使い古された言い方しかできないのが歯がゆいが、ほんとうに「早いもので」次女もとうとう幼稚園とお別れする時が来た。日本ならほころびはじめた桜の花の下、おめかしをした親子が……というところだが、ここドイツの田舎では、卒園が夏休み前の7月中旬で、「○○式で区切りをつける」という文化はないから、卒園証書もなし、正装も必要なし、となんだかカジュアルな幕引きである。

次女が3年間通った田舎の幼稚園では卒園のお別れ会を「放り出し」と呼ぶ。その理由は後で記すが、幼稚園ラストデーとなる当日も、園児たちは午前中をごく普通に過ごす。親や祖父母が三々五々集まってくるのが12時ごろ。幼稚園の建物にある大きなテラスでお別れ会が始まる。毎年スタートには、寸劇や合奏・合唱など、趣向をこらした出し物があるが、今年は卒園する子どもの数がたった3人と少ないので、ひとりひとりが時間をたっぷりとり、手品を披露するとのこと。ネタがばればれの簡単な手品でも、大勢のひとを前にきちんと話し、物怖じせずやりとげる姿をみれば「ここまでよく大きくなったものだなぁ」などと、やっぱりしみじみ思ってしまう。

雰囲気がぐっと盛り上がるのは、先生が卒園児ひとりひとりに、想い出を語りかけながら、手作りのお祝いやファイルを渡す場面だ。このファイルには、それまで子どもたちが幼稚園で描いた絵や、イベントで撮影した写真、小学校準備コースで勉強した内容などがとじてある。言ってみれば幼稚園の3年間がぎゅっとつまった記念ファイルなのだ。受け取りながら「ありがとう」と言う子どもひとりずつをしっかり抱きしめて、先生の目もだんだんうるうるしてくる……。次は親たちの出番だ。なぜか今年のまとめ役になってしまった私は、先生や幼稚園のためのプレゼントやカードなどをすべて用意した。なんとか気に入ってもらえるものが贈れたようで一安心。また、これまでのお礼のスピーチもなんとか無事に終え、ほっとしたのもつかの間、会はもう終盤、クライマックスを迎えようとしていた。

前もって大勢の親たちに声をかけ、お願いしておいた効果があって、みんながすばやく移動し、アーチを作ってくれた。色とりどりの花で飾り付けられたアーチの両側を大人たちがかかげ、小さな子どもたちはふたりずつ組になって手をつなぎ高くかかげる。このアーチをくぐりながら、杖を手にした卒園児たちは幼稚園を後にする。この杖はドイツ語でヴァンダー・シュトックと呼ばれ、登山や巡礼、マイスター制度の修行などに行く人がよく手にしているものだ。ドイツの伝統では、今まで受けた庇護のもとから去ること、そして、何かを学ぶための一歩を踏み出していくことのシンボルとされている。次女も卒園前の数週間、自分で、ころよい枝を探し、彫刻をほどこし、色づけをし、肩に担ぐ部分には、これも自分で始めて縫った子袋を結わえ付けて、自慢の杖を作った。いわば幼稚園で作り上げた最後の作品となる。次女が、半分自慢げに、でも少しはにかんで歩いてくる。感慨深く眺めている暇はない。出口の門のところにはメインイベントが待っている。母親の私は大事な一瞬をカメラに収めなければならないのだ。

自分で作ったヴァンダー・シュトック

出口には今まで3年間次女たちを見守ってきてくれた先生ふたりが大きくて丈夫な布を持って待っている。次女がやってくると、ふたりは門の両端に立ち、布を大きく広げて真ん中に次女を座らせた。ブランコよろしく1回2回と布を前後に揺らせて「明るい未来へとんでいけー!」と放り出された次女は、今、名実ともに幼稚園を後にしたのだった。

未来へ「放り出される」

それでも「放り出されてすぐ幼稚園を去るというのはけっこう名残惜しいものだよ」と昨年卒園した子の親がアドバイスしてくれたこともあって、今年はみんなで風船を飛ばすことにした。これも手際よくみんなが協力してくれて、お父さんふたりが風船をガスでふくらまし、残りの母親たちは、子どもたちがメッセージをしたためた葉書をくくりつける。「1、2の3!!」で舞い上がった風船をながめるみんなの満足そうな顔を見回して、やっと少しセンチメンタルな気分にひたれた母親の私だった。

風船、高く飛んでいくといいな

≪たき ゆき/プロフィール≫
レポート・翻訳・日本語教育を行う。1999年よりドイツ在住。ドイツの社会面から教育・食文化までレポート。ドイツ人の夫、9歳の長男、6歳の長女、4歳の次女とともにドイツ北部キール近郊の村に住む。