第22回 エジプトで目から鱗

KFCスフィンクス店からのピラミッド

去年のクリスマスはエジプトのカイロですごした。2010年にトルコ経由でチュニジアに行って以来、久々のアラブ圏に心が躍った。常日頃、アメリカ経由でメキシコに行くことが多い。アラブの国の出入国スタンプがパスポートにたくさん押されていると、アメリカ入国時に時間がかかるということもあり、なかなか機会が巡ってこないのである。

エジプトの公用語はアラビア語だ。英語もスペイン語も通じないのはやはり面倒くさい。しかもエジプトの客引きはしつこいとよく聞く。近くにショッピングセンターがあるのをこれ幸いと、投宿先である4つ星ホテルにこもろうかと血迷いかけたものの、ついに重い腰を上げて最寄りのバスターミナルへと向かった。

アラビア語がわからなくてもアラビア数字なら読めるはず。という思いこみはあっさり裏切られた。バスの番号がなにやら見たことのない面妖な記号で表されているではないか! いわゆる算用数字はアラビア数字、アラビア語の数字はインド数字なのだそうだ。なんでもアラビアのインド数字がヨーロッパで変化したものがアラビア数字であるらしい。アラビアがインドでインドがアラビア?!

そんなこんなで、北米やアジアごときではもはや落ちることのない、目からの鱗を大量にカイロに落としてきた。エジプトでは2013年に政変が起きている。だから、用心のために市内ではなく、空港近くに泊まっていた。カイロの中心にあるタフリール広場の地下鉄駅も考古学博物館も閉鎖されたままだった。

私の次に別のスタッフがエジプトに飛んだとき、空港で爆弾が見つかり、市内で手榴弾が爆発した。そう言えば、私がチュニジアにいたちょうど1ヶ月後にジャスミン革命が起きたのだった。革命の最中に飛んだスタッフはチュニスの空港からイスタンブールへとんぼ返りした。チュニジアのジャスミン革命に触発されて、アラブ圏では次々に反政府運動が起こった。これがアラブの春である。2011年のエジプト革命もそのうちのひとつだ。

カイロでだまされもせず、ぼられもせず、それどころかあっちこっちで親切にされて順調だったのに、最後の最後にシステムダウンと外貨切れにはばまれて、空港で再両替できなかったエジプト・ポンドは今も手元にある。あれからずっとチュニジアに飛ぶことがないように、しばらくエジプトに運ぶ仕事もないのだろう。

ちなみに、エジプト人のしつこさはインド人の足下にも及ばなかった。さすがインド人、恐るべし。

片岡恭子(かたおか・きょうこ)/プロフィール
1968年京都府生まれ。同志社大学文学部社会学科新聞学専攻卒。同大文学研究科修士課程修了。同大図書館司書として勤めた後、スペインのコンプルテンセ大学に留学。中南米を3年に渡って放浪。ベネズエラで不法労働中、民放テレビ番組をコーディネート。帰国後、NHKラジオ番組にカリスマバックパッカーとして出演。下川裕治氏が編集長を務める旅行誌に連載。蔵前仁一氏が主宰する『旅行人』に寄稿。新宿ネイキッドロフトで主催する旅イベント「旅人の夜」が7年目を迎える。ロックバンド、神聖かまってちゃんの大ファン。2015年現在、47カ国を歴訪。処女作『棄国子女-転がる石という生き方』(春秋社)絶賛発売中!

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