第13回 新メンバーとタイの女性達

ケルホのない金曜日にアンドレーサと会うのはどうだろう?――と何度か考えたことがあったが、月曜日から木曜日までケルホに通いづめの私は、金曜日には次男を連れて外出するだけで精一杯だった。コソボ人達からラテンなまりのフィンランド語を揶揄され、すっかりしょげかえったアンドレーサではあったが「もう二度とケルホには来ない」とまでは言っていない。

何度かケルホを休んで、アンドレーサの家でお茶を飲んだり、子ども連れでお昼ご飯を食べたりしたこともあったが、私の方からは「もうケルホには来ないの?」と聞くことも「ねぇ、たまにはケルホに来なさいよ」とは誘うこともできなかった。ただ何度となく強調していたのは、ケルホに行くと午前中まるまるフィンランド語漬けになるので、言葉の上達の為には行かない手は無い、そして、そこに集まる全ての外国人女性と友達になる必要などないということだった。

アンドレーサが不在の間にも、ケルホには新しいメンバーが続々と現れた。それは、街中で夫と共にピザレストランを営むクルド人女性であったり、メリヤやパオラを差し置いてフィンランド語の文法をフィンランド語ですらすら説明できる頭脳明晰なロシア人女性や、抑揚の激しい言葉でにぎやかなタイ人女性たちでもあった。新しいメンバーの中には一度来たら二度と来ない人もいたが、8割方、心地よく通ってきていた。

中でもそのピザレストランのクルド人女性の来訪は印象的な事件だった。彼女はケルホの部屋の真ん中で自己紹介をすると、その場に居合わせたメンバーをじろりと目でなめまわした。やや圧倒されながら、私たちもそれぞれの国籍と名前を紹介すると、コソボ人達に向かって鼻を鳴らしながら、「あなたたちがコソボ人だって一目見て分かってたわ」と言い放った。誇張ではなく、私はその時、ハズビエのショートカットのくせ毛が逆立つのを目撃し、「うちのピザはケラヴァで一番美味しいのよ!」と胸をそらす彼女に向かって、シポニアが「フン」と鼻を鳴らしたのも聞き逃さなかった。クルド人は、他のメンバーの国籍についても、ちょこちょこ言及したが、私については一言も触れなかった。私は「あなたはタイ人でしょう?」とでも言われて「残念でしたブー!」と返してやるのを心待ちにしていたのだが。

翌日、「一体なんなのあの女」とブーイングが吹き荒れるケルホに、クルド人は来なかった。昨日の様子だととても通ってきそうに思えたので、パオラに「どうしてかしら?」と聞いてみると「うーん、定着しない人はしないのよ」と軽く肩を上げた。それからまたしばらくして、一人現れ、二人、三人と増えてきたのはタイ人だった。5歳の頃父の仕事でタイに住んでいたことがある私は、二十数年もの時を経て、ものすごく懐かしい感じの彼女達を心から歓迎した。タイ人女性達は、コソボ人とはまた違った様子で群れた。キャッキャと声のトーンも高く、繊細で湿度の高いコミュニケーションの取り方が、日本的だった。フィンランド人と結婚していて、子連れで来ている人がほとんどだったが、そのうちの一人はまだフィンランド人の彼と同棲しているだけという若い子だった。強い日焼け止めとファンデーションをしっかり塗った顔に、やはり焼けやすい肌を持つ私は強い親近感を覚えた。

「私も子どもの時バンコクに住んでたの!」すんなりと私は彼女たちの輪の中に打ち解けていった。「ええ?本当に?」と口ぐちにカン高い声で反応してくれたのは、その同棲女子と1歳になったばかりの女の子連れのアプリ、5歳の女の子と2歳の男の子連れのゴイである。私が通い始める前からケルホに出入りしていた古株のタイ人女性も一人いたのだが、彼女は同郷の者とは群れることなく、どちらかというと同じ古株のコソボ人と良く打ちとけていた。さらにまた一人通ってくるようになったタイ人のヴィライは、両の口角をギュッと上上げるものの、目だけはギラギラ光って笑わない。このように、それとなく群れの中の黒い羊を思わせる彼女は、後に再びアンドレーサを逆上させる事件を二度三度と起こすことになった。

靴家さちこ(くつけさちこ)/プロフィール
1974年生まれ。フィンランド在住ライター/ジャーナリスト。青山学院大学文学部英米文学科を卒業後、米国系企業、フィンランド系企業を経て、結婚出産を機に2004年よりフィンランドへ移住。『Love!北欧』『FQ』』などの雑誌・ムックの他、『PUNTA』、『WEBRONZA』などのWEBサイトにも多数寄稿。共著に『ニッポンの評判』、『お手本の国のウソ』(新潮社)、『住んでみてわかった本当のフィンランド』などがある。※Gakken Interior Mook『北欧ヴィンテージとセンスよく暮らす』では北欧3か国からの取材執筆を担当。好評発売中です!