第2回 “母国語”で“母国語”を学ぶということ

ポーランドの1年生用の練習帳。その日に学んだ文字を使った短い文章も

時折考える。娘の母国語は何語なのだろう。

ポーランドでも日本でもよく聞かれた質問がある。
「英語で勉強できる学校に通っていたんですか?」

私たちにとって、娘は「日本人」であり「ポーランド人」であるので、通う学校はどちらの国でも地元の学校で、そこの言語で学ぶことが普通だと思っていた。しかし周囲の人たちは、「日本人がポーランドの学校へ通う」または「ポーランド人が日本の学校へ通う」というイメージを持っているようで、前述の質問につながったのかもしれない。要は「日本人なのにポーランド語で勉強できるの?」、「ポーランド人なのに日本語で大丈夫?」ということなのだ。

我が家では娘が生まれたときから、一親一言語方式(父親である夫がポーランド語で、母親である私が日本語で話しかける)を徹底してきた。そのため、私はポーランドにいながらも日本語の絵本を読み聞かせていたが、成長するにつれ、娘のほうは私にポーランド語の本も読んでもらいたいと言い出すように。そこで両方の本を交互に読み始めたのがいけなかったのか、幼稚園に通い始めたから仕方なかったのか、次第に私が日本語で話しかけても娘はポーランド語で返事するようになってしまった。つまり、日本語で言っていることは分かるのだが、日本語で答えることが難しくなってしまった(面倒になってしまった?)のだ。その都度私が日本語で言い直したり、聞かれた言葉で答えるように説明したりしていたのだが、そんなやり取りに段々私のほうが疲れてきてしまった。日本に半年滞在することが決まったのは、そんな矢先だった。

ポーランドで生まれ育った娘にとって、母国語はやはりポーランド語なのだろうかと思い始めていた私は、日本人が日本語を勉強する国語の授業で、娘がどのように感じるのか気になっていた。

1年生の国語の授業といえば、文字の勉強から始まる。ポーランドでは英語のアルファベット(Q、V、Xを除く)に特殊文字9つを合わせた32文字を覚えればよいけれど、日本ではひらがな・カタカナに加えて漢字まで覚えなければならない。娘が日本の学校に転入したのは、ひらがなとカタカナの勉強はほぼ終了しており、ちょうど漢字の勉強が始まった頃のこと。みんなと一緒に漢字の書き取りの練習をすることが楽しかったのか、ひらがなやカタカナよりも漢字のほうが先に上手に書けるようになったという一幕も。そのうち音読の学習も始まった。題材は娘の大好きな『ぐりとぐら』でおなじみの中川李枝子さんの作品『くじらぐも』。体育の授業中、空に大きな雲のクジラが現れ、先生と子どもたちがみんな一緒に空まで飛んで、くじらぐもの背中に乗せてもらうというかわいらしいお話だ。何ページにもわたる長いお話なのに飽きもせずに、スラスラ読めるようになるまで何度も練習していたのが印象的だった。

ポーランド語の文字練習帳。ブロック体ではなく、筆記体を練習していく

一文字一音のひらがなが読めるようになればそのままひらがなの文章なら読めるようになる日本語とは違い、ポーランド語は文字の並び方で読み方を考えなければならない。例えばpapier(パピエル=紙)、torba(トルバ=かばん)、oko(オコ=目)などローマ字読みにできる単語も多いが、rz、dz、czのように2文字でひとつの音になる組み合わせもあるので、子どもたちはどうやってそれを覚えていくのかと思っていた。するとアルファベット文字に続けて、そのような2文字の組み合わせの練習ページが出てきた。そしてその文字を使った単語の例や短い文章を、読んだり書いたりする練習をしながら、読み取り・書き取りの力をつけていくのだった。教科書に登場するのは物語ではなく、リズミカルな詩が多い。最近の授業ではユリアン・トゥーヴィム(Julian Tuwim ― 子どものための詩を多数残した有名なポーランドの詩人)の作品の中から『Abecadło(アルファベット)』という詩を音読。アルファベットの文字が暖炉から落っこちて壊れてめちゃくちゃになってしまった様子をユーモラスに描いたもので、アルファベットの勉強をしたばかりの子どもたちにうってつけの作品だ。娘は幼い頃から親しんでいたが、文字が読めるようになって改めてこの詩の楽しさが理解できたようだ。

帰国後困らないようにと、日本滞在中はあらかじめ持ってきた教科書や練習帳を使いながら、少しずつポーランド語の文字を書く練習をしていた娘。そのかいあってか、戻ってから国語の授業にうまく入っていけたようだ。とはいえ、最初の1か月は「ポーランド語を聞き取ることができても話せない」というまさに半年前とは逆の現象が起きてしまっていたのだが、それもすぐに元に戻った。そうなるとまた私が日本語で話しかけてもポーランド語でしか返ってこなくなるかと寂しく思っていたのだが、今のところ私とは日本語のみ、夫とはポーランド語のみで会話できている。“母国語”で“母国語”を学んできた成果か、思いがけず「脳内2言語」が形成されたのかもしれない。

日本で日本人として国語の勉強をしてきた今、娘は何語を母国語だと思っているのだろうか。できればどちらの言葉も大切な母国語にして、自由に両国を行き来しながら成長していってもらいたいと思う。

スプリスガルト友美/プロフィール
ポーランド在住ライター。ポーランドでは小学1年生から週2時間の英語の授業がある。娘の様子を見ていると、英語は外国語、ポーランド語と日本語は母国語、と認識しているように見える。親から見れば、英語が入ったことで日本語が消えていってしまわないかと気が気でならない。
ブログ「poziomkaとポーランドの人々」