156号/たきゆき

自分の故郷が、家族が、友人が大変なことになっている。

家族と連絡がとれるまでの数時間はパニック状態だった。無事が確認でき、ほっとしたのもつかの間、これからも大きな余震が続く、そして原発が危険だ、というニュースが入る。遠くに住んでいて何もできないもどかしさを抱えつつ、毎日「今日こそは」と望みを持ってネットのニュースをチェックするが、厳しい状況は変わらない。

初めは被害にあった日本を応援していた海外メディアの反応が、原発の事態悪化とともに、日本政府の甘さを批判し、原発の危険性を声高に論じ、不安を煽るものに変わっていった。私自身、ドイツメディアの報道、そしてそれを聞いた友人・知人の言葉に少なからず影響を受けた。「あなたの家族はあんな危険な場所にいるのに、どうして呼び寄せてあげないのか」と質問をぶつけてくる親戚もいる。

正直に話すが、私は日本の家族に電話し、必要なものだけまとめてドイツへきたら、と提案した。彼らの反応は、「どうして今、ドイツに?いざとなれば関西に受け入れもあるのに……」だった。買い物に行っても品薄だから、焼いたこともないようなパンを焼いたり、工夫している、と平然と話す母の声を聞いて、私は自分が日本と海外の間にある深い溝に落ちていくような気持ちになった。原発の危険性はわかるけれど、彼らにとっては今日一日を、余震の恐怖におびえながらも、停電の不便さに耐えながらも、希望を捨てず、前進していくことが大事なのだ、余計な不安を与えるようなことをするな、と夫にも言われ、私はやっと自分がしようとしていたことの身勝手さに気づいた。

恐怖に立ち向かいながら、闘っている人々が、今ほんとうに必要としているものは何なのか、真剣に考えていきたい。日本の知人からは、海外からの応援や励ましの声を聞くだけでも、元気のもとになると聞いた。状況を楽観視しているわけでは決してない。でも、海外からの応援の言葉が日本の人々の希望や活力を後押ししていくことなのであれば、私は喜んでドイツ人たちの応援の言葉を集めて発信していきたい。


たき ゆき ドイツ・キール近郊在住)