1 気がつけばあら、私も移民?  /アメリカ合衆国

日本人と結婚し、のどかな山村に家を建て四人の子どもに恵まれた私は、その家で一生暮らすのだと信じて疑わなかった。そんな“日本国民”の私が、今 Immigrant Visa (移民ビザ)と呼ばれる永住権を持つ“移民”としてアメリカで暮らしている。

14年前のこと。長女が行くはずの中学では、部活動参加は強制だった。過疎化により生徒数が少ないためだ。生徒の興味はさておき、成り立たせるための強制参加って「本末転倒じゃん?」といくら疑問に思ったところで、学校にあがれば、それに従うより仕方がないことは必至だった。

娘が中学生になるという現実を前に、「わが子には主体性を持って好きなことに取り組み、のびのびと何かにチャレンジし続けてほしい」という親の願いは、叶わぬ気配を感じ始めた。それどころか、まわりを見渡せば、受験に備えての塾通いも加わり、「家族そろっての夕飯」という、いたってシンプルかつ、大事にしたいことすら難しくなりそうだった。

何とかしなくては、と夫婦で考えた末、「しばらくよその国に住んでみよう」という結論に達し、家族で旅したことのあるサモアを引越し先に選んだ。突拍子もないと思われるかもしれないが、意外と軽い気持ちで、「一年ぐらいならば」と日本を後にした。帰国後は帰国子女を受け入れてくれる学校に入れれば強制部活からも開放されるし、海外体験は子どもの視野も広め、地球人としてどこででも生きる力もつくのではという期待もあった。

波乱万丈ながらもサモア暮らしには、家族そろってのだんらんがあり、時間に追われることのない日常は心地良かった。が、一方でのんびりのあまり、このままでは南国モードでしか生きられない人になるという不安も芽生えてきた。

それならと、日本に帰国する前にアメリカを目指したまま今日に至っている、というのが我が家の「自覚のない移民」のストーリーである。ここで大勢の祖国を後にした人々と出会い、それぞれのストーリーを耳にしてきた今の私は、どこで暮らそうとも、自分らしく生きられるのであれば、それで良いと思い始めている。

椰子ノ木やほい/プロフィール
国境がある限り、海外で暮らすとなればビザの問題はついてまわるし単純ではない。しかし「意思あるところに道は開ける」というのも経験から学んだことのひとつだ。日本人として生まれ育った者としては、どこで暮らそうとも、日本人を意識せずにはいられないことも実感しているが、「地球に生きる一人の日本人」として生きられたらと思う。『ぼへみあん・ぐらふぃてぃ』『サモアの想いで』 『フィアフィアサモア』(でじたる書房)(、
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