地球スタイルで子どもを育てている、世界各地に在住のライターが独自の視点で綴ります。

世界の学校事情

幼稚園の行事には、たくさんの保護者が押し寄せる「いかにも幼稚園の先生らしい人」と言えば、日本では大概、やさしそうな雰囲気の人を思い浮かべるに違いない。しかし中国の幼稚園の先生は、腕組みをし、少し離れたところから、まるで監視しているかのごとく立ちはだかり、厳しくてコワイという印象だ。手洗いしかり、お遊戯の時間しかり、幼稚園児なのだから、そんなにきっちり決着つけなくとも、もうちょっとなごやかに、あるいは適当にできないものかと感じることしばしばである。

「開放日」と呼ばれる父兄参観の日、あれこれと指図して服従を強いる、常に眉間に皺を寄せている先生が私に言った。「子どもたちは家に帰ると、祖父母、両親、お手伝いさん、その他の大人に甘やかされ放題。だから幼稚園では厳しくする必要があるのです」。

「小皇帝」と呼ばれる中国の子どもたち。荷物は当然保護者が持つ 中国でも核家族が増えてきてはいるものの、祖父母と同居している家庭が断然多い。私が暮らす深セン市は、中国で最も早く改革開放を実施したところで、経済躍進にともない、仕事を求めてたくさんの労働者が地方から集まっている場所だ。「移民の街」という異名を持つ深セン市の平均年齢は、なんと29才だそうで、地方から出てきた若者がこの街で結婚し、子どもが生まれると、赤ん坊や働く親の面倒を見るために、田舎から祖父母が出てきて同居する、というケースが多いようだ。

1979年から始まった一人っ子政策により、家庭では自然と、一人の子どもにたくさんの保護者の注意が集まる。そして幼稚園には、「わが子にもっと漢字を教えてくれ」「もっと朗読の練習を」「英語にも力を入れて」といった、学習に重きをおいてほしいという強い要望が寄せられるという。

幼稚園児でも、李白や杜甫など、いくつもの漢詩を暗誦できる

 中国では、なぜこんなに早期教育に熱心なのだろうか。園長先生はどう思うかと聞いてみると、次のような答えが返ってきた。「深センに働きに出て来た両親は、内陸部の貧しい農村の暮らしがどんなものかを知っています。そして、そこから抜け出すためには教育が必要であると痛感しています。周りが皆始めており、次々と習得しているというのに、スタート地点からわが子を遅らせてはなるまいと、競争はどんどんヒートアップしていくのでしょう」。

 25年という短い間に、広東省を代表する大都市に成長した深セン市では、「そこで何を教えてくれるのか」が、幼稚園はじめ、あらゆる事柄の選択重要項目になっているようである。

毎日JP 「世界の子育て」より転載

 こちらの学校は、父兄の奉仕活動(ボランティア)によって支えられる。学校行事の準備や主催はもちろん、スポーツチームのコーチを親が引き受ける。実際に授業に入って先生の手伝いをすることまである。パパも大活躍。

 

 フルタイムで働く父兄は、昼休み時間や有給取得により奉仕活動に参加しているようだ。

 子どもが通う幼稚園から中学までの私立の一貫校では、1年に20時間のボランティア活動参加が義務付けられており、達成しないと罰金になる。実際に参加する前に、指紋登録、肺結核の検査、インターネット上で子ども虐待に関するクラスを取得しなくてはならない。

 

 私は週に数回、昼休みの監視係をしている。幼稚園から小学校低学年の子どもが、ちゃんと座って昼食をとるように見守る。その後、子どもが校庭で安全に遊んでいるかを監視する役目だ。お弁当箱を開けたり、飲み物の蓋を取ったり。そして子どもと一緒にブランコに乗って、砂場でお城を作ったりしていると、あっという間に活動の1時間が終わる。

 

 一般的に親の奉仕活動への参加度が高い学校は、優良校だといわれている。親には負担ではあるが、学校での子どもの様子を見る機会が増えるという利点ではある。

 

朝日小学生新聞「朝日おかあさん新聞」掲載】

フィンランドの小学校では、子ども達が親の職場にやってきて、親の仕事を視察する、子ども達による職場参観というものがある。ある女子生徒はそのプロジェクトを通して、主婦である自分の母親が、いかに素晴らしい"家事のプロ"であるかを誇らしげにレポートにまとめた。女性の就業率が70%のこの国で、"主婦による家事仕事"ほど軽視されがちなものはない。家事は家族で分担し、お母さんも働いて高い税金を納めることが期待されている高福祉社会というお国柄ゆえ、なおさらだ。彼女の母親同様に、家では家事仕事もする担任の先生にとって、これは、まさしく目からウロコの体験だったという。「ただの家事仕事が、こんなにも尊敬に値するものだと知って、嬉しくなったわ」とにっこり微笑んだ。

 

また、ある男子生徒はレストランのウェイターである父親について、彼がいかに有能なウェイターであるかをクラス全員の前でとくとくとプレゼンテーションした。フィンランドでは、ウェイターという職種は、学歴と収入の低さを物語るもの。が、子どもの目を通せば「職業に貴賎なし」。一生懸命働いているパパやママはどんな仕事をしていても輝いて見えるのだ。

 

子ども達に仕事の尊さを教えるのが目的のこのプロジェクトを通して、いろんなことを学んでいるのはむしろ先生達の方であるらしい。

 

朝日小学生新聞「朝日おかあさん新聞」掲載】

 

 カナダでは給食がある学校は少ない。我が家の子どもたちの通う小学校にも給食はなく、毎日お弁当だ。だから子どもが就学年齢になってからの頭痛の種はランチ(お弁当)だ。特に息子より大きな子どものいる日本人の友人から、おにぎりを持参させたら友達にからかわれたと聞いたために、何を持たせたらいいのかと困ってしまった。

 

 本人に希望を聞いたら、「サンドイッチがいい」と言う。とりあえずパンの種類や中身を変え、ラップタイプにしたら翌日は食パンのサンドイッチと工夫していた。

 

 そんなある日、「カイル君は毎日、巻き寿司だよ。僕もお寿司が食べたい」と言い出した。カイル君のお母さんは日本人だ。

 

 ランチといえばサンドイッチというのは一昔前のお話のようで、バンクーバーあたりの今どきのお弁当はバラエティ豊かだ。パスタやピザ、具がいっぱいのデラックスサラダにスープ、あるいは炒飯とおかず、インド系はサモサなど。高学年になると教室に電子レンジがあるので、温めて食べる料理が人気らしい。

 

 昼休みに作りたてのお弁当を届ける保護者もいる。しかし、マクドナルドの袋を持って小学校を訪れる保護者を見たときには驚いた。移民の国、カナダではランチも多国籍、多様だ。

 

 【朝日小学生新聞「朝日おかあさん新聞」掲載】

 

 

 

 年に一度、小学校からハイスクールに至るまで、各学校では、「タレントショー」と呼ばれる行事が催される。楽器演奏、手品、コメディ、ダンス、芝居、歌などジャンルを問わず、「ぼく、わたしにはこんな才能があります」という何かがあれば誰でも参加できる。

 

 学校行事とはいうものの、教育的な内容の必要はなく、ロックありヒップホップありと寛大だ。個人でもグループ参加でもかまわない。「これはスゴイ!」というものから、「これってほんとに才能って言える?」というお笑いものまで、子どもたちは大観衆を前に、スター気取りで見せる、聴かせる、うならせる。

 

 今ではハイスクールに通う、将来ミュージシャン志望の我が息子も小学校時代から毎年、自分の"才能"をひけらかしている。「能ある鷹は爪を隠す」という言葉を知らないらしい。

 

 何しろ、各ハイスクールの優勝者が、学校代表として競う郡のタレントショーともなると、スポンサーから優勝者に500ドル、優勝者を輩出した学校に2万ドルの賞金が授与されるのだから、爪を隠している場合ではない。学校にとっても、優れた才能のある子どもは"金のたまご"と化す。

 

 ひょっとすると、将来世界に名をとどろかせるようなスーパースターも、こうした機会から花開くのかもしれない。

 

【朝日小学生新聞「朝日おかあさん新聞」掲載】

 

 

 

 我が家の子どもたちは、南太平洋に浮かぶ小国サモアの公立学校に4年間通った。そのおおらかさは、日本とは対照的と言えた。ニュージーランドの教育システムに準じ、教育にはそれなりに力を入れているとはいうものの、途上国ゆえ教科書をはじめ教材はないに等しい。しかし、ないがゆえの工夫を見た。

 

 たとえば「数の勉強をするから、棒を持っていらっしゃい」と先生がおっしゃれば、子どもたちは庭で拾い集めた小枝をたくさん抱えて登校。南の島の"数え棒"だ。

 

 音楽の時間に活躍する"楽器"は、バケツをひっくり返して叩く"たいこ"で、このリズムに合わせ、子どもたちは手拍子を打ちながら見事な合唱を聴かせてくれた。サモア流音楽の授業だ。

 

 こうした、先生方のアイデアであるものを工夫し教材にしてしまう術にはひたすら感心した。また、教材に頼れない分、子どもたちは必死に先生の言葉に耳を傾け、ノートを取る。そのノートが個々の教科書となるからだ。

 

 その様子を眺めながら、恵まれすぎもよくないかも?と思いかけたころ、子どもたちのノートを覗くと、まちがって習っていることも発見。「う~ん。先生も人間だからたまにはまちがう......」ってことにしておこう。

 

【朝日小学生新聞「朝日おかあさん新聞」掲載】

 

 

 「お母さん、この手紙にサインしてね」アメリカの公立学校にお世話になっている我が家の子どもたちは、学校で事あるごとに、保護者の許諾サインを求めてくる。サインを提出しないと、せっかくの楽しそうな学校行事に参加できないからだ。

 

日本で暮らしている頃は、遠足、キャンプ、性教育の授業など、学校教育の一環で行われる行事や活動に参加するのは当然だと思っていた。しかし、ここでは、どんな行事や活動も、保護者が主体となりその都度、参加、不参加を決める。不参加を決めたとしても、参加しないことで子どもたちが不利益を受けることはない。その場合、学校は、ちゃんと別の授業を用意してくれるからだ。

 

よくよく、考えてみれば、異なる人種が集うアメリカの学校において、それぞれの文化や宗教などあらゆる背景の違いを尊重するためには、こうした配慮は不可欠なのだろう。当初、内容を確かめもせず、サインの大安売りをしていた私は、いちいちお伺いを立てられるのも面倒だと思ったものだが、我が子が関わる行事や活動を保護者としてきっちり把握し、それが必要、妥当かを考えてみることは悪くない。

 

サインをする度、子どもたちに「与えるもの」「与えること」の責任は、保護者が持つのだということを意識させられる。

 

【朝日小学生新聞「朝日おかあさん新聞」掲載】

 

我が家の四人の子どもたちは、南太平洋に浮かぶサモアという小さな国の学校に四年間通った。ポリネシアの文化を色濃く残すこの国では小さな頃から助け合うことや分かち合うことはとても大切なことだと教えられる。

 

たとえばモノについても「有る人が無い人に貸す」「無い人は有る人から借りる」というのは自然なこと。そんな背景もあり、サモアでの貸し借りにまつわるエピソードは数えきれない。

 

ランチタイムのお弁当は、忘れた子もご馳走の子も持って来る気のない子もいっしょになって、そこにいる友だちと、そこにあるお弁当を分け合い、つまみ合い食べていた。

 

小銭のある子が飲み物を買えば、損得なんてセコイことは言わず居合わせた者みんなで回し飲みをしていた。(衛生的に云々はあっちに置いといて)定規を忘れた息子に自分の定規を折ってまで貸してくれた友だち(モノを大切にすることより貸すこと優先らしい)もいた。

 

「目の悪い子に君のメガネを貸してあげなさい」とおっしゃる先生の発言には、思わず「ウッソ~」と叫んでしまったけれど、それも助け合うやさしさからだと思うとつい笑ってしまい、心はホンワカしたものだ。

 

もっともそんな中で毎日学校生活を送らなければならなかった子どもたちにとってはホンワカばかりではなかったかもしれないが......。「分かち合い」に助けられたことはまちがいない。

 

【朝日小学生新聞「朝日おかあさん新聞」掲載】

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