第11回 アメリカナイズ?ジャパナイズ?
落葉樹が多いので秋はほんとに美しい

秋も深まり、枯葉の絨毯が敷き詰められている。アメリカではこれから年末に向け、サンクスギビング(感謝祭)、クリスマスと季節を彩るイベントが続く。それらのルーツはともかく、家族や友人が集まり、楽しいときを過ごすには恰好の機会だ。

アメリカ人にとって、サンクスギビングは、クリスマスと同じぐらい重要な祝日といえる。ふだん離れて暮らす人々も帰省し、11月の第4木曜は家族揃って七面鳥の丸焼きを食べる。テレビを前にフットボールの試合に声援を送る。そして、感謝祭翌日の金曜は、“ブラック・フライデー”に繰り出す。クリスマス商戦キックオフに向けての特売セールのことだ。どこの店も早朝から買い物客でごった返し、その凄まじさたるや、けが人どころか死人が出ることもあるほどだ。

外国人として暮らしながら、こうしたアメリカンライフの象徴のようなイベントを13年近くやり過ごしてきた。年月とともに、わが家がすっかり米国流に染まっているかというと実はそうでもない。アメリカ人と結婚したわけではないので、“アメリカン”に生きる必要はない。家族全員が日本人なので、七面鳥よりは、好んで手巻き寿司を食べている。アメリカンフットボールは、家族の誰もが興味ないので見たこともない。

ちょっと前に日本の友人に、「大きな家に住み、天井に届くようなクリスマスツリーを前に、盛大なクリスマスパーティーなんかするんでしょ?」と言われて苦笑した。アメリカ暮らしも長くなり、わが家がすっかりアメリカナイズされていると思い込んでいるらしい。

たしかに、来たばかりのころは、「郷に入っては郷に従え」「子どもたちが喜ぶように」と、ハロウィンの仮装をおもしろがり、クリスマスソングが聞こえるころには大きなツリーを飾った。クリスマスパーティーのお誘いにも喜んで出かけ、それなりに季節のイベントとして楽しんだ。でも、むしろそれは、西洋かぶれを得意とする日本人度が高かったからであり、当時は、一見華やかに映るアメリカ文化を、盲目的に受け入れていたからにほかならない。年月が経つにつれ、何を取り入れるべきか考えるようになったといえる。

母国を離れているからこそ、日本人を意識する場面は多い。すると、日本で平気で着ていた星条旗柄の服を、今ここで着ることには、日本人として違和感を感じてしまう。何年か前に、アメリカ社会では、「メリー・クリスマス」という言葉に対して、他の信仰への配慮が足りないという論争が起こった。以後、ビジネスの世界でも教育現場でも、「メリー・クリスマス」という言葉は「ハッピー・ホリデー」に置き換えられた。実際、地元の公立学校では、校内活動としてクリスマス会を開いたり、クリスマスソングを歌うことはご法度となった。

そんな空気が流れだすと、少なくともわたしの中では、クリスマスは単なるイベントではなく、信仰に基づく神聖な祝いごという意識に変わり、信仰心もない日本人家庭が、クリスマスを祝うまねごとをするのは、それこそ信仰を持つ人たちに対して失礼と感じるようにもなった。加えて、エネルギー問題を論じながらも、クリスマス・イルミネーションを競うような“アメリカ流”はどうにもわたしの趣味に合わない。子どもも大きくなったし、どうせサンタクロースも信じてはいないのだからと、クリスマスツリーもさっさと処分し、以来、クリスマスデコレーションはやめた。結局、わが家では、「世間がキリストの誕生を祝ってご馳走を食べているから、うちではお寿司でも食べるか!」いう日になっている。

そもそも、米国のようにあらゆる文化、宗教の人々が混在する社会で生きていると、自分を持たずに、ただ流されていては身が持たないこともわかってきた。1人でも信者を増やしたい教会関係者から、お誘いを受けてしまうこともある。そんなことに振り回されないためにも、気持ちがないものには「後ろを向く」ほうが身のためだ。金曜にアッラーの神に祈りを捧げる人々が花祭やクリスマスを祝わないように、信仰に基づくイベントからは撤退しようと思うようになった。

最近は、日本でも欧米を真似、ハロウィンに盛り上がり、ピカピカ、キラキラとクリスマスの電飾にも力を入れる一般家庭も多いようだ。単純に「キレイ」とは思うが、そんな光景を目の当たりにすると、在米のわたしよりも、日本にいる日本人のほうがずっとアメリカナイズされているとさえ感じてしまう。

コミュニティーの季節行事としてはニュートラルに楽しんでいる。

長く住むうち染まっていく部分はもちろんあるのだろうが、アイデンティティーを意識するからこそ、良いところ、悪いところを見据え、自分にとって受け入れること、受け入れがたいことをふるいにかけるようにもなる。実際、ネットを介して多くの海外在住日本人と親交があるが、日本人であるという意識は在日日本人より高いと感じてしまうほどだ。生まれ育った国で築かれた知性や感性は、海外で暮らしているからといって、簡単に壊れるものではないのかもしれないと思うこのごろだ。

椰子ノ木やほい/プロフィール
冗談で夫に「せっかくアメリカで暮らしているのだから、1度でいいからハニーとかスウィーティーとか呼ばれてみたい」と言ってしまったことがある。以来、「おいっ!」に加えて「ハニー」が採用され、ときおりハニーと呼ばれる。が、わたしが日本人魂を抱えている限り、どう転んでもマジには受け取れないものだ。ましてや、日本人の昭和オヤジの口から出てきても超似合わない。唯一、どちらで呼ぶかで夫の機嫌がわかるというのは便利なことだが、わが家のアメリカナイズの大ヒットならぬ、大ハズレ!である。