第5 回 オコメノクニからジャガイモノクニへ

ポーランド人と結婚してポーランドに住むことを決めたとき、誰よりも驚いたのが私自身だったかもしれない。2001年の秋、ポーランドに留学する前には両親に「国際結婚の心配はしないで。だって何よりも白いご飯が大好きで、毎晩お風呂でゆっくりするのが至福のときなの。1年の留学期間なら我慢できても、それ以上は無理!」などと豪語してポーランドへ旅立ったのだから。

留学中に知り合った夫は当時、文化人類学の分野で日本文化研究者を目指して修士課程に在籍する学生だった。そんなに日本が大好きなら、日本の研究を続けてさえいれば将来一緒に日本に住むこともできるかもしれない、との思いが頭をかすめたことは否めないが、日本のおいしい白米よりも、いつでも入れる温かいお風呂よりも、夫を選んでポーランドで結婚生活を始めることを決心したのだった。

「住めば都」とはよくいったもので、最初のうちこそ「もう簡単に日本に帰れない」という不安感に襲われたり、日本の両親や友人にすぐに会えない寂しさにかられたりしたが、月日が経つにつれ、そんなことは取るに足らないちっぽけなことに変わっていった。

変わった理由のひとつには、ホームページやブログを開設し、その後ライターとしての執筆活動を始めたことが挙げられる。夫がホームページを作成してチラの写真をたくさん載せたいと思っていたそうで、それならば、と日本語とポーランド語の2か国語で、お互いの関心分野である相手の国のことについて紹介するホームページを作ってみることにしたのだ。2003年11月のことだった。もちろんチラのコーナーも用意し、たくさんの写真を掲載した。

私のお気に入りのチラの写真(2003年1月)。出会った頃はこんなだったかな

チラとは、私が留学に来たのとほぼ同時に夫のもとへやって来たというコリー犬だ。私は子どもの頃から犬を飼いたいと思っていたので、初めてチラと会ったときは嬉しくてたまらなかった。コリーについても不思議な思い出がある。小学生になったばかりの頃だったか、近所に子ども図書館ができた。他の子どもたちと一緒に出かけていった私が初めて借りた本が『名犬ラッシー』だった。絵本しか読んだことのないような私が選んだ“本格的な”本を見て、母が大変驚いていたのを今でも覚えている。どうしてその本がよかったのかは私にも分からないが、挿し絵などで何か惹かれるものがあったのかもしれない。それ以来、コリーというのは心のどこかで特別な存在となっていた。

ホームページに設置した掲示板に、様々な感想やコメントが寄せられるようになると、ポーランドのことを伝える喜びを感じるようになっていった。私は子どもの頃から書くことが好きで、日記もよく書いていた。ちょうどブログが流行りだした頃だったか、2005年7月からポーランドの生活の様子を伝えるブログを始めてみることにした。ホームページとは違って簡単に写真や記事をアップできるブログは、ポーランドの日常生活を伝えるのにぴったりのツールだった。そしてその1か月後、今度はポーランドのサーバー内にポーランド語のブログを開設。ポーランド語でブログを書けば、ポーランド語の練習にもなり、ポーランド中にたくさんの友達ができると考えてのことだった。こちらには「日本人としてポーランドに住むということ」をテーマに、日本のことを紹介しつつ、日本と比べて気がついたことを綴っていった。これが大当たりで、ブログを更新するたびにコメントがつき始め、さらには常連の読者までつくようになった。メールでファンレターをもらったことも! 2つのブログを通じて実際に会ったり、メール交換したりするような友人に巡り会えたとき、ブログを始めてよかったと心から思えた。

その後、2006年頃からこの『地球はとっても丸い』の活動に参加するようになり、それを足がかりとして、ポーランド在住ライターとしての執筆を開始。ブログのように気ままに思ったことを綴るのとは違い、依頼されたテーマに沿って仕事として文章を書くことに、最初はとまどうこともあったが、もう知り尽くしていると思っていたポーランドを再発見するような面白さもあり、これからもずっと私の大切な仕事になるという予感がしていた。

執筆活動が軌道に乗り始めた2007年夏、日本文化研究を続けて博士課程に在籍していた夫が、学術振興会からの研究費を受けて念願の日本長期滞在をすることになった。期間は翌春までで、滞在先は千葉県佐倉市。そこには国立歴史民俗博物館があり、そこに勤務する民俗学者である教授が夫を共同研究者として受け入れてくださったのだった。大好きな白米がたっぷり食べられる嬉しさがこみあげつつも、原稿用のポーランドの写真を簡単に撮影することができなくなるという不安がこみ上げたりするなど、結婚直後の日本への“ホームシック”がウソのように思える気持ちの変化もあった。なんと日本滞在中にポーランドのジャガイモが恋しくなるという一幕も! 夫のためにポーランド料理を作ったとき、それに合うのはやはり白米ではなくジャガイモだったのだが、ポーランドのそれに比べて、日本のはどうしても甘みが足りないように感じてしまったのだ。こうしていつの間にか、日本のオコメと同じようにポーランドのジャガイモも、私にとって欠かせない食べ物となっていたことに気づいたのだった。

盛り付けをすると、あまりのおいしさについついジャガイモを載せすぎてしまう……/ポーランドで食べる日本の味もまた美味

楽しい時はあっという間に過ぎてしまうもので、9か月間の滞在はあっけなく終わってしまった。成田行きの飛行機に乗ったときは夫と2人の旅だったのが、帰りのポズナン行きの飛行機ではお腹の赤ちゃんを合わせて3人になっていた。日本滞在をはさんで、新しい私のポーランド生活第2章が始まろうとしていた。

スプリスガルト友美/プロフィール
ポーランド在住ライター。日本長期滞在がついこの間のことのように思い出されるのに、いつの間にか娘は日本ではこの春から小学生になる年齢になっていた。ポーランドでは9月入学なのだが、先日無事に希望の小学校への入学が決まり、親子共々ほっとしているところ。ブログ「poziomkaとポーランドの人々」http://poziomka.exblog.jp/