第18回 闘牛士を守る刺繍 ‐その3‐

闘牛士の衣装を作る職人さんたちに会いに行く前に、闘牛について一から勉強しよう。そう誓って、基本的な特徴や技が紹介されている日本語のスペイン旅行ガイドブックを読み返してみましたが、なかなか頭に入りません。 相撲だって、日本の伝統文化だとはいえ、よくわからないところが多々あるのだから仕方ないだろう、とあっさりあきらめつつインターネットで調べていたところ、あるサイトのタイトルが目にとまりました。 「本物の闘牛士の衣装を手に入れる夢を実現させよう!」

闘牛士の衣装職人、アントニオさんの本『ORO PRATA/金・銀』より

闘牛士が着古した衣装を売るスペイン語のサイトです。 カーソルを下方に動かしながら、ふむふむと目を通していくうちに、「なるほど、そうか!」と、首をゆっくり縦に何度も振ることになりました。なぜなら、そこにはこう書かれていたからです。 「闘牛士は誰もが就ける職業ではありません。全ての闘牛士は、命をかけて闘牛場の土を踏みます。そこで生き残るために、日々きつい練習をしています。 衣装とは、勝負に命をかける自分の証。闘牛に向き合う時のためにあつらえる特別なもの。 その衣装をまとわない闘牛士は存在しないし、闘牛士がまとわない衣装も存在しません。 衣装は自分自身のシンボルです。衣装と闘牛士は一心同体。どの闘牛士も自分のためにデザインされた衣装を纏うのです。」 縦に振っていた首が止まり、目を丸くして読み込んだのが次の1行でした。 「闘牛士の衣装を作る職人は、注文をしてきた闘牛士の性格と好みを忠実に表現し、彼が彼自身になるための衣装を作るという重要な任務を担っているのです。」

闘牛士の衣装職人、アントニオさんの本『ORO PRATA/金・銀』より

自分が自分になるための衣装? ん、どこかで聞いたことのあるセリフ……。 そうだ、ファッション広告だ。そうか、闘牛士の衣装は、ファッションそのものではないか! オートクチュールだ! この気づきは、わたしの闘牛士へのまなざしを変えさせることになりました。 実はわたし、ファッションオタクだった時期がありました。東京でのOL時代のことです。ファッション雑誌や広告に触発され、 個性は着る服にも出さねばと気負ってデザイナーズ・ブランドに挑戦していたのです。 高くて質の良さそうな服を試着した瞬間、凛とした精神が降臨するような気がしたこと、ブランドだから欲しいのではなくて、自分の気持ちを引き締め高めてくれるからブランドの服がよいと感じたことなどが、鮮やかに蘇りました。プレタポルテでもあれほど感動したのだから、オートクチュールなら、どれほど気持ちが高まることだろう……。

闘牛士の衣装職人、アントニオさんの本『ORO PRATA/金・銀』より

しかし、悲しいかな、わたしはオートクチュール未体験者。 オートクチュールをまとって自分自身となり、常に生と死を意識しながらの仕事が闘牛士であるなら、既製服(プレタポルテ)を着て幸せで楽しく過ごすことばかり選ぶ人生を送ってきたわたしに、果たして彼らのことなど理解できるのでしょうか……? 闘牛士のオートクチュールを作る職人を、スペイン語で「サストレ・デ・トレロス」と言います。訳して、「闘牛士の仕立て屋」。

闘牛士の衣装職人、アントニオさんの本『ORO PRATA/金・銀』表紙

最初の二文字「サス」と、日本語の「刺す」が重なっていることを不思議な偶然だと思いつつ、しかし最後には胸をなでおろします。サストレ(仕立て屋)に会いに行く前に、オートクチュールと闘牛士の特別な関係に気がついてよかった、と。そして、携帯電話を手にして、番号を入力しました。 「サストレ・デ・トレロス、サストレ・デ・トレロス」。 素敵な音が並ぶこの言葉を、発信ボタンを押す前に声にならない声でつぶやいてみると、魔法のおまじないのように心に響いてきました。

河合妙香(かわいたえこ)/プロフィール
ライター、フォトグラファー。独身。スペインの失業率減少に貢献したいとKimi Planetで起業。従来のメディアの仕事に加え、貿易、視察旅行、狩猟体験コーディネート、日本語教師、舞台公演プロデュースなど、毎回業種の違う仕事を請け負うので新しい出会いに恵まれ、 続けきてよかったと思う日々。最近、ここ数年住んでいたトレド新市街から再び旧市街に引っ越し、新しい家で初めて読んだ酒井順子さんの『負け犬の遠吠え』に抱腹絶倒、悶絶共感。