第21回 ヴィライが吠える

8月のフィンランドは寂しい。私の場合、もちろんそれは、日本に里帰りして戻ってきたばかりの寂しさからくる部分が大きい。が、そうでなくても、北欧の夢のように短い夏の終わりが近付くこの季節には、そよぐ風の涼しさに安堵はするものの、じわじわ早まる日没時間に「次の季節を受け入れる心の準備をせねば」という気持ちにさせられる。そしてジーンズに長袖を羽織って出かけるような天気でも、短パンにランニングシャツという往生際の悪い人を見かけると苦笑を禁じ得ない。

子供達の学校も始まり、ケルホ通いに日常が戻った、そんな8月下旬のある日、ヴィライがヘルシンキ=ストックホルム間往復のフェリーの旅から帰ってきた。IT企業の事業主であるフィンランド人の夫を持つヴィライの話は、いつ聞いてもスケールが大きい。車一台買うにも、税金が安いからドイツまで買いに行ってきただの、フィンランドを一周するためにキャンピングカーを買ってきただの、といった具合だ。それにしては今回は単なる船旅で、しかもオフシーズンで安いチケットの旅だったので、「ちょっと普通だなぁ」と思って話を聞いていたら、そうでもなかった。

「もうねぇ、ビュッフェで食べ過ぎちゃって! 私ったらこんなよ!」とお腹の肉をつまんで豪快に笑うヴィライを囲んで、ケルホは華やいだ。さらに「見てよこれ! これ、フェリーの中の免税店で買ったのよ!!」と言って、ヴィライはゴールドのG文字の装飾が光り輝くGUESSというブランドの長財布を鞄から取り出してふりかざした。子供を二人も産んだら財布など「やぶけてなければそれでいい」ぐらいの人もいるのだが、ヴィライの目は本気で輝きを放っている。

日本への里帰りの飛行機の中で、ミルクを飲む次男。一人飲みがうまかった

その場にいたメンバーの誰も、仲良しのシポニアでさえも何も聞かないので、パウラが「旦那さんに買ってもらったの?」と聞くと「いいえ、私、自分で買ったのよ!」とヴィライは鼻息を荒くした。「でもね、聞いて! それで私、旅行中に夫にも姑にも怒られたのよ!!」声高に叫ぶヴィライの口は大きくへの字になっていた。

「なんで、怒られたのかしら?」とパウラが聞くと、「そうでしょ、私のお金で買ったのに! 私は、今、働いてないけど、家で子供たちの面倒を見ているから、社会保険庁から育児手当が支給されているわけじゃない? それって私のお給料みたいなものでしょう? それなのにあの人たち!!」憤慨が止まらないヴィライにパウラとメリヤがストップをかけた。

「あのね、ヴィライ。あなたの言うことは、確かにそういうものでもあるけれど」とパウラ。「それは、子供を育てる上で必要なお金を国が保障しているもので、あなただけに支払われているわけでは無いのよ」とメリヤ。「そう、あなたの家族みんなで使うお金なのだから、あなたが勝手に自分の買い物をしたのであれば、それは怒られても仕方ないわ」とパウラ。

二人から次々と説き伏せられてヴィライの口はますますヘの字に曲がった。「ええ? でも夫は仕事ばかりで育児はほとんど私が一人でやっているのに……」とまだ不満そうなヴィライに、「そうかもしれないけど、フィンランド人の私達だって、家庭に支給されたお金の使い道は夫とまず相談するわよ」とパウラ。「そのうえで、あなたが一人で育児を頑張っているから新しいお財布をその中から出しましょうってことになったら、それは良いと思うけどね」とメリヤ。

フィンランドでは確かに子供たちを保育施設に入れずに自宅で面倒を見ている人には「在宅育児手当」(Kotihoidon tuki:3歳以下の子供一人につき月に341.27ユーロ、3歳以上就学前の子供一人につき65.54ユーロ。家族の人数と総所得によって、最大月額182.64ユーロの追加補助もある)が支給される。ヴィライの場合は、上の子供はもう保育園に通っているので、一緒にケルホに通ってきている二番目の子供の分を受給しているのだろう。

それ以外にも17歳以下の子供がいる家庭には月額95.75ユーロの「育児手当」(Lapsilisä:正確には一人目の子供には95.75ユーロ、二人目には105.80ユーロ、三人目には135.01ユーロ、4人目は154.64ユーロ、それ以上については一人につき174.27ユーロ)が支給される。恐らくパウラ達が言っているのは、その育児手当のことのはずだ。ヴィライがどちらの手当てのことも「Lapsilisä」と言うので、話は微妙にかみ合っていなかった。(2016年6月10日現在、1ユーロ=約120円 )

育児手当に関しては、私はメリヤとパウラに100%賛成するが、在宅育児手当に関しては保育施設を利用せず家で子供を育てる親への報酬のようなものである。なのでほとんど「一人で子育てをしている」というヴィライの言い分に加担したいところだった。が、それにしても、ここまで大胆に「私のお金」と公言し、それに基づきアクションを起こす人を身近で見たのは初めてだったので、やはり新鮮だった。

さらにこうしてパウラやメリヤの話を聞いていると、私達より一世代年上のフィンランド人女性の実像は、想像以上につつましい。「女性が強い国」「男女平等の国」といわれるフィンランドとはいえ、男性と共に家庭を築いている以上は「私のお金は私のお金!」という具合には生きられないようだ。それはいつの日か夫が言ってた「フィンランドはドイツじゃないんだから、夫婦の財布は一つだ」と言った言葉を裏付けていた。ただでさえ外国人で、夫に相談してから行動に移すことが多い私としては、ちょっと窮屈な話に聞こえた。稼いだら稼いだ分だけ自由に使えるお金が増えるわけでもないのに「男女平等」とは、ちょっとモチベーションが下がる気もした。

《ペルヘケルホ人物紹介》
筆者=靴家さちこ:フィンランド人の夫との間に2人の男児を持つ日本人。外国人母子向けの児童館「ペルヘケルホ」に次男と通い、フィンランド語を鍛えている。

ヴィライ:フィンランド人の夫との間に男児と女児を持つ、タイ人のママ。数か月前からケルホに通ってくるようになった。

パウラとメリヤ:ケラヴァ市がプロジェクトとして認可した「ペルヘケルホ」を運営する職員。二人ともフィンランド人。

シポニア:ケルホ創設時から通ってきているコソボ人。同郷の男性とフィンランドに移住し、ケルホに通う娘を含む2人の子どもを育てている。

靴家さちこ(くつけさちこ)/プロフィール
1974年生まれ。フィンランド在住ライター/ジャーナリスト。青山学院大学文学部英米文学科を卒業後、米国系企業、フィンランド系企業を経て、2004年よりフィンランドへ移住。『Love!北欧』『FQ』などの雑誌・ムックの他、『T-SITE』『ハフィントンポスト』『NewsPics』などのWEBサイトにも多数寄稿。共著に『ニッポンの評判』、『お手本の国のウソ』(新潮社)、『住んでみてわかった本当のフィンランド』などがある。