第23回 最果ての村の女職人〜レース編み「エンカヘ」に重ねる波乱万丈人生—その3 

クリスマス・イブの静かな朝、遅めにベッドから起き出してキッチンに下りると、大きな鍋に、膨大な量のアサリが水につけてありました。全部で6kg。朝市で買ってきたばかりだと言います。

「ど、どうするんですか、これ?」

驚いている私に、カフェオレを飲んでいるアンパロさんが、涼しげな顔で答えました。

「今夜、食べるのよ。みんな来るから」

「こんなにたくさん?」

「そうよ。イブの夜のうちの定番料理なの。モンチョのレシピ。うふふ。美味しいわよ。楽しみにしていてね」

アンパロさんの夫、つまりパティの父親モンチョさんは、遠洋漁業船のシェフでした。 帰るたびに、レストランのような美味しい料理を家族に振る舞いました。中でも昔から大評判なのが、このアサリの料理。炒め煮したアサリに 、彼が考えた特製ソースを入れるだけですが、この特製ソースが良いのだと言います。 スペインの夕食は夜10時頃と遅いので、パティと一緒に村の簡素な魚市場に行ったり、出稼ぎ先のスイスから帰ってきたという親戚を訪ねたりしながら、 長い1日を過ごしました。

その夜————。これでまだ半分だという家族12人がテーブルを囲み、初めて会う日本人を歓迎してくれる話題で盛り上がっているところへ、とうとう、待望のアサリ料理が運ばれてきました。 大き目のスープ皿に山盛りになったアサリが、全員に。うわあ大好物なんだよと、みんな口々に絶賛しながら、チーズや生ハムをつまんでいた手を止め、アサリにがぶりつくこと、しばし。

隣の部屋のテレビの前のソファでは、仕事を終えたモンチョさんが、ひとりで夕食をとっていました。「テーブルに座りきれないから?」と聞くと、あそこはモンチョさんの指定席で、いつどんな時でもそこでひとりで食べるのだと誰かが教えてくれました。

その特製ソースの美味しかったこと。ブイヤベースにアサリ6Kg分のエキスが凝縮されていて、パンに浸しても、お湯で割ってスープのように飲ませてもらっても、あの特有の、重厚な潮の香りが口から脳天に満ちていくように広がり、私をうっとりさせます。ところが、皆、皿のソースに手をつけないどころか、鍋に大量に残っているソースも捨てると言うので、私は、それは犯罪だと叫び、空き瓶に詰めてもらって家に持ち帰りました。余談ですが、その瓶詰めを、冷凍しながらではありましたが、二ヶ月かけて 一滴も無駄にせずに使い切りました。どんな料理にも合う、素晴らしい出汁でした。

エンカヘをするアンパロさん

クリスマスの朝、昨夜の騒ぎで夜更かしをした私が起きるのを、アンパロさんは待っていました。いつものようにカフェオレとビスコチョ(カステラ)で朝食をすませるように指示し、「食べ終わったらこっちへおいで」と促します。 モンチョさんの指定席がある部屋を覗くと、アンパロさんはもうエンカヘを始めていました。

遠目には見たことがあるけれど、こんなにじっくり見るのは初めてでした。

「あっ、縫うのとは違う! 針を布に刺していくんじゃないんだ!」

思わず驚きが口をついて出ました。知ったつもりでも勘違いをしていることが自分の人生にはまだ他にいくつあるんだろうと、気が遠くなりそうでした。

ビデオを見てお分かりの通り、エンカへとは、簡単に言えば、 絵を描くように糸を編みこんでいく手芸なのです。紙に描いた図面に従って、その上に必要な数だけ待ち針を刺し、何本もの糸巻き棒から伸ばした糸をそれら待ち針に交互に絡めながら、絵柄を少しずつ完成させていく技法なのです。

待ち針を境に、左側がまだ糸を通していない台紙の下書き。右側が糸で絵を描 き終わった状態

「私はね、歩けるようになった頃から、お母さんがエンカヘをやっているのを見て、早く作れるようになりたくてしょうがなかったの。16歳には、もう、いっぱしのプロになっていたのよ」

忙しい母に代わって子守をしながら仕事を覚えたアンパロさんは、結婚してからは、今度は子育てや家事の合間にエンカへで家計を支えました。家には7人の子どもだけではなく、数匹の豚や鶏もおり、自宅の庭で豚をさばき、腸詰を作るという大仕事も含んでの家事でした。

「モンチョはね、お酒さえ飲まなければいい男なのに。人に紹介されて、18で結婚し、一番上の子を妊娠している時に、 徴兵に行くことになってね。2年もよ。昔のスペインには徴兵があったの。そこでお酒を覚えたのね。帰ってきたら呑んべえになっていたの。あんなに酒にだらしない男だったなんて、知っていたら結婚しなかったわ。パティがまだよちよち歩きの頃、私、結核になったことがあるの。ある日、 熱が出て倒れてしまって。ちょうどモンチョが帰っていた時だったのに、彼ったらどこかで呑んだくれているもんだから、救急車が来た時、 私一人乗って病院に行ったのよ。モンチョは後からタクシーで駆けつけてくれたんだけど、病室に着いたら、私のベッドに倒れてぐーぐー寝込んじゃってね、 役立たずなんてもんじゃなかったわよ」

療養のため1年も寝込み、子どもたちを抱くことさえ許されなかったアンパロさんにすれば、そんな話も、数あるエピソードの一つにすぎないそうです。パティはそばに座り、微笑みながら、黙って話を聞いていました。

その後もお酒に振り回されたモンチョさん。医者に禁酒を命じられて久しいそうですが、ある時、アンパロさんが私とパティを台所に呼びました。

「見て」とウィンクしています。

床にこぼれた数滴のワインは、モンチョさんの仕業?

床には、赤い液体の跡がありました。モンチョさんのアル中癖を知らずに私が贈ったワインでした。「失敗した!」と慌てる私に、「いいのよ。久しぶりに家族が集まり、自分の料理に舌鼓を打ってくれたことがよほど嬉しかったのでしょう」と、アンパロさんは怒るどころか、「誰もいない時に、こっそりやったのねぇ。一杯だけじゃなかったのよ、見て、こんなに減っている」とパティと大爆笑したのです。二人で、周囲を キョロキョロ見る真似をしては、また爆笑。安心した私も涙を流して笑ってしまいました。

さて、クリスマスの翌日は、姉のマリッサさんが、彼女が作品を納品している店「エンカヘス・ヘリーナ」に私たちを連れて行ってくれました。

カマリーニャの女性たちの作品で溢れる専門店「エンカヘス・ヘリーナ」

そこは、村の女性たちの家族愛や幸せな生活への熱い想いが湧いて溢れるような店でした。子供や孫たちのよそ行き用のよだれかけや靴下。きれいに磨かれた家のテーブルや家具に映えるであろう、大小様々なレース編み。シンプルな店内に、自慢の作品がひしめき合い、みんながどんな顔で作っているのか、浮かんでくるようです。

海へ行った夫を待ちわびつつ、家を守る女は、人生のいろいろな物語を紡いできたことでしょう。

エンカへは、悪い話なら、痛む心をほぐすように待ち針に糸を絡ませて、良い話なら、幸せな心を引き出すようにして、図面を描いていける手芸だったのではないでしょうか。

アンパロさんの作品をもう一度見直してみました。最初に感じた凄さは、夫への心配や家族への愛が託された糸から滲み出ていた人生の深さであり、作品は彼女の様々な心模様が形になったものだと見えるようになってきたから不思議です。

エンカヘのお店で売られていた靴下。エンカヘでは立体も作れるスペインらしさ溢れるデザイン。祭りの晴れ着か、赤ちゃんのおくるみか?

今年のクリスマスもまた、アンパロさんに会い行きたくなりました 。6kgのアサリとトレドで採れる美味しいオリーブオイルを、 ワインの代わりに手土産にして。


河合妙香(かわいたえこ)/プロフィール
ライター、フォトグラファー、コーディネーター、起業家、日本語教師、大学講師、スペイン語—中国語通訳。海外在住歴もあっという間に25年。毎年、いろいろな事が起き、人生に飽きたことはなかったが、今年は特別な出来事が続いた。警察でのスペイン語と中国語の通訳となり、スポーツに縁のない私が、スペインのオリンピック選手たちと、通訳として日本で合宿し、 江戸時代に長崎県で殉教したスペイン人カトリック修道士の関係者と出会い、日本に行ったことがない私の学生が日本語能力検定N3に合格。スペインと日本の関係を深く意識する年となっています。