地球スタイルで子どもを育てている、世界各地に在住のライターが独自の視点で綴ります。

世界の出産現場から

"It's  opened(子宮口が開いてます)!!"という私の叫び声に反応して、助産婦さんが駆け付けた。そして、足の間をのぞいて"Yes, it's opened(ホントだ、開いてますね)"と確認する。慌てて、無痛分娩の処置をお願いすると" too late(もう遅すぎです)"と首を横に振った。フィンランドでの初の出産と無痛分娩は、ライターとして、いつの日か記事を書くのに有用だろうと、たくましい野心を持っていた私は、「ノォオオオー!」と叫んだ。

 

なおも助産婦が"Push, push(いきんで)!"と指示を出す。頭がもう見えているそうだ。こうなったら、とっとと終わってくれ。私はすでに決めておいた我が子の名前を叫んだ。「ユーウーキぃー!」「オギャー!」夫の後日談によると、優樹の泣き声は、お腹の中からもう聞こえていたという。2月25日の22時。我が家の次男クンは226事件の一日前にやってきた。産みたてのほやほやを胸に抱き、そっと覗きこむと、その顔は5年前の海渡そのものであった。時間差双子――そんなものがこの世に存在するとすれば、この二人のことをいうのだろう。私たちは優樹のセカンドネームを「デジャブー」とつけることにした――ウソだ。

 

****

  このように長々と書き連ねてきたが、日本とフィンランド、どちらが良い出産環境と言えるだろう?これ以上家族を増やす予定はないのだが、もし万が一、あともう一回出産をすることがあれば――日本だったら、今度こそインターネットと口コミを駆使して、食事が豪華でアロマテラピーもしてくれて無痛分娩ができる病院を探し出すだろうし、フィンランドであれば、何が何でも無痛分娩を体験して、悲願の無痛分娩レポートを書いてみたい。――が、そんな野望のためにむやみに生命を授かるべきではないので、私は当面、夫と海渡と優樹の三人のヤロウども囲まれて、にぎやかな紅一点ライフを満喫することに専念する。  

 

                                             了

 

 

長きに渡って最後までお付き合いいただき、誠にありがとうございました。読者の皆様からのご意見・ご感想などがございましたら、靴家さちこ(sapikow2003@yahoo.co.jp)まで、また「入院生活や乳児のお世話の仕方の違いなども、引き続き執筆してほしい!」などというリクエストがございましたら、サイト管理人の椰子ノ木やほいさん(yahoi@chikyumaru.net)までお寄せいただけますと幸いです。                                                

北の果てより感謝をこめて/靴家さちこ

夜中の2時を過ぎ。私は身の回りの支度を整え、夫の運転でキャティロオピストを目指した。病院の産科のフロアにたどり着くと、部屋が空くまで待合室で待たされ、ほどなくしてお産待ちの部屋に通された。病院からパジャマとガウンを借りて、お腹の周りに胎児の心拍数を測る計測器が取り付けられ、私はベッドに横たわった。

 

お産はなかなか進まず、痛みもなかったので翌朝8時まで寝てしまった。夫は一睡もせず朝を迎えたらしい。昼間に回診に来た医師が、一度家に帰ってはどうかと言いかけると、夫がトンデモナイ、産みます!と私に代わって宣言した。ついに夕方回診に来た医師から、陣痛促進剤が処方され、分娩室へ移動。いよいよ......である。日本で陣痛促進剤を使った私の姉は、「すっごく痛かった」と言っていたので、私はもうどんなことになってしまうのやら、気が気でなかった。

 

が、それでもなかなか進まず、時刻は夜の8時。再び回診に来た医師が私との合意の元、人工破水の処置をした。このあと、痛みはすぐさま拡大した。「ねぇ、ちょっと、痛いんだけど」夫をつつくと、助産婦さんを呼んでくれた。この時の担当の助産婦さんは、二人とも若いのに英語がしゃべれないと言うので夫がカツを入れると、そのうち一人が単語と単語をつなぎ合わせて、英語で笑気ガスの使い方を説明してくれた。

 

鼻で吸って、口から吐く――これが結構、難しい。ちょっと考え事などをすると、すぐに逆をやってしまう。「効いてきたみたい。ありがとう」と助産婦さんに礼を言った。が、5分もすると痛みが増す。再び夫が呼びに行くと、「あらら」と器具をいじりながら助産婦さんが言う。なんと、ガスなど最初から全然出ていなかったのだ。「なんだ、効いていたような気がしてただけなのね、イテテテ」

 

そして、今度こそ、本格的にガスの吸引に取り組む。先ほどの医師が、無痛分娩を始めるにも、適度な痛みは必要なので十分痛くなってから声をかけるようにと言っていたので、十分痛いってどれくらいの痛さだろうと考えていると、鋭い痛みが下腹部を走り、私は、吸引マスクを放り投げた。床からマスクを拾い上げ、夫が私の顔を覗き込む。「痛いんだってば!」と叫ぶと、「そりゃ、痛いだろうよ。で、どうしてほしいの?」と諭しかけた夫の肩をぐいとひっつかんだ。つかんだ勢いで、私は半分夫によじのぼる。

 

――(子宮口が)開いている!――そう思い、とっさに叫んだ。"It's  opened(開いてます)!!"

フィンランドでは3000グラム未満で生まれた新生児に対して、入院中に厳しい血糖値のチェックが入るという。予定日が迫りつつある中、私はお腹の子を3000グラム以上に産むべく、日々是怒涛のように食べて暮らしていた。

 

 大きく産んで、チェックを逃れる――そんな私の思惑とは裏腹に、次男の誕生を今か今かと待ち受けている人達がいる。その一人目の夫は、先週末の会議で、上司に指名された仕事を「妻が出産間近なので」と言ってつっぱねてしまい、その勇気ある言動は、痛く上司の気に障ったらしい。それでも、夫ほどの根性がすわった人なら問題ないだろうと、私は気にしていなかった。それよりも、出産で夫と私が病院に行っている間に海渡の面倒を見ることになっている義姉のことを考えると、彼女の仕事に支障がないよう、週末に産んであげなくては――とそちらの方が気にかかる。実際に、予定日前の最後の土曜日の午後、ステーキを完食して、義父を招いてコーヒー飲んでいる間に――義姉が駆け込んできた。

 

義姉は、「もう赤ちゃんが生まれる夢を見て、朝4時に起きたの。それで眠れなくなったものだから」と袋一杯のプッラ(菓子パン)を差し出した。それも、早速もぐもぐお茶で流し込むと、ただでさえ胎児に圧迫されている胃がパンパンに膨れ上がり、しゃっくりが出てきた。「これからサマーコテージに行くけど、まだ産まれないわよね」と言う義姉を送りだして「じゃあ、来週末に産まれてみる?」とお腹に語りかけると、中にいるヒトのやる気がわいてきたのか、お腹全体がピーンと固く張った。そして、その張りは、夕方以降に20分間隔で来るようになった。

 

夫と海渡と三人で寝る、キングサイズのベッドに横たわって、夫が本の読み聞かせを始めた頃。まだカチャカチャとケータイの時計を見てさりげなくお腹の収縮を計測している私に、「何やってんだ!」と夫のチェックが入る。「えーと、あの―、陣痛みたいな、そうでないみたいなものをちょっと......」としどろもどろに言うと、階下で静かに計測をするようにと促された。ほどなくして、寝付けなかった海渡を連れて、夫も階段を下りてくる。「それで、どうなんだ」「あの、あると言えばあるのだけど、もう引っ込んじゃったかも」実際に、お腹の収縮は、さっきまでは12分間隔で来ていたのに、今のところ20分過ぎてもまだやってこない。

 

3人連れだって寝室に戻ることを提案しようと思った矢先に、夫の口からこんな言葉がこぼれた。「陣痛が来て良かったよ。先週の会議で、上司からの仕事を断っただろ。これで近日中に生まれなかった日には、オフィスに居づらかったかも」――いくら根性の据わっている夫でも、さすがに無神経ではなかったのだ――これは、産まなくては。

 

海渡を寝かしつけ、夫から連絡を受けた義姉が息せき切って現れると、夫がおもむろに発言した。「変だと思われるかもしれないけど、僕もちょっと陣痛らしきものを感じている」そう言って、お腹に手をあてた。そんなアホな――と義姉を振り向くと、彼女もお腹をさすりながら「実は、私もよ」と苦笑する。一族郎党、陣痛祭り――私は観念した――もう、今日産むしかない。

 

フィンランドの保健センターの最後の健診の日。「日本でもう一人産んでいるんだから、同じことよ」と保健婦が微笑むと、夫が「ちょっと待った」をかけた。

 

「あなたは、あなた自身が外国に住んでいたことがあるというのに、そんなことも分からないのか! 日本とフィンランドの出産の違いは、昼と夜ほどの差がある。日本では自然分娩が主流で、お願いしてお願いしてやっと痛み止めの処置がしてもらえるんだ。うちの奥さんは、フィンランドで初めて無痛分娩を体験することになる。一人目と一緒だなんて、そんな気楽なことを言わないでほしいッ」

 

一気にまくしたてる夫に気押され、ぽかんと口を開けたままの保健婦を見やると、眼鏡の奥で、細くて小さな眼が――釣り上がっていた。「そんなに言うなら、事前に病院見学と医師との面談をお勧めします」といつものおとぎ話の声より2オクターブ低い声で言うと、保健婦は病院の連絡先が書いてあるメモを私に手渡した。

 

ちなみに、ケラヴァの近くで出産入院の設備がある病院は、キャティロオピストとナイステンクリニッカの2か所だけで、両方ともヘルシンキにある。ヘルシンキ在住の日本人友達に会うと、みんな口々に「出産はケラヴァの病院で?」と聞いてくる。それに対して私が「いや、ヘルシンキで」と答えると、皆一様に驚いた。当然だろう。私だって日本の感覚から言えば、埼玉に住んでいる人間がお産のため東京まで車でぶっ飛ばしてくるなんて、ちょっと考えられない。幸いケラヴァからでも、多く見積もって車で20分で行けるという。それでも、一応経産婦なので、車の中で頭が出ていたとかいう事態にならないように気をつけなくては!――「慌てないで、ゆっくりね」――私はお腹に語りかけた。

 

1月某日、夫もそこで生まれたという、キャティロオピストに電話して英語による院内見学ツアーについて問い合わせると、ツアーは2月の末に予定されているという。「スイマセン、予定日が3月3日なので、それでは遅すぎると思うんですが・・・・・・」と1月中、もしくは2月上旬の可能性を問うと「生憎、それほど多くの外国人の出産予定が見込まれていないため、ありません」とのこと。私はツアーに参加することは断念して、夫の付き添いのもとで医師との面談をし、病院の中をぶらぶら歩いた。

 

さて、そんなことをしているうちにエックスデーは刻一刻、と近づいてくる。私は、日本のように厳しい体重管理がないのをいいことに、夜中に一度は起き出してきてはラーメンをすすっていた。昼間はラーメンのみならず、天ぷらでもお鮨でもそれはもう、積極的に食べていた。ただ、これには理由がある。フィンランドでは3千グラム未満の新生児は、身体が小さめということで、病院での血糖値のチェックが厳しくなると聞いていたのだ。この段階での私の体重は、長男がお腹にいた頃と同じ10キロオーバー。長男は2960グラムで生まれてきた。予定日まであと1週間強。もっと食べなくては――私は、週末のランチに、ステーキ100グラムをおかわりした。

 日本で長男の出産中、痛みにもがき苦しむ私に、助産婦さんが筋肉弛緩剤を投与してくれた。この和痛の処置により、ほろ酔い気分で眠気が襲ってきた私は「あさにふんれもいいれすか(朝に産んでもいいですか)?」などとふざけたことを言い出す始末。「ダメです。今すぐいきんでください」すげなく助産婦さんに却下され、とりあえず、下半身に力を入れて踏ん張ってみることにした。

 

踏ん張ると、太腿がぶるぶる震え、火が付いたように熱くなった。すると――「いきみ、お上手ですよ」「そうですよ、ほら、すごい」「えらいですよ、その調子!」――要望通り、4人の助産婦さんが大声で口々に私をほめちぎってくれている。おお、快感!それでも、2回、3回目と踏ん張って出なかった時には、もう一生出てこないのかと泣きそうになった。そして4回目――両足の間に、バタバタと鯉のようなものが泳ぎ出てきた。泣いてはいなかったものの、慌てふためいて動揺しているのが感じ取れた。7月7日、七夕の日の午前5時。長男、海渡の誕生だった。

 

********

 

あれから約5年が経ち、一家で移住したフィンランドでの初夏のこと。意味もなく小腹が減るので、もしや、と思ったら、妊娠していた。ほどなくして、長男の時と同様、出血があり、慌ててかかりつけの医師がいるクリニックに電話すると、夏休み中で2週間先まで予約が取れないという。誰でもかまわないと食い下がったが、夏休み中で医師の数が少ないので、どのみち2週間先まで予約が取れないのだという。

 

2週間!血が出ちゃってるのにですか!」と怒りを表明し、手が空いている医師を電話口に回してもらった。状況を説明すると、痛みを伴わない限り、出血の量がこれ以上多くならない限りは、特に問題がないだろうとのことだった。それに万が一、出血の量が増えたとしても――その場合には緊急で病院に来てもらうことになるが――もともと胎芽や胎児の発育が悪く、それゆえに流産するわけなので、今日明日の診察でどうにかできるものではない、という説明だった。

 

幸い出血はすぐに止まり、私は安静にゴロゴロして過ごした。今度の悪阻は、日本食を――特に"ラーメン"を食べると簡単に収まる。せっせとラーメンを食べている間に2週間はあっという間に過ぎ、クリニックの医師による診断で胎児の無事が確認された。これを持って正式に、海渡に「ママのお腹に赤ちゃんがいるよ」と発表した。「おいしゃさんが、ママのおなかにあかちゃんをいれてくれたんだね」と独自の想像力を働かせて目を輝かせる息子よ――その言葉の通りだとすると、お腹の赤ちゃんと君は異父兄弟になってしまう。が、その辺の細かい教育はまた後日にすることにしよう。

陣痛が来た――よりによって麻酔医のいない日曜日に。痛みが本格的になるまで待って、私達は夜中の2時に家を出た。タクシーを拾い、A病院を目指す。先に連絡を入れておいたので、受け入れはスムーズだった。が、担当の助産婦さんが、早速日本語で私だけにテキパキと話すので夫がストップをかける。"Do you speak English ?"間髪いれずに「ノー」と助産婦さん。「あの、スイマセン、わざわざ事前に紙に書いて、英語での対応をお願いしてあるんですけど。イテテテ」痛みを伴った私の怒り顔はなかなかの迫力だったに違いない。一陣の風となって、助産婦さんは走り去った。

 

――役所で、コンビニで、宝石店で、ありとあらゆる場所で夫がぶつけてきた"Do you speak English ?"に、悪びれもせず「ノー」と即答し、「すみません、お連れ様が通訳をしていただけますか?」と私をただ働きの通訳者として使ってきた英語非対応の日本人の面々が、走馬灯のように駆け巡る。その上、こんな人生の一大事の場面でも夫の通訳係をするのかと思うと、もう、ちゃぶ台でもひっくり返したい気分だった。

 

そして、やっと英語が堪能な助産婦さんが入ってきたところで、早速本題に入る。「あと何時間ぐらいで産まれそうですか?」「さぁ、あと5時間か7時間ぐらいはかかりそうですね」「今、もう月曜日ですよね。麻酔医さんは何時にいらっしゃるんですか?」「9時頃ですね。でも、もうその頃にはご出産なさっているはずです」ガーン。やっぱり私は"自然分娩"で産むのだ。この期に及んでまだ覚悟が固まらず、動揺する。

 

「無痛分娩できないの?」雰囲気を察して夫が口をはさむ。「イテテテ、麻酔医が朝9時にならないと来ないんだって」と身をよじりながら答えると、「おい、君ッ!なんとかならないのか!痛がっているじゃないか!」夫が、助産婦さんに食らいつく。「ですから、麻酔医が......」「そんなもんいなくったって、設備や薬はあるだろう。君がなんとかできないのか!」「本人がどうしても必要だと言っているんですか?ご主人の意に従って処方するものではありませんよ!」――助産婦さんも負けてはいない。「イテテテ。あの、何でもいいですから、何か処方していただけますか?」慌てて間に入った。

 

 ほどなくして、助産婦さんが筋肉弛緩剤を投与してくれた。これは、和痛の処置であって、波のように交互でやってくる痛みと痛みの軽い期間のうち、痛みの軽い期間中に体がリラックスする効果を増大させるものだという。――これが、利いた。「イテー、もうダメ、イテテー」と叫んだかと思うと、その次にはほろ酔い気分が気持ちいい。と同時に、眠気も襲ってきた。胎児用モニターを覗き込んで、助産婦さんが眉をひそめる。「すみません。赤ちゃんが寝てしまいそうなので、もういきんでください」「ふみまふぇん、わらひもねむひんれふけろ、はさにふんれもいいれふか(すみません、私も眠いんですけど、朝に産んでもいいですか)?」

日本在住のアメリカ人女性が主催する外国人向けの両親学級にて。在住外国人の間で、日本で主流の自然分娩がやり玉にあげられた。自身が日本で出産を経験している主催者は、自らの経験から「必ずしもみんながみんな自然分娩を強要されるわけではなく、実際にはさまざまな対応が可能なはず。前もって病院側に希望する出産スタイルを紙に書くなどして伝えておいた方がいい」と熱く勧めた。

 

そこで、家に帰ってから夫と頭をつきあわせて、お産に関する病院への要求を書き出してみた。

 

1)痛みに弱いので、無痛、和痛、いかなる処置でも構わないので、できるかぎりで対応してほしい。

2)立会いをする夫が外国人なので、英語での対応をお願いしたい。

3)怒られると委縮し、褒められるとがんばれるタイプなので、どんな些細なことでも大げさに褒めてほしい。

 

最初の二つはいいとして、三番目は過保護な親の通信簿の記入欄か。一瞬消そうかと思ったが、万が一、自然分娩となった日には褒め言葉は絶対必須だと思い、書き残した。

 

そして、いよいよ38週目の最後の検診。そこで、私は許容体重ギリギリまで来てしまい、助産婦さんから「これ以上、増やさないで」ときつくお叱りをいただいた。――それでは、今日から断食しろと?と頭で反撃しながらも、この段階に至っても食い悪阻が治まらず、おせんべいが手放せない。それどころか、これから出産してしまうと、赤ちゃん連れでは外食もままならず、じっくり手の込んだ料理もできないに違いない――と思ったので、回転寿司やらイタリアンやらと行っておきたい店には行き納めをし、家でも盛んに料理して――実によく食べた。

 

かくして日曜日の朝に――陣痛らしきものが、穏やかにやってきた。病院に電話を入れると、痛みの間隔に注意していよいよ陣痛らしくなったら来るように――とのことだった。「あのさ、今日、日曜日だよね」「予定日まだだよね」――お腹をさすりながら語りかける。週末だと麻酔医がいないのだ――。初産は時間がかかるものらしく、人によっては日付を越えることもあるという。――月曜の朝イチなら麻酔医が来るかしら――この期に及んでも、まだ無痛分娩があきらめきれない。

 

私は頭から布団をかぶって不貞寝をしてしまった。昼間に起きると、夫に外に連れ出された。臨月の妊婦に適度な運動は必要だと、勝手に専属コーチを名乗り出て方々を歩かせてきた夫は、こんな日でも鬼コーチだった。

母親学級で配られたプリントの<無痛分娩>の項目に、「日曜の夜は当直の麻酔医がいないため、無痛分娩の処置はいたしかねます」と書いてあるのを見つけた私は、「これは本当に、本当なんですか?」と食い入った。すると、「どうしても無痛分娩をなさりたいんですか?」と助産婦さん。「夫が、日本では無痛分娩の技術がないのだろうといぶかしがっております」と食い下がると「ご主人が外国の方だと、そうやって甘えてしまうお母さんが多いんですよね」とため息をつかれた。

 

――甘えるぅ?甘えているだとぉおおお!?――確かに、お腹の赤ちゃんの為ならどんな痛みも耐えようと思わない私は未熟かもしれない。が実際に、お金を払って医療行為を受けようというのに、病院のポリシーが優先で、患者が甘えん坊呼ばわりされるのはどういうことだ。見かねて妊婦友達が病院を変えることを勧めてくれたが、今さらそんなこと面倒くさくてやってられない。――そうだ。要は、週末に産まなければいいのだ。その日から、私はお腹の子に語りかけ始めた。「平日に生まれなさい。それから、あんまり痛くしないように」と。

 

病院から紹介された外国人向けの両親学級というのにも、夫とともに参加した。主催者は、日本で2人の子どもを産んだアメリカ人女性で、快活なジョークを交えながら、日本での出産話を盛り上げる。ビデオが上映され、見てみると、農家の大家族の嫁が、生まれてくる赤ちゃんのお兄ちゃん、お姉ちゃんも含む一族郎党が見守る中で、ひいひい叫びながら産んでいる――それだけ日本の出産はナチュラルなのです、と締めくくるビデオを見終わる頃には、私は固まっていた。慌てて隣を見ると、「僕はこんなにたくさんオーディエンスは要らないな」と早速夫が誤解している。一方近くの席のオランダ人夫婦は「日本でも家で産めるの?」と目を輝かせている。オランダでは、自宅出産が一般的なのだそうだ。

 

参加者の間で話題に上ったのは、無痛分娩のことであった。どちら様も、あちこちの産院で自然分娩を勧められているらしい。その理由は、日本では、麻酔医の確保が難しいとのことであった。そして何よりも、胎児や母体への麻酔による悪影響の恐れが無い、自然分娩が王道とされており、「痛い思いをして産んだからこそ可愛いいのだ」と、"痛み"は母になるための通過儀礼という文化的な要素も強い。じゃあ、鼻から痛い思いしてスイカを出せば、スイカが無性に可愛くなるのか?――そんなことは誰も言ってない。

 

日本では、妊婦さんの為に、ご存じ「母親学級」なるものがある。区でも開催されていたそうだが、私は通院しているA病院が主催するものに参加した。4回に渡って行われたそれは、私のようなへその曲がった人間にはやや息苦しい、健全な空気が漂うものであった。――第一回目は、母体と胎児のための食事や体重管理について。細かい栄養素別の表は、苦手だった家庭科の時間を彷彿させた。

 

第二回目は出産の具体的な経過について。陣痛が始まってから、お腹の中の我が子にご対面するまでのプロセスを学んだ。そこで私は、夫の国、フィンランドでなら当たり前の無痛分娩について聞いてみた。痛み恐怖症の小心者ゆえに、無痛分娩には興味シンシンだったのだ。ところが――助産婦さんは非常に困った顔をして、「胎児にとっても母体にとっても自然なお産の方が・」「麻酔による悪影響のリスクがあります」となんだかんだと言って自然分娩を薦める。――なんで無痛分娩をそんなに嫌がるかなぁ?

 

 家に帰って病院のパンフレットを読み直して合点が行った。「自然分娩と母乳育児」――これこそがA病院のポリシーであり、無痛分娩がしたかったら、あらかじめそれを専門とする病院を選んでおくべきだったのである。――無痛、和痛、水中、アロマテラピーに食事はフレンチ――出産一つにも病院ごとにこんな多様なスタイルやポリシーがあるなんて――私のように、ただ近くで普通に用事だけを済ませたいナマケモノにとって、日本の選択肢の多さは、ただただ面倒くさくありがた迷惑だった。

 

第三回目は、「お乳の手入れ」がテーマ。産後の乳の出が良くなるように、安定期に入ってからのマッサージが薦められ、布製のおっぱいの模型を相手にやってみる。灰色の古ストッキングで作られた、血色の悪い乳首をいじくりまわすこの作業に、私も顔色を悪くし、さらに家でお風呂上がりに実践してみたが、なんだか滑稽で泣けてきた。私は、自分自身がほとんどミルク育ちで、それでも五体満足なので、母乳に対する意識は低かったのだ。

 

第四回目は、質疑応答のコーナーとなっていたが、もはや臨月の私達は、出産の痛みへの恐怖に、産前ブルーになっており、挙がる手もまばらだった。最後に小児科の先生から、赤ちゃんの発達についてありがたいレクチャーをいただいて解散。と思ったら、ちょっとまてぇー。私は、再び助産婦さんを捕まえた。配られたプリントの、「無痛分娩について」の項目に、「日曜の夜は当直の麻酔医がいないため、無痛分娩の処置はいたしかねます」と書いてあるのを見つけたからだ。

 

あれは今は昔、日本滞在時のこと――妊娠5ヶ月目して、健診の際にはフィンランド人の夫も病院についてくるようになった。

 

まず、日本の病院といえば、待ち時間が長い。そのことを重々承知している病院では、受付を済ませる際に、呼び出し用の小型の電子機器のようなものを持たせてくれた――にも関わらず、人口520万人の国出身の夫ときたら、順番待ちの素人だ。私が、本を一冊持って行くことを勧めたのにもかかわらず手ぶらで来てしまった彼は、妊婦さんの付き添いで来ているお母様方を目にしては「あの歳で出産はきついんじゃないの」だの「まさかあの人も妊婦じゃないよね」と、耳打ちしては、文庫本に目を落とす私の邪魔をする。「静かにして」と怒りつけて黙らせたものの、後日、フィンランドの健康センターや産院に通うようになってから、夫が目にしていたものとの違いをはっきり認識した――妊婦の付き添いは妊婦の夫であって、母親連れなど珍しいのだ――フィンランドでは。

 

それはさておき、出産時に夫が立ち会うことを前提に、英語環境が強そうな"広尾"という立地条件だけにこだわって決めたA病院であったが、実際に、医師が率先して夫に英語で話しかけてくれるということはほとんど無かった。これまでの経験で、同じく広尾の別の病院でもお医者さんともあろうお方が、風邪の所見一つを英語で言えないのを目の当たりにしたことがあったので、さほど驚きはしなかったし、日本に住んでいながら日本語ができない夫のほうが問題視されるのはいたしかたないとも思った。が、せっかく出産に立ち会ってくれようと張り切っている夫が言葉の壁に阻止されているのは切なく、言葉ごときの問題で日本の医療関係者のレベルが夫に怪しまれるのも、日本人としてはもどかしかった。

 

さらに超音波検査では、お腹の中の胎児のエコー写真を撮るわけだが、この写真にものすごい気合いを入れてらっしゃる先生が多いのには驚く。「あ、今ちょうどこっちを向きました」「あああ、お尻を向けて寝てしまっていますね・・・・・・」と、お腹に当てた機械にぐっと力を入れて、角度を変えてシャッターチャンスを狙う様子などは、本職はカメラマンかと思うような勢いだ。フィンランドでは、その辺も非常にあっさりしており、画像をモニターで一緒に見るだけで、写真がもらえなかったこともあった。というわけで、日本での長男の超音波写真は薄いアルバム一冊分ぐらいたまったが、フィンランド産の次男については5本の指が余るほどしかない。――許せ、次男坊。

我が家には、日本産の男の子が一人と、フィンランド産の男の子が一人いる。産まれる前にフィンランドに渡る可能性が出てきた長男には、彼の運命をそのままに「海を渡る=海渡(かいと)」と命名し、在住4年目にしてフィンランドで授かった次男には、フィンランドの白樺の木をイメージして「優しい樹=優樹(ゆうき)」と名付けた。この二人がこの世に登場した時のことを振り返って、日本とフィンランドの出産事情を比べてみよう。

 

長男を身ごもったのは2002年の晩秋。まだ日本に住んでいた時のことだった。早速、近くの産婦人科をネットで調べ、アットホームな小さめのクリニックを選んで出かけてみると、優秀そうな若い女の先生が、テキパキと診断を済ませてくれた。妊娠が確定されたものの、まだ12週で胎児が小さく、心拍数が確認できないので一週間後に再診してもらうことになった。ところが――その日を待たずして、ある朝下着に出血の跡を確認した私は、泣きながらクリニックに駆けつけた。胎児の生息は確認できたものの、切迫流産の可能性があるとのことで、私は、絶対安静を申し渡され、夜中でも何かあったらすぐ連絡するようにと、先生の携帯の番号が書かれたメモを渡された。

 

こんなに良い先生が見つかって、と安堵の涙をハンカチで押えていると、先生が「でも、そろそろ産院を確定した方がいいですね」などとおっしゃる。知人友人の間では比較的結婚が早く、妊娠、出産に関して知識が乏しかった私は、このクリニックのような「婦人科」では検診ができても、実際に産むためには「産科」、「産婦人科」がある病院にかかるものだとは知らなかったのだ。その場で先生からお薦めの病院を――出産に夫が立ち会うことも考えて、英語での対応が可能そうなところを――聞いたところ、A病院の名前が挙げられた。

 

早速先生に紹介状を書いてもらい、それを持って、A病院への検診通いが始まった。5ヶ月目に入って順調にせり出してきたお腹に、時期が近付いてきたことを感じてか、夫も病院についてくるようになった。

 

その夫が、これまでフィンランドで仕入れてきた知識を総合させると、30週目まで月に1回、それ以降は月に2回という、日本の病院での内診及び超音波検査の数は「多すぎ」だと言う。私としては、特に初期に出血騒ぎがあったので、胎児の無事を確認することができるのであれば、何度診てもらおうと構わなかったが、夫は、「電磁波が怖くないのか」「胎児をそっとしておいてあげたらいいのに」とあまり喜ばしく思っていない様子。早くも文化の違いを感じた。かくしてこの日を境に、私は日・フィン産み比べエキスパートへの道を歩むことになった――ウソだ。

当サイトでは、各国在住のライターが現地発で、子育てや教育に関する情報やエッセイを発信しています。

【各媒体の編集者さま】

原稿や企画のご相談は、ご用命希望ライター名を明記のうえ、お気軽にメールにてお問い合わせ下さい

■サイト運営・管理人

   椰子ノ木やほい

■姉妹サイト

  海外在住メディア広場