第3回 ツクるタノシミを知る

12年間の山村暮しで、作る、創る、造る楽しみを知った。もちろん、当時「これこそ作る喜び!」と意識していたわけではない。ほとんどは、必要に迫られた結果であり、経済的窮地をしのぐための苦肉の策として試みたことも多い。

夫は左利き。よく、左利きの人は右脳を使うので創造性があると言われるが、まさに作ること大好き人間だ。田舎に越す前には「ソーラーハウスを自分で建てるぞ!」と言ってわたしを困らせたこともある。30年も前のことだから、昨今ほど、社会に環境対策だのエコという意識が浸透していたわけではないので、今思えば「進んでいた」と言えなくもない。が、その時点では、エコ感覚どころか、作るなんて面倒くさい派のわたしにとって、夫は“困ったちゃん”以外のなにものでもなかった。押し切られてはまずいことになると、「いくらなんでもド素人が建てるのでは何年かかるかわからないし、実際に建つかどうかもわかんないじゃん?それだけは勘弁してよ!」と却下した。

そんないきさつもあるぐらいなので、必要に迫られ開始した日曜大工も、夫は前向きに取り組んだ。なにしろ、外回りは、家本体以外何もない。まずは玄関に続く階段だった。片道1時間近くドライブし、最寄りのホームセンターで材料を買い込んだ。ときおり、名古屋市内から義父も助っ人に駆けつけてくれた。うぐいすの鳴き声を背に、陽のあるうちは土手を削っては段を整え、レンガ作りの玄関に続く階段は完成した。手作りの良さと言えばカッコイイけれど、出来上がりは素人ちっくな素朴さがにじみ出ていた。それでも、困ったちゃんは自作ということに満足の様子だった。

自由にしてよい土地を得たというのは、真っ白なキャンバスを与えられた絵描きのようなものだった。その後も12年間ほぼ休むことなく、デッキ、遊具、物置き、アヒル小屋……と作り続けた。わたしはといえば、どんどん作られる作品のペンキ塗りや後片付けを強いられるはめになったが、青空の下、庭で子どもたちの走り回る姿を眺めながら、季節を感じ、一日じゅう何かを作って過ごした日々はいい時間だったと思う。

もっとも、一つのことを共同作業するのでつまらないことで夫婦ゲンカにもなった。「なんでわたしがこんなことしないといけないの?」と思うと、つい余計なひとこと、イヤミな言葉が口から出てしまう。それでも、一つずつ何かが終わっていく達成感を味わい、その過程での苦労をいっしょに感じることは、たとえいざこざがあったとしても、意義あることだった。――と今は思える。

何もないところに少しずつ作っているうちに……before after

田舎暮らしの不便ゆえで始めたことはいろいろあった。ベーカリーがないので、パンは自分で焼くことにした。意外にもハマってしまい、小さな袋入り小麦粉をスーパーで買うのでは足らず、そのうち北海道から国産小麦粉を定期的に取り寄せ、パン作りは日課となった。子どもたちも粘土遊び感覚で、アンパンマンの歌を歌いながら生地の成形を楽しんだ。よもぎがおいしい季節には、外で子どもたちとよもぎ摘みをしてからパンに混ぜた。「家じゅうに漂うよもぎパンの香り」は ホームメイドだからこそ味わえる匂いの贅沢だった。

1人、2人、3人と子どもが増えても、作る試みは続いた。畑で野菜作りを開始。食べきれない野菜に悲鳴をあげて、漬物作りもした。洋菓子屋も和菓子屋も近くにないので、ケーキもおまんじゅうも作るようになった。4人の子育てに追われる中で、どこにそんなエネルギーがあったのか? 今となっては不思議だが、「買って食べる」という一瞬の受動的喜びよりも、手間暇かけて作るというプロセスが楽しかった。もっとも、どれをとっても素人なので出来がいいというわけではなかったが……。

近所のスーパーに立ち寄れば何でも手に入るという便利な環境で暮らし続けていれば、不器用で怠け者のわたしのことだから、作る楽しみを知らないままだったことは想像に難くない。このときには夢にも思わなかったけれど、何でも買うという発想しかなかったわたしが、作るオプションを得たことは、その後の南国への移住にも今の米国暮らしにも、とても役にたっているからありがたい。もし、田舎暮らしをスキップして、異国暮らしに進んだとしたら、あらゆる不便に相当苦しんだかもしれない。「無いなら無いなりになんとかなる」を体得していたからこそ、不便をやり過ごし、ときに工夫し、切り抜けてこられたような気がしている。

「必要は発明の母」というが、無いところから作ることを考える。無いことを嘆いたり、疎んじるぐらいなら、対策を考えればいい。得る工夫をしたり、作る方法を考えることができれば、毎日はより楽しくなるものだ。――と、もしわたしがエラそーに言ってるのを夫が聞けば、すかさず、「お前が言うな!」と腹を抱えて大笑いするだろうな~。

椰子ノ木やほい/プロフィール
かつて、わたしの却下により夫のソーラーハウスの夢は叶わなかった。その判断が正しかったかまちがっていたかはわからない。夫は、「エコなドリームホームを建てること」をまだあきらめてはいない。あれからわたしも成長した。今なら、ノってあげてもいいよって思う。実現していないものは、どうせ夢として残ることがわかったから。「毒を食らわば皿まで」かな?