フランスに来たのは20代中頃だったから、たとえ純日本女性として教育を受けたといえども、私がいっぱしの女性に成長したのはフランスでのことである。

しかし、勉強やら仕事、育児に夢中だったので、20数年はあっという間に過ぎ去った。何も考えずに目前の事柄の処理に追われる毎日で「女性としてどう生きるか」という問題に、真剣に取り組むような余裕はなかった。それでも、友人たちとの会話で「女性」がテーマになったりすると、「?」と思ったりすることはあったのだが、あくまで水面下に潜む程度の問題でしかなかった。とにもかくにも去年の後半から仕事も私生活にもゆとりができて一段落すると、自分について考える時間も増えた。そうすると、なぜか、自分の「女性」の部分が気になるようになった。「女ってなんだ?」、「どうせなら、男にはできないような人生を楽しみたい」などなど、好奇心がふくらみはじめた。

男性のイメージというのは、世界中、かなり画一化されているような感じがする。どの国を旅行しても、広告に出てくる男のイメージは「たくましい男」「仕事ができる男」「頼れる男」その程度のヴァリエーションしかないではないか? 生き方にしても、まずは「仕事人」を核にして、「夫」であるとか「父」であるとかに限られてしまいがちだ。

それに反して女性のイメージは千差万別で、選択肢には事欠かない。生き方にしても、(そう簡単ではない国もあることだろうが、私が知っている日本とフランスに関して言えば)母に徹することもできれば、仕事一筋で生きることもできる。専業主婦で幸せという人もいるだろうし、あるいは妖婦として自分の魅力を最大限に活かして生きていく生き方もあるし、いくつかを組み合わせてみることもできる。もちろん、環境によっては、小うるさいことを言う輩もいるかもしれないが、「私はこれでいいの!」と言ってしまえば、所詮それまでである。

女性の人生の醍醐味のひとつは、こんな千変万化を楽しみながら二重、三重の生活を送ることができたり、あるいは、そのうちのひとつに徹することを選ぶこともできるという、その自由さだと思う。10年ほど前、昼間は大会社のエリート社員でありながら、夜は娼婦をしていて客に殺された「東電OL事件」が話題になったが、私にとって彼女の生き方はそんなに不可解なものではない。実際に実行するかどうか、そこまで落差の激しい二重生活をするかは別として、女性はいくつもの顔をもっている生きものだと思うからだ。

そして、私が実際に暮らしているフランスでは、とくにその傾向が強い。それだけに、女性はいくつもの役割をこなす多忙な生活を送っているのだが……。そう、彼女たちはほんとうに頑張っている。見ていて涙ぐましくなるほどだ。子どもの面倒はしっかりみて、それもEU諸国一の多産な国なので平均は一家族あたり二人。仕事は男性並みにして、家事はフェミニズム運動以前のようにする。料理ぐらいしてくれる男はいるが、片付けや掃除はあまりあてにならないのが実態だからだ。その間も、ある程度の美しさに達するたゆみない努力を怠らず、ほとんど女性が年中ダイエットをしている。3分の2のカップルは離婚するので、妻の座に安心して座っているわけにはいかないうえに、ラテン国の常として「いつも見られている」という意識は女性に顕在だからだ。

しかし、女性と男性の違いや性差というのは、社会の仕組みとして厳として存在する。たとえば、民間の会社では女性の給料は同じ仕事をする男性より27%低い。また、「仕事をもつ女性」といっても、みんなが見栄えの良い職を選べるわけはなく、多くの女性はパートタイムで働いていたり、時給が低い職種を選ばざるをえないので、当然、年金も低い。大企業の社長クラスになると女性は全体の僅か17.4%。女性代議士の人数は格段に少なく全体の18.5%。(2010年3月8日付けル・モンド紙)。1970年代の激しいフェミニズム運動を経験した国というイメージとは裏腹の、前時代的な面も残っているのが現状だ。

このように、フランスは、良くも悪くも自分が女性であることを絶えず意識させられる国である。ジェンダーフリーを唱える人からみると、とんでもないかもしれない。どういう歴史背景と環境でこういうことになっているのか、それを、私は自分なりに考えてみたり、周りの人々に聞いてみたいと思う。そうすることで、これからの自分の女性としての生き方にきっと新しい可能性を見出したり、ステレオタイプな視点から脱出できるのでは、と期待している。読者のみなさんからも、「そんなことないんじゃない?」とか、「こういうふうにも考えられるんじゃない?」という意見があったら、ぜひ、お聞かせくださいね。

≪夏樹/プロフィール≫フランス在住。フリーライター。普通の市民としての視点忘れずに、新しい連載に挑戦してみます。