第2回 保護者のいる暮らし

インドで住んだのは、首都ニューデリー。繁華街に近い閑静な住宅街にある古い一軒家のワンフロアを間借りしていた。その住宅街には、通行車両をチェックするセキュリティゲートがあったが、メイドや物売りなど、車以外はノーチェック。オートリキシャや牛だって進入できる。「at your own risk」(自分自身の責任において)、インドでよく耳にした言葉であるが、住人はそれぞれの自衛策として、大きな門や壁をこしらえ、乗り越え防止の鉄条網などを取り付けていた。私は一人で行動することが多かったため、その物々しい様子を見るたびに緊張した。

我が家のベランダに飾られていたヒンドゥー教の女神カーリーのお面。魔除けの意味があるが、泥棒などの侵入からも守ってくれると信じていた。

間借りした家は壁に囲まれ、門と玄関のドアにそれぞれ鍵があった。その上、三階にある私たちの部屋のドアには、南京錠が二つぶらさがっていた。防犯のためだろう。大家は定年した老夫婦で、同じ家の一階に住んでいた。驚いたことに、その家には門限があった。門と玄関の管理は大家がしていて、門限の夜9時になると、さっさと施錠をしてしまう。遅くなる場合は、何時に帰る予定か事前に連絡する決まりになっていた。未成年ならまだしも、門限が夜9時はないだろうと思ったが、夜は一層治安が悪いし、上の階に住むインド人夫婦も従っていると説明され、反論のしようもなかった。まるで保護者のような大家に、今日は食事会だ、残業だとその都度連絡を入れたのだった。

「言われた通りにしなさい。さもなくば……」というのが大家の口癖で、門限以外にも細かい指示や指摘が多かったが、他に身寄りのない私たちは、できるだけ大家に従い、何かあれば助けを求めた。ある時、私はインドで初めて食あたりになった。高熱、下痢や嘔吐が数日間続き、ひどい脱水状態だったが、近くに病院もなく、横になっているだけで動けない。その時も、大家が常備している抗生物質、整腸剤、水溶の経口補水液を持ってきてくれ、命拾いをした。

初めてのインド生活は、日本人の知り合いはおらず、会社によるサポートもなく、全くの手探りであった。インド人に道を尋ねると、間違った方向を教えるという説があるが、実際、彼らに道を聞き、とんでもない方向に行ったことは幾度と知れず。どうしたものかと途方に暮れることや、危険を感じることすらあり、心身ともに疲れることばかりだった。しかし、大家がいてくれるこの部屋に帰ると、緊張が解けてほっとすることができた。楽しく話した記憶は殆どないのだが、無防備で何かと世話のやける面倒な外国人である私たちを受け入れてくれた大家の懐の深さは計り知れない。

 

さいとうかずみ/プロフィール
2007年より8年インドに居住。インド国内での転居のために一時帰国している間に、図らずも、インド生活が終焉。2017年より約2年インドネシアに住むが、再びインドに呼び戻されることになり、現在転居準備中。