわたしにとって同意できるはずもない。“民度”という言葉があるが、人がよいことと民度が高いことは別次元であり、動物保護という意識を持てるかどうかというのはまさに民度の問題だと今回あらためて気づかされた。本書には欧州の取り組みだけでなく、日本の現状なども網羅され、いろんな考え方や活動が報告されているので動物保護を考えるきっかけとして一人でも多くの人が手にとってくれるとうれしい。