第25回 放っておいて欲しいの?

パウラから送られてきた「カルチャーフォーラム」のプログラムを英訳するのに、丸一日かかってしまった。それでもまだ不明なところがあるので、パウラに助けてもらって、ようやく準備が整った。司会の台本など無くて、パウラは「アドリブでやっちゃうけど、よろしくね」と気楽な様子。私は当時でもライターとして執筆活動を続けていたが、フィンランド語の通訳や翻訳は積極的には引き受けておらず、ましてやフィンランド語から英語など、母国語以外の二か国語を駆使することを考えたらもう頭が割れそうだった。さらにその怪しげな通訳を終えてヘロヘロになったところで、歌も歌う。フルコースではないか。

「カルチャーフォーラム」当日の午後、高校生たちと一緒に日本のブースを作ると合意した時間が長男の迎えと重なってしまったので、私は一旦家に用意した日本のブースに飾る品々を前日にケルホに運んでおいて、高校生たちに引き取りに来るように指示しておいた。さらに準備が始まる時間に私が行けない代わりに、日本人の友達が順次会場入りしてくれる手はずも整って、この国で日本人の友達に恵まれたことに感謝した。息子達と夫に手をふりながら、久しぶりで慣れないおしゃれをしていそいそと玄関を出る。ベビーカーを押さないで歩くのが心もとなくて、それでいて普段家から出ることがない時間帯の町の風景が新鮮で、陽が伸びた3月の夕焼けに心がウキウキしてしまった。

会場では既にブースが出来上がっていて、二つのテーブルに友達と持ち寄った和食器や和小物が綺麗に並べられており、買ってきた花束を手渡すと、友達が手際よく活けてくれた。もう一人の友達は、あんこと緑茶の試食コーナーを準備し、私は持ってきたパソコンでドリフのDVDの上映を始めた。高校生たちも思い思いに着物を羽織って、「これは何? あれは何に使うの?」と聞いてきてはクックッと笑った。ブースは日本以外にも、タイやベトナムやギリシャにトルコ、ドイツにアメリカ、欧州全土に広がっているロマ族(ジプシー)や、北方のサーミ人、はたまたフィン族の居住地で後にロシアに吸収されてしまった因縁の歴史あるイングリア地方のものまでに及んだ。

舞台袖に控えるパウラと私。プログラムの英訳が正しいか、最後の歌の歌詞の怪しいところなどをおさらいしていて目が険しい私

本来ならばこの各国のブースを片っ端から見て歩きたいところなのだが、私にはその時間が無い。ホールに呼び出された私は、まずパウラに「素敵なドレスね、バッチリ似合ってるわよ~」と褒められぎゅうぎゅうに抱きしめられ、ふらふらしながら舞台に立った。舞台では様々な国を代表する楽器の演奏や歌、民俗ダンスやらヒップホップなどに至るまで、あらゆるジャンルの題目が順次発表され始めた。中でも多かったのが、詩の朗読。外国人がフィンランド語で詩を書いて、それを人前で発表する――その勇気をたたえながらも、その多くが「私を放っておいて」というタイトルだったのにはちょっと考えさせられた。外国人として生きていくことは、放っておいてもらえない窮屈さがいつも隣り合わせであるということなのだろうか。

アンドレーサは、放っておかれて寂しそうなのに。彼女の故郷ブラジルのように、街を歩いていて誰も明るく挨拶してくれないことを気に病んでいるのに。かくいう私は、このイベントの忙しさにかまけて、ついにアンドレーサに連絡することはなかった。夫から、まだ妹のエーリカと旅行に出ているようだとも聞いたし、あまりケルホをポジティヴに思っていない彼女に、そのケルホで頼まれたイベントで忙しく生き生きと走り回る自分の様子を見せることもまた、なんとなく気が引けてしまったのだ。

ステージで歌うのは、高校生の時にバンドを組んで文化祭でライブをした時以来だった。日本から取り寄せたカラオケの音楽が流れ、私の口が開いて声を出す。一曲目は、天空の城ラピュタの「君をのせて」。

“あの地平線 輝くのは どこかに君をかくしているから”

この出だしでもう、涙があふれそうになる。この国で、毎日外国人でいることは、結婚してから、毎日妻であり母でもあることは――どこかに私をかくしていること、なのだろうか。

“地球はまわる 君をかくして”

“地球はまわる 君をのせて”

でもそう、それでも毎日地球はまわっているのだ。

舞台袖に控えるパウラと私。プログラムの英訳が正しいか、最後の歌の歌詞の怪しいところなどをおさらいしていて目が険しい私

歌の意味も分からず聞いている聴衆に、一体何が届いたことやら。フィンランド語訳を用意して配れば良かったかなぁと思いながら、二曲目の「となりのトトロ」は元気いっぱいに声を張り上げる。

舞台に戻ってきて興奮まじりに私の歌を褒めてくれたパウラの言葉は、恥ずかしくて英訳することはできず、ぼそっと「キートス(ありがとう)!」と言って頭を下げるのが精一杯だった。参加者と聴衆の皆さんにたくさんのお礼を述べてステージを降りると、出口に向かう人ごみの中から4、5歳ぐらいだろうか、金髪の女の子が「あなた、もしかしてほんものの歌手なの?」と言いながら飛び出してきた。「いいえ、ただ歌ってみただけよ」と答えると、彼女は私の首っ玉にしがみついて大きなハグをしてくれた。私は茫然としながら、その温かくて湿った体を静かに受け止めていた。

ペルヘケルホ人物紹介
筆者=靴家さちこ:フィンランド人の夫との間に2人の男児を持つ日本人。外国人母子向けの児童館「ペルヘケルホ」に次男と通い、フィンランド語を鍛えている。

パウラ:ケラヴァ市がプロジェクトとして認可した「ペルヘケルホ」を運営するフィンランド人の職員。明るくて真っ直ぐで、とてもパワフルな女性。

アンドレーサ:筆者に誘われて、筆者の次男と同い年の息子を連れて「ペルヘケルホ」に通ってくるようになったブラジル人。フィンランド人の夫のミカは、筆者の夫の高校時代からの親友。この回ではブラジルから遊びにきた妹を連れて、フィンランド各地を観光案内中。

靴家さちこ(くつけさちこ)/プロフィール
1974年生まれ。フィンランド在住ライター/ジャーナリスト。青山学院大学文学部英米文学科を卒業後、米国系企業、フィンランド系企業を経て、2004年よりフィンランドへ移住。『Love!北欧』『FQ』などの雑誌・ムックの他、『T-SITE』『ハフィントンポスト』『NewsPics』などのWEBサイトにも多数寄稿。共著に『ニッポンの評判』、『お手本の国のウソ』(新潮社)、『住んでみてわかった本当のフィンランド』などがある。