第11回 移民VS国際結婚 (vol.3)

雪がとけてかすかに湿った砂利道を、ベビーカーを押しながら歩いてゆく。ケルホが終わったあとの外国人同志の付き合いでは、職員の前では見られない本音がポロっと出てきたりもする。大勢いるところでは躊躇されるような、ちょっと個人的な話も。

アンドレーサの話題にひと段落つくと、ハズビエはちょっと息を飲んでから、「ねぇ、サチコ。フィンランド人と結婚してるってどんな感じ?」と聞いてきた。

「へ?」不意をつかれて私は詰まった。「えええ、そうねぇ……?」と目を泳がせていると、「いろいろ旦那さんに手伝ってもらえて、楽なんじゃない?いいなぁ~」先回りして、ハズビエは胸を膨らませている。

「うちなんて大変よぉ。家族全員コソボ人で、フィンランド語もよく分からないのに、フィンランド語で書かれた書類の手続きや請求書の支払いを自分達で全部やらなくちゃじゃない?だからケルホがあって助かる。サチコの場合、全部それ旦那さんがやってくれるんでしょ」「そう、そうねぇ――」

ケルホに入会してきたアフガニスタン人のビビアン(左)と私

そう聞いてしまうと、彼女たちは家族で異国の地に住むことを選んだ、本当の意味での「移民」という気がする。私は確かに地元の人、つまり夫との縁があってフィンランドに住んでいるので、そこから受ける恩恵は確かに膨大なのだろう。私は乳児だった長男を連れて、最寄りの役所で住民登録した日のことや、警察署でビザの更新をした日のことを思った。私に代わってフィンランド語で設問が書かれている書類にすらすらと記入してくれて、担当者とさっさと話を付けてくれた夫。ハズビエ達の生活にはこういう人がいない。

が同時に、来て一週間後に夫から言われた「まだゴミの収集所の場所もわからないの?!」とか、夫が冷蔵庫に常備していた、水で薄めて使う濃縮ジュースを、私が飲んでそのまま補充しないで冷蔵庫に戻したら「なんでも人にやってもらえると思って、君はただ乗り精神旺盛だね」などと小言や嫌味を言われた日の事も頭をよぎる。さらに、初めて地元のスーパーに連れて行ってもらった時に、レジでは日本のように商品を入れたかごをそのまま台に載せるのではなく、電動で流れるベルトコンベアーに一つ一つ商品を乗せることが瞬時にわからずもたついてしまった時や、フィンランド語の表示がわからなくてATMの使い方を教えてもらった時に「ああもう、何でこんなこともわからないんだ!」と公の場で癇癪を起した夫の事を考えると、決して楽だったとは思えない。

ハズビエにこれらの出来事を一つ一つ説明すると、「あらら、国際結婚でもそれなりに大変なのね」と驚かれてしまった。「うちだけかもしれないけれど、外国人を地元の人が迎えるってそれなりに大変なのよ。夫の気持ちもわからないでもないけど、夫のお世話にならなきゃ生きていけないような身分って私は嫌いなの」きっぱりと言い切る私の言葉は少し震えた。「あなたたちこそ、一つ屋根の下で、それぞれが外で闘って帰ってきたところに、例えばコソボ料理をみんなで囲んでみんなで美味しいねって言い合えるんでしょ?それって素敵なことじゃない?」

ミモザとシポニアが振り返ってハズビエに何か叫んでいる。ハズビエが訳してくれて「今日、タリヨイスタロで子供服がバーゲンなんだって。サチコも行く?」と誘ってくれたが、間もなく長男が帰ってくる時間なので、断って帰ることにした。

帰る道々ベビーカーを押しながら思い出したのは、父の仕事の都合でタイに住んでいた日々のことだった。インターの幼稚園で、理解できるわずかな英単語を手掛かりになんとかやり過ごして帰ってくると、家の中は4人の日本人で構成された小さな日本だった。バスで日本人小学校に通っていた姉、タイ人と共に職場で働いていた父に、毎日の家事をタイ人のメイドさんとの共同作業でこなしていた母。それぞれが異文化で闘いながら家族で囲む食卓には、天ぷらやお味噌汁など家族共通の美味しいものが並んでいた。――私が夫と築き始めたフィンランド×日本の家庭では、まず“美味しいもの”の定義からして異なる人種が食卓を囲んでいる。

靴家さちこ(くつけさちこ)/プロフィール
1974年生まれ。フィンランド在住ライター/ジャーナリスト。青山学院大学文学部英米文学科を卒業後、米国系企業、フィンランド系企業を経て、結婚出産を機に2004年よりフィンランドへ移住。『Love!北欧』『FQ』』などの雑誌・ムックの他、『PUNTA』、『WEBRONZA』などのWEBサイトにも多数寄稿。共著に『ニッポンの評判』、『お手本の国のウソ』(新潮社)、『住んでみてわかった本当のフィンランド』などがある。※9月29日から発売のGakken Interior Mook『北欧ヴィンテージとセンスよく暮らす』では北欧3か国からの取材執筆を担当しました!