第1回 南ドイツの冬の乾燥を侮るなかれ~靴底がベロンと剥げた!

ある年の冬、私は両親と南ドイツを訪れていた。ドイツの冬は、とにかく寒い。そんなことはよーく心得ていた。実際、想像以上の寒さではあったが、雪だるまと比べて果たして本物のだるまはどちら? と自虐的に問うほどの着膨れで耐えていた。ところが、この私に襲い掛かった冬の恐怖は、意外なものだった。

その日は雪。私は防寒対策のため、厚底フラットのショートブーツを履いていた。ローテンブルクという中世の街を、両親相手にうんちくを語りながら歩いていると、……おや? おかしい。私の足が地面に着く前に、何かが先に「パタッ」と地面を踏みしめる。同時に、反対の足を地面から離すと、「ビッターン」とバネが伸び上がるような感覚があるのだ。ビッターン、パタッ、ビッターン、パタッ。

その違和感に不吉な予感とともに足元を覗いた私は、思わず叫んだ。「く~~つ~~が~~!!」

なんと、ブーツの底がベローンと、牛の舌のように垂れ下がり、その重みで私の足からブーツが脱げそうだったのだ。

なぜこんなことになったのか。答えは、この凍てつくほどの空気にあった。完璧なまでに乾燥しきっていたのだ。乾燥した空気が、ブーツの底の糊を綺麗さっぱり乾かしてくれたのである。ご丁寧にも、両足とも。おかげで、糊の拘束を解かれたブーツの底は、地球の重力に逆らうことなく、お役目御免とばかりに仕事を放棄して地面に這いつくばっているのだった。

しかし、これでは歩けない。両足にはまるで舌を出した犬の顎がそれぞれ一匹ずつくっ付いているみたいだ。いっそのこと、底を全部剥がそうか、とも思った。が、底無しで歩けば、足の裏の生地から地面まで2,3ミリのクッションしかない。この雪の中を、まるで「足袋」を履いて歩くようなものなのだ。

観光どころではない。すぐにでも靴屋に飛び込みたい……と思ったが、時間がない。夕闇は迫り、今日の宿はフュッセンという200キロほど離れた街で、移動せねばならなかった。ブーツの底以上に口をあんぐり開けて茫然とする両親としばし話し合い、輪ゴムで靴と底を留めることにした。ブーツの上から輪ゴムを二重に巻いたが、輪ゴムが足の甲に食い込んで痛い。しかも底の重みは相当なもので、細い輪ゴムでピッタリ留まるはずもなく、怪しげにバネのように弾んでいる。まるで顎の外れた人形みたいにガクガクしているのだ。母が見かねて「交代で履こう」と言ってくれたため、私と母は数十メートル置きに、母の靴と顎ガクガクブーツを交換しながら移動することになった。この状況を、防寒……ならぬ、ただ傍観していたのは父である。

フュッセンには、かの有名な「ノイシュヴァンシュタイン城」がある。この街に来たら必ず観光客が訪れる場所。私たちも、翌朝は城を観光する予定だった。

しかし、以前にもここへ来たことのある私は知っていた。ふもとから城までは、雪の坂道を30分登らなくてはならないことを……。しかしこの顎ガクガクブーツでは絶対持ちこたえられない。朝になれば街の靴屋さんが開くかもしれない。そしたら、そこで新しい靴を買おう。この決断に運命は託され、眠れぬ夜を明かした私たち(主に私と母)。靴底が喋る夢でも見たかどうかは、定かではない。

翌朝、あっけなくホテルのすぐそばに靴屋を発見した。これぞ天の恵み、とまだ開店前のその店のガラス窓にへばりついて歓声を挙げると、店の奥からご主人が出てきて「どうぞ」と扉を開け、私たちを招き入れてくれた。女性用の登山靴コーナーの前に進んだ私たちに、「どんな靴をお探しですか?」とご主人。思わず、私は自分の片足を挙げて「こんなのです」とベローンとブーツを見せた。するとご主人、「オオ!」と仰天。しかし、「大丈夫、直せますよ」と笑いながら私に椅子を勧めてくれた。

そしてなんと、ものの3分で「ベローン」の底をブーツ本体にきっちり接着してくれたのである。しかも、「お代? ノーノー、いらないよ」と、糊代さえお取りにならないとのこと。「じゃあ、チップを」と10ユーロ札を渡そうとしたら、「それで新しい靴を買いなさい」と言って、絶対に受け取らなかった。まさに神様仏様、とはこのご主人のことである。

その後、底が直ったブーツで、無事にノイシュヴァンシュタイン城まで歩くことができた私。降り積もる雪の中、フュッセンで感じたのは寒さではなく、ご主人の親切の温かさだったのは言うまでもない。そして、乾燥がとても恐ろしい威力を発揮することも、身を持って知ったのだった。冬の乾燥は、決して侮ってはならない……。

河野友見(こうの ゆみ)/プロフィール
広島市出身。ネタを求めて渡り鳥のようにあちこち飛び回る傾向がある。好物は中世・文学・ビール・アート・ユニオンジャック。最近「第7回JTB交流文化体験賞優秀賞」を拝受致しました。わたくしの慌て者ぶりがさく裂したエピソードでの受賞です……恐縮と光栄の限りです。