エキゾチックなムード歌謡「カスバの女」の歌詞を思い出そうと記憶の糸をたどってしまうのは、ここがアラブのカスバに似ているから。「異邦人」の往く道のロバを車に変えたら、トレドになるにちがいない。そうだ!マラケシュとそっくりだ……。
そんなことを考えながら、そこドベール広場から続く石畳を大聖堂に向かって道なりに下って最初の4つ角で右折して、今度は大聖堂を背にして上り更に左に曲がると、ダマスキナード歴35年のホセさんの店「アタウヒア」に着きます。「アタウヒア」の意味は西日辞典にも載っています。「象眼細工」、「ダマスコ細工」と。
ガラス張りの店先をアトリエにし、真剣な面持ちで小型の金槌を叩いているのがホセさんです。金と銀の細い糸を、コインほどの鉄の台座に刻んだ溝に埋め込んでいるのです。彼の繊細な芸は何時間見つめていても見飽きることがありません。
「コンニチハ、鳩です!」
日本から来た来訪者に明るく話しかけてくれるのは、妻パロマさん。ショートヘアからのぞく耳たぶの先で軽やかに揺れているのは、ホセさんの作品です。パリのビストロや東京のカフェでワインを片手にした女性の首もとで揺れたら、センスの良さに多くの視線を浴びるようなピアスです。
平和のシンボル「パロマ」が、日本語で「ハト」だと教えたのは、いつか来たお客様だったそうです。このときから、彼女の日本名は「鳩」になりました。私も携帯には「はと」とひらがなで彼女の番号を登録しています。
写真左:本物の金糸と銀糸で埋め尽くされたアラブ風幾何学模様の大皿。あらゆる角度から光を放って目映い。
写真右:フリーメイソンのシンボルが中央に入ったバッジ。石工・建築職人集団としての定規とコンパスがモチーフ。
そんな2人が切り盛りするお洒落な店には、洗練されたアクセサリーやデコレーションがずらり。この世界の数少ない後継者ホセさんの店には、世界中からお客さんが集まります。
「あ、これは、ダビデの六角星?」
典型的なアラブ風幾何学模様や十字架模様のおしゃれなデザインに混ざっているのは、
二つの三角形を上下に重ねたユダヤのシンボル。
「世界中からユダヤ人のお客さんが来るのよ。先祖が住んでいた家の鍵を持って来る人もいるそうよ」
1492年にユダヤ人追放令を出した国、そのほぼ100年前から始まった異端審問とレコンキスタ(スペイン全土のカトリック化した国土回復運動)で異教徒を排除した歴史を持つ国の都が、トレドでした。すべての私財も家も捨ててスペインから逃げたユダヤ人たちの中には、「いつか戻ったときのために」と、鍵だけは持って行った人もいたのです。 「先祖が住んでいた家がまだあるかも」と、500年以上も前の先祖の鍵を持って自分のルーツ探しのためにトレドに帰ってくる子孫たちの話しが、時々地元の新聞を賑わせます。鍵が合いそうな数百年前の扉が残っているところが、この街の凄いところです。
「あれ?」
コンパスと尺をイメージした不思議なデザインの作品に目が引かれました。
「それねぇ、フリーメーソンのマークよ」
「ええ!? フリーメーソンが来るの? やっぱり実在するの、彼ら!? 」
「そうよ、来るわよ。普通の人々だもの。一番多いのはベネズエラからよ」
日本での私の行動範囲では目にしたことなどなかったマーク。そんな意外な話って、こういう店で聞けるものなのですね。ホセさんは、フリーメーソンの入団式で新メンバーに渡すバッジの注文も受けることがあるそうです。ライオンズクラブのように、なんだかメーソンが身近に思えて来ました。
「いやあ今日はね、あたしが連載を始めた小さなエッセイでお店を紹介したいのよ。ふたりのなりそめから話してもらいたいのだけど、よいかしら?」
そんな私の問いかけに、おしゃべり好きなパロマさんを制して、待ってましたとばかりに口を開いてくれたのは、いつも黙々と仕事に専念しているホセさんでした。仕事の話になると、もう止まりません!
「以前はね、トレドには2000人ものダマスキナードの職人がいたんだ。ボクが子どもだった頃、オヤジの工場(こうば)には18人いたよ。ボクはいつもそこで宿題をしていたんだ。凄い時代だったね」
「たまには、お手伝いしたんでしょ?」
鳩さんが合いの手を入れました。今年銀婚式を迎える夫婦は息が合います。
「そうさ。ダマスキナードの土台にする鉄鋼板をさ、18人分揃えさせられたんだよ。子どもだから、1週間に1度だけだったんだけど。 形が全部違うからね。全員の分を揃えるのに凄く時間がかかってさ。 大変だったけど楽しかったな」
ホセさんが初めて小さい作品を作らせてもらったのが12歳。凄く面白くてのめり込み、この仕事で身を立てる事を決意したのが15歳。時は、1970年代でした。
覚える事はたくさんありました。鉄鋼板にナイフで細かい傷を無数に付けて象眼しやすい土台を作り、デザインを描く。そのデザインに合わせて、金や銀の糸を金槌で叩き、専用のノミを使って埋め込み、釜で焼く。真っ黒にこげた鉄の上で、金と銀の模様が輝かしく浮かび上がります。これを磨いたら、完成。
話し出したら止まらないホセさんの目は、私を見ながらも、実は私など見ていないことがよくわかりました。彼は子ども時代や、お父さんのアトリエを見ていたのです。走馬灯のように、つぎつぎと浮かぶ思い出をつかんでは口から放つホセさん。そのうちに出てきた言葉に、驚愕の事実が!
《河合妙子(かわいたえこ)/プロフィール》
ライター、フォトグラファー。トレド(スペイン)在住。昨年担当したガイドブックは 『ララチッタ』、『るるぶ』、『aruco』、『地球の歩き方』、『空旅』 。また BS日テレの番組『大人のヨーロッパ街歩き』トレド編でナビゲーターを担当し、アナウンサーの富永美樹さんと、文字通り、街を歩き回りました! インターホームさんの『海外インテリアブログ』(連載4年目!)でもスペインの素顔を紹介しています。ぜひ、ご覧下さい!