第16回 パウラの裁き
夏の日に、虫よけと日除けにネットをすっぽりかけた次男のベビーカー。 これを押して来る日も来る日もペルヘケルホに通った。

アンドレーサの話によると、ちょうど私が次男と来る一日前、ケルホでは、パウラやメリヤは別の用事で隣室にこもりっきりで、アシスタントのロアンも休みだった。そういう日でも、ケルホはもう長い事通い詰めている移民だらけなので、自分たちで勝手にお茶やコーヒーの準備はできる。しかし、そんな日に限ってヴィライがケルホで財布を無くしたと騒ぎ始めた。

ヴィライはひどく取り乱して財布を探した。ハズビエが「家に置いてきたんじゃないの?」と聞いても頑なで、「絶対ケルホに持ってきたはず!」と引き下がらなかった。そして、ヴィライは真っ先にアンドレーサに聞いたのだ。「あなたの鞄の中を見せて」と。アンドレーサは、すっくと立ち上がると自分の鞄を逆さまにしてボトボトと中身を全部落として見せた。そして「さぁ、今すぐ電話してポリーシ(警察)を呼びなさいよ!」と言い放ったのだそうだ。

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そこまで私に報告するとほっとしたのか、アンドレーサはぷっと笑った。私も思わず一緒に笑ってしまったが、アンドレーサの目の両端からは、笑い涙以上の量の涙があふれてきた。その次の日、アンドレーサはケルホに来なかった。それ以外にはケルホは通常通りで、私はパウラとメリヤに、次男はロアンから温かく歓迎され、バケーション中に出かけた旅先や日本での出来事を語った。ヴィライもお財布騒動などおくびにも出さず、みんなと談笑していた。あまりの普通さに、この事件がこのまま忘れ去られるのかとさえ思った。

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その次の日、お茶の時間の前に思いつめたような顔をしていたパウラが口火を切った。「ヴィライ、あなた、ここで財布を無くしたんですって?」ヴィライが笑顔でふり返り「ああ、それね。ラッキーなことに家で見つかって……」と答えると、パオラは激昂した。「このケルホの中で仲間を泥棒扱いするのはやめてちょうだい!」面食らったヴィライに向かってパウラは矢次早に問い詰める。「お財布はどこにあったの?」「家です」「あなた誰に向かって鞄の中を見せろと言ったの?」「みんなに……」

さらにパウラが「あなた、そんな事をして恥ずかしくないの?」と問いただすと、ヴィライは声をふり絞って「だって、財布の中には私の銀行カードと一緒に暗証番号をメモした紙が入っていたんですよ!」と反撃した。「では、何でまず家に電話して家の人から確認してもらわなかったの?旦那さんは家で仕事しているんでしょう?!」と聞かれたヴィライは顔を真っ赤にして「そんな事をしたら、そんな事をしたら……夫に『またヴィライがヘマをして!』って怒られると思ったんです!」と叫んだ。「あなた、何かみんなに言うこと無いの?」とパウラに促されても一瞬ピンと来ないような顔をしたヴィライは、パウラに「ごめんなさいでしょう!」と激怒されて慌てて「アンテークシー」と謝罪した。

私はこの場にアンドレーサが居なかったことを返す返す残念に思いながらも、このお財布騒動におけるヴィライの慌てぶりは他人事のようには思えなかった。

もし私がまだ日本に住んでいて、日本人の伴侶と暮らしていたとしても、財布の紛失などの大きなミスをやらかした日には正直に申し開きをしなければならないだろう。でも、夫の国に住む外国人という身で同じ規模のミスをやらかしたら、心配されたり怒られたりする度合いはちょっと大きい気がする。通常なら「全く君はそそっかしいんだから!」で済むべきところに「全くこれだから外国人は!」という要素も被さってくるのではないだろうか。とりわけ、日頃から「フィンランド人の夫と結婚したからにはフィンランドのやり方に慣れないと」と意気込み、「私はもちろん、がんばって実践してますよ」と鼻息が荒いヴィライなだけに、その狼狽ぶりはちょっと意外で、意外なだけに痛々しくも感じられたのだ。

またこの件で私が改めて思い知ったのは、パウラのケルホに対する真摯な強い想いでもあった。最後には「今後ケルホで貴重品が紛失したり、何か困ったことがあったら、まず職員に相談するように」と簡潔に締めくくったものの、いわゆる公務員が、仕事のことであれだけ本気で怒った姿を見たことは後にも先にも無い。私は頭が下がる思いでパウラを見つめた。

ヴィライは、その後私にまで「アンテークシー」と頭を下げにきた。私は「その時私は居なかったのよ。謝るならアンドレーサにして」とだけ言うにとどめた。本当は同じうっかり者として「血が凍ったでしょう!大きなミスやらかして、『旦那に怒られる!』って思う瞬間って嫌よね」などねぎらいの一言でもかけてやりたかったのだが、不愉快な思いをさせられたアンドレーサのことを思うと、これ以上言葉を繋ぐ気にはなれなかった。

アンドレーサはまたケルホに来るだろうか?お節介は100%承知で、帰りに彼女に電話して今起こったばかりのことを報告したい衝動に駆られながらケルホを後にした。

《ペルヘケルホ人物紹介》
筆者=靴家さちこ:フィンランド人の夫との間に二人の男児を持つ日本人。外国人母子向けの児童館「ペルヘケルホ」に通い始めて間もなく1年が経とうとしている。

パウラとメリヤ:ケラヴァ市がプロジェクトとして認可した「ペルヘケルホ」を運営する職員。二人ともフィンランド人。

ロアン:ケルホに最も多く集まるベトナム移民向けに翻訳と通訳もこなす、ペルヘケルホのアシスタント職員。

アンドレーサ:筆者の夫の親友の妻でブラジル人。筆者の次男と同い年の長男を連れてケルホに通ってくるようになった。

ヴィライ:フィンランド人の夫との間に男児と女児を持つ、タイ人のママ。数か月前からケルホに通ってくるようになった。

ハズビエ:ケルホ創設時から通ってきているコソボ人。同郷の男性とフィンランドに移住し、3人の子どもを育てている。

靴家さちこ(くつけさちこ)/プロフィール
1974年生まれ。フィンランド在住ライター/ジャーナリスト。青山学院大学文学部英米文学科を卒業後、米国系企業、フィンランド系企業を経て、2004年よりフィンランドへ移住。『Love!北欧』『FQ』などの雑誌・ムックの他、『PUNTA』、『WEBRONZA』『ハフィントンポスト』などのWEBサイトにも多数寄稿。共著に『ニッポンの評判』、『お手本の国のウソ』(新潮社)、『住んでみてわかった本当のフィンランド』などがある。※Gakken Interior Mook『北欧ヴィンテージとセンスよく暮らす』では北欧3か国からの取材執筆を担当。好評発売中です!