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	<title>地球はとっても丸い</title>
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	<description>「海外在住メディア広場」のライターがお届けしています！</description>
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		<title>237号／原田慶子</title>
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		<pubDate>Fri, 15 Dec 2017 00:50:03 +0000</pubDate>
		<dc:creator>yashinoki</dc:creator>
				<category><![CDATA[こちら地球丸編集部]]></category>
		<category><![CDATA[原田慶子／ペルー]]></category>

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		<description><![CDATA[2017年のペルーを代表する話題といえば、なんといってもサッカー・ワールドカップの南米予選。36年ぶりの本戦出場とあって、ニュージーランドに勝利した日は国中が大騒ぎだった。あんなに一致団結したペルーを見たのは、私が移住し...]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><span style="font-size: medium;">2017年のペルーを代表する話題といえば、なんといってもサッカー・ワールドカップの南米予選。36年ぶりの本戦出場とあって、ニュージーランドに勝利した日は国中が大騒ぎだった。あんなに一致団結したペルーを見たのは、私が移住して以来初めてだ。</span><span id="more-9508"></span><span style="font-size: medium;"><br />
</span></p>
<p><span style="font-size: medium;">「36年ぶりだなんて、ペルーって弱いんじゃない？」と思う人がいるかもしれないが、そうではない。とにかく南米諸国が強すぎるのだ。FIFAランキング2位のブラジルと4位のアルゼンチンを筆頭に、チリやコロンビア、パラグアイ、ウルグアイ、といった強豪がずらりと並ぶ中、たった4.5チーム分しかない出場枠を競い合うのだからそりゃペルーだって大変だろう。</span></p>
<p><span style="font-size: medium;">加えて30年前に起こった「アリアンサ・リマの悲劇」と呼ばれるチャーター機墜落事故の後遺症もある。1987年12月8日にペルーの名門チーム、アリアンサ・リマの選手や監督を乗せたチャーター機がリマ沖に墜落、パイロットを除く乗客全員が死亡した。この事故で国の代表選手だけでなく、選手を育てるべき監督やトレーナーまで一度に失ってしまったペルーのサッカー界は、激しく打ちのめされた。当時のペルーの国情は、「ペルー移住物語」をお読みいただければおよそ想像がつくだろう。ペルー経済が立ち直り始めたのは2000年を過ぎてから。国が落ち着かねば、良い選手も育たない。</span></p>
<p><span style="font-size: medium;">「でも、それから4回くらいはチャンスがあったんじゃない？」という突っ込みはご遠慮あれ。そういう話をすると、「だって南米リーグは強豪ぞろいなんだもん」という無限ループに突入するだけ。「FIFAランキングで言えば、ペルーはコロンビアより上だよね？」というのもなしだ。とにかく本戦に出場できるのだから、細かいことは忘れよう。</span></p>
<p><span style="font-size: medium;">今月1日に行われた組み合わせ抽選で、ペルーはフランス、オーストラリア、デンマークと対戦することになった。これまたツワモノぞろいで腰が引けそうだが、夢を見るのが得意なペルー人のこと、少なくとも6月16日の初戦まではこの盛り上がりが続くはずである。あと半年以上もお祭り気分のままなんて、なんてラッキー！来年もいい年になりそうだ。</span></p>
<p><span style="font-size: medium;"> （ペルー・リマ在住　原田慶子）</span></p>
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		<title>第6回（最終回）　誕生日会の目玉は、やっぱりケーキ！</title>
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		<pubDate>Fri, 15 Dec 2017 00:45:54 +0000</pubDate>
		<dc:creator>yashinoki</dc:creator>
				<category><![CDATA[クローディアー真理／ニュージーランド]]></category>
		<category><![CDATA[ニュージー誕生日余聞／クローディアー真理]]></category>
		<category><![CDATA[未分類]]></category>

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		<description><![CDATA[親が付き添いとして、子どもの友達の誕生日会に行ってまず見せてもらうものといえば、ケーキだ。年に一度の大切なお祝い事ということで、母親が腕をふるうので力作ぞろい。子どもの幸福を願う親の思いが込められているのはいうまでもない...]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><span style="font-size: medium;">親が付き添いとして、子どもの友達の誕生日会に行ってまず見せてもらうものといえば、ケーキだ。年に一度の大切なお祝い事ということで、母親が腕をふるうので力作ぞろい。子どもの幸福を願う親の思いが込められているのはいうまでもないが、裏では、お母さん同士のライバル心もちらちらと見え隠れする。なので、毎年誕生日ケーキ作りはちょっぴりプレッシャーがかかる。もちろん、自分の子どもが喜んでくれればそれでいいのだけど……。</span><span id="more-9576"></span><span style="font-size: medium;"><br />
</span></p>
<div id="attachment_9578" class="wp-caption aligncenter" style="width: 586px"><a href="http://chikyumaru.net/wp/wp-content/uploads/nzbirthday6_1.jpg"><span style="font-size: medium;"><img class="size-full wp-image-9578 " title="nzbirthday6_1" src="http://chikyumaru.net/wp/wp-content/uploads/nzbirthday6_1.jpg" alt="" width="576" height="382" /></span></a><p class="wp-caption-text">誕生日会にはなくてはならないのがケーキ “birthday-cake-wish-candles.jpg” by r. nial bradshaw under CC BY 2.0</p></div>
<p><span style="color: #0000ff;"><strong><span style="font-size: medium;">形も違えば、デコレーションも違う</span></strong></span></p>
<p><span style="font-size: medium;">ニュージーランドの子どもの誕生日ケーキはさまざまな形で楽しい。人魚、車、動物、数字、イニシャルなど、好きなものやパーティーテーマに沿った形の型を選び、台になるスポンジを焼く。毎年同じになってはつまらないし、子どもの好みも変化する。型をいちいち買っていては、不経済なので、ベーカリーなどでレンタルしているものを利用する。保証金は20NZドル（約1,600円）取られるが、レンタル料自体は5NZドル（約390円）ととてもリーズナブル。ちゃんと借りた時と同じ状態で期日に返却すれば、保証金は戻ってくる。</span></p>
<div id="attachment_9579" class="wp-caption aligncenter" style="width: 586px"><a href="http://chikyumaru.net/wp/wp-content/uploads/nzbirthday6_2.jpg"><span style="font-size: medium;"><img class="size-full wp-image-9579 " title="nzbirthday6_2" src="http://chikyumaru.net/wp/wp-content/uploads/nzbirthday6_2.jpg" alt="" width="576" height="432" /></span></a><p class="wp-caption-text">『ウォレスとグルミット』をモチーフにした立体的なケーキ。中がどうなっているか、切ってみたくなる<br /> “Alexander&#39;s 11th Birthday Cake” by jonathan under CC BY-SA 2.0</p></div>
<p><span style="font-size: medium;">台が焼き上がれば、次は飾りだ。日本では生クリームを塗ることが多いケーキだが、こちらはアイシングが主流。バタークリームアイシング、クリームチーズアイシング……と種類は豊富だが、どれにも共通するのはかなりの脂肪と砂糖が含まれていること。生クリームのケーキはほのかな甘みが魅力だが、アイシングは基本的には砂糖の塊なので、ただただ甘い。おまけに子どものケーキの場合、フードカラーリングではっきりした色がつけられる。メリハリがある分見た目はきれい。だが、「え～、これ食べて大丈夫？」と言いたくなる、どぎつい色のものもあって、ちょっと引いてしまう。</span></p>
<div id="attachment_9581" class="wp-caption aligncenter" style="width: 586px"><a href="http://chikyumaru.net/wp/wp-content/uploads/nzbirthday6_4.jpg"><span style="font-size: medium;"><img class="size-full wp-image-9581 " title="nzbirthday6_4" src="http://chikyumaru.net/wp/wp-content/uploads/nzbirthday6_4.jpg" alt="" width="576" height="432" /></span></a><p class="wp-caption-text">普通の円形のケーキも使い方次第で、ユニークな形に<br /> “Handbags Are A Girls Best Friend!” by Angie Chapman under CC BY-ND 2.0</p></div>
<p><span style="font-size: medium;">アイシングの扱いに慣れているお母さんのデコレーションは玄人はだし。手先が器用で、ケーキ上に飾る小さな花や人形などもアイシングでひとつひとつカラフルに細かく作る。生クリームを絞り袋に入れてのデコレーションとはまた違った立体感があって、生クリームのケーキで育った私はいつもうなってしまう。</span></p>
<p><span style="font-size: medium;">大きなケーキを作る一方で、それとマッチしたカップケーキを別に用意する家庭もある。メインのケーキはロウソクを立て、子どもが吹き消すためのもので、カップケーキはパーティーの最後に、招待された子どもに配られる。大きい方のケーキを切るのが惜しいからなのかな、と思っていたが、そうではないらしい。カップケーキの方が持ち帰ってもらう際、扱いやすいから、という気配りから作るとのこと。それでなくても手間がかかる誕生日会なのに、念入りだなぁと感心する。</span></p>
<p><span style="color: #0000ff;"><strong><span style="font-size: medium;">不器用な作りでも、愛情たっぷりが一番</span></strong></span></p>
<p><span style="font-size: medium;">日常的に自宅でマフィンやケーキなどを焼く家庭が多いので、誕生日ケーキも手作りが主流だ。母親が忙しくて都合がつかなかったり、ケーキ作りが苦手だったりする場合は注文することもできる。スーパーマーケットで出来合いのキャラクターつきケーキを約30NZドル（約2,300円）で買えるし、依頼すれば約50NZドル（約3,900円）で円形のケーキを焼いてもらえるが、凝ったデコレーションは望めない。</span></p>
<div id="attachment_9580" class="wp-caption aligncenter" style="width: 586px"><a href="http://chikyumaru.net/wp/wp-content/uploads/nzbirthday6_3.jpg"><span style="font-size: medium;"><img class="size-full wp-image-9580 " title="nzbirthday6_3" src="http://chikyumaru.net/wp/wp-content/uploads/nzbirthday6_3.jpg" alt="" width="576" height="356" /></span></a><p class="wp-caption-text">ギターの形のケーキ型を使って。アイシングを絞ってスペースを埋める作業には時間と愛情が！<br /> “Dylan&#39;s Birthday Cake” by {just jennifer} under CC BY 2.0</p></div>
<p><span style="font-size: medium;">専門のケーキ屋さんも誕生日ケーキを作ってくれる。パーティーの人数や好みに合わせて注文する場合、大きさやデザインによるが、100NZドル（約7,800円）からといったところ。見た目も味もパーフェクトなものになるし、子どもの好みは反映されているしと、言うことはないのだが、私はちょっと物足りない気がする。多少見た目は不器用であっても、手作りに勝るものはないと思うからだ。プロのように材料や器具がきちんとそろっているわけではない分、ほかのもので代用するなど工夫を凝らす。一生懸命作った、お母さんの手作りケーキは世界にたったひとつ。誕生日の後も、子どもはもちろん、家族にとっても、大切な思い出になる。</span></p>
<p><span style="font-size: medium;">《<a href="http://mediahiroba.com/?p=320" target="_blank"><span style="color: #0000ff;">クローディアー真理／プロフィール</span></a>》<br />
フリーランスライター。1998年よりニュージーランド在住。雑誌、ウェブサイトを中心に、文化、子育て・教育、環境、ビジネスといった分野で執筆活動を行う。今年の娘の誕生日ケーキはあえて日本風ストロベリーショートケーキにしてみたところ、当地の子どもたちに好評だった。</span><strong> </strong></p>
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		<title>第25回　もうすぐ消滅するかもしれない刺繍・デスイラード　後編</title>
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		<pubDate>Thu, 14 Dec 2017 19:37:57 +0000</pubDate>
		<dc:creator>yashinoki</dc:creator>
				<category><![CDATA[スペイン職人物語／河合妙香]]></category>
		<category><![CDATA[河合妙香／スペイン・トレド]]></category>

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		<description><![CDATA[デスイラードというレース編みの手法が、他の国＊にもあるのかどうか知りません。少なくとも日本で見た覚えはありません。スペイン語に訳せば、それがどんな技法かおわかりいただけるでしょう。「デスイラード」とは、「糸を抜く」「糸を...]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><span style="font-size: medium;">デスイラードというレース編みの手法が、他の国<sup><span style="font-size: small;">＊</span></sup>にもあるのかどうか知りません。少なくとも日本で見た覚えはありません。スペイン語に訳せば、それがどんな技法かおわかりいただけるでしょう。「デスイラード」とは、「糸を抜く」「糸を減らす」という意味なのです。それが何を意味するのか、ご紹介しましょう。</span><span id="more-9541"></span></p>
<p><span style="font-size: medium;">(1)  細かいマス目のある台紙にデザインを描き起こす。花型、星型など外枠となる形と、内側の透かし模様の形を決める。透かし模様を作るために、マス目を利用しながら抜き取る糸の数を計算しておく。</span></p>
<div id="attachment_9543" class="wp-caption aligncenter" style="width: 586px"><a href="http://chikyumaru.net/wp/wp-content/uploads/shokunin25_01.jpg"><span style="font-size: medium;"><img class="size-full wp-image-9543 " title="shokunin25_01" src="http://chikyumaru.net/wp/wp-content/uploads/shokunin25_01.jpg" alt="" width="576" height="461" /></span></a><p class="wp-caption-text">マス目用紙にデザインを起こす</p></div>
<p><span style="font-size: medium;">(2) 内側で糸を切っても布がほつれないようにするために、(1)で決めた外枠をしっかりと縫いながら固める。</span></p>
<div id="attachment_9544" class="wp-caption aligncenter" style="width: 586px"><a href="http://chikyumaru.net/wp/wp-content/uploads/shokunin25_02.jpg"><span style="font-size: medium;"><img class="size-full wp-image-9544 " title="shokunin25_02" src="http://chikyumaru.net/wp/wp-content/uploads/shokunin25_02.jpg" alt="" width="576" height="383" /></span></a><p class="wp-caption-text">外枠を縫ってしっかり固める</p></div>
<p><span style="font-size: medium;">(3) 外枠の内側に透かし模様を作るため、3本ずつ、5本ずつなど抜き取るヨコ糸とタテ糸の本数を数えながら、ハサミで切り込みを入れていく。1本くらいの間違いならなんとか修正できても、間違いが多いと、抜いたときに穴の大きさがバラバラになってしまうので、慎重にやらなくてはならない。</span></p>
<p><span style="font-size: medium;"><span style="color: #0000ff;"><a href="https://www.youtube.com/watch?v=Kd2F8VIYFwk" target="_blank"><span style="color: #0000ff;">枠を固めてから、糸を切っていく作業を動画で</span></a></span>ご覧下さい。</span> (＊字幕をオンにして下さい)</p>
<div id="attachment_9545" class="wp-caption aligncenter" style="width: 586px"><a href="http://chikyumaru.net/wp/wp-content/uploads/shokunin25_03.jpg"><span style="font-size: medium;"><img class="size-full wp-image-9545 " title="shokunin25_03" src="http://chikyumaru.net/wp/wp-content/uploads/shokunin25_03.jpg" alt="" width="576" height="498" /></span></a><p class="wp-caption-text">図面通りに、糸を切っていく</p></div>
<p><span style="font-size: medium;">(4) 抜くべき糸の全てに切り込みを入れたら、糸を1本ずつ抜いていく。 すべて抜き終わると、美しい透かし編みの完成となる。</span></p>
<p><span style="font-size: medium;"><a href="https://www.youtube.com/watch?v=f46ecvotIqM" target="_blank"><span style="color: #0000ff;">枠内の糸を切り終わった後に、糸を抜く作業を動画で</span></a> ご覧下さい。(＊字幕をオンにして下さい)</span></p>
<div id="attachment_9546" class="wp-caption aligncenter" style="width: 610px"><a href="http://chikyumaru.net/wp/wp-content/uploads/shokunin25_04.jpg"><span style="font-size: medium;"><img class="size-full wp-image-9546 " title="shokunin25_04" src="http://chikyumaru.net/wp/wp-content/uploads/shokunin25_04.jpg" alt="" width="600" height="199" /></span></a><p class="wp-caption-text">両端を切った糸を順番に抜いていく／左側の図面通りになっていく布</p></div>
<p><span style="font-size: medium;">(3) の段階では、見ていても、どこをどう切っていて、それがどんな模様になるのか、皆目見当がつきません。(4) の段階になってようやく、「糸を抜くって、そういうことだったのか」とわかりました。タテ糸の上端を切ったら、同じ糸の下端を切り、引っ張って抜く。ヨコ糸の左端を切ったら、同じ糸の右端を切って、抜く。透かし模様は、糸の抜き加減で作られていくのです。</span></p>
<p><span style="font-size: medium;">エミコさんと店を訪れた時の話に戻しましょう。</span></p>
<p><span style="font-size: medium;">「デスイラードの作品には、どんなものがあるんですか？　もしよろしかったら、見せていただけませんか？」</span></p>
<p><span style="font-size: medium;">それまでは全く知らなかった刺繍の技法であるのに、「消滅するかもしれない」という言葉にいてもたってもいられなくなり、私たちはマリベルさんに懇願しました。</span></p>
<p><span style="font-size: medium;">「いいわよ」</span></p>
<p><span style="font-size: medium;">後ろのガラス棚から取り出してくれたのは大作でした。ダブルベッド用のカバーです。全面にデスイラード技法の刺繍が入っており、大切に作られていることが、布が発する温かいエネルギーでわかりました。</span></p>
<p><span style="font-size: medium;">他の西洋の国々ではどうなのかよく知らないのですが、スペインにはベッドメイキングに美しいルールがあり、ベッド周りを大事にする文化があります。人の家に行くたびに、きちんと整えられているベッドに感心させられます。マリベルさんが見せてくれたベッドカバーにも、途方もないほどの労力を惜しみなく出す作り手の愛情とこの国の文化を感じ、私は心を打たれてしまいました。こんなに美しいベッドカバーに包まれて寝ることができたら、どんなに幸せでしょう。</span></p>
<p><span style="font-size: medium;">私は子どもの頃、「布団を裏打ちしてもらったわ。綿屋さんに高級な綿を入れてもらったのよ」と喜ぶ母の姿が大好きでした。花柄の木綿の布に包まれた、ふわふわした布団は、それは気持ちの良いものでした。今は日本でもスペインでも、布団は衣類スーパーや大型スーパーで手軽に売られているわけで、そういうものを買って使用している自分ですが、私が愛しているのは、かつて母が頼んで作ってもらっていた布団であり、それが私にくれた感触です。そして、そういうものを嬉しいと思う母の心なのです。そのような居心地の良い気持ちが、マリベルさんが見せてくれたベッドカバーを見て、一瞬で蘇ったのでした。</span></p>
<p><span style="font-size: medium;">「いくらですか？」</span></p>
<p><span style="font-size: medium;">すぐにお金に換算してしまう自分自身に、それまで浸っていたロマンがぶち壊されてしまうわけですが、聞きたくて聞いてしまいました。</span></p>
<p><span style="font-size: medium;">「これは売れないわ」</span></p>
<p><span style="font-size: medium;">「ええ？」</span></p>
<p><span style="font-size: medium;">「こんな大作は、もう作れないのよ。もう40年くらい前のものよ」</span></p>
<p><span style="font-size: medium;">今引退している女性たちがまだ40代前後の働き盛りだった頃、主婦たちは家の軒先に小さな椅子を出して座り、ずらりと並んで、ひねもす、おしゃべりしながら布を広げて刺繍していました。オロペサや隣村ラガルテラの風物詩です。今では写真でしか見ることができない風景です。</span></p>
<p><span style="font-size: medium;">「こっちならいいわよ」</span></p>
<p><span style="font-size: medium;">そう勧めてくれた作品も大変美しいベッドカバーでしたが、 簡単に手が出せる金額ではありませんでした。とはいえ、制作にかかったという2ヶ月間を給料に換算すると、そのデスイラードの作り手は、搾取と呼ばざるをえないほど少ない額で卸していたことになります。</span></p>
<p><span style="font-size: medium;">「あまり高いと売れないから、買ってもらえる額をつけるしかないのよ」</span></p>
<p><span style="font-size: medium;">値段には布代やお店の経費も含まれているので、諸々を差し引かれた額しか手元に残りません。布も、どれでも良いというわけではなく、バルセロナの近くにある麻布の専門店から買い付けます。</span></p>
<p><span style="font-size: medium;">デスイラードの問題は、深刻でした。</span></p>
<p><span style="font-size: medium;">黙ってしまった私たち。</span></p>
<p><span style="font-size: medium;">三人の間で、伝染したかのように、ため息が何度もこぼれてしまいました。</span></p>
<p><span style="font-size: medium;">その暗い沈黙に柔らかな灯りをかざすように、マリベルさんが、デスイラードが施された小さめの布を手にとって言いました。</span></p>
<p><span style="font-size: medium;">「お客さんに、貴族のご夫婦がいらしてね。年に何度か、このサイズのをまとめて買ってくださるの。ご主人が、おトイレの手拭きにしているんですって。濡れたものは使わないから、１日に何枚も使うそうよ。でも、この布じゃなければ嫌だっておっしゃるんですって」<br />
まだそんな感性で生活をしている貴族がいると知り、 心の中に温かな火が灯された気持ちになりました。</span></p>
<p><span style="font-size: medium;">秋のある晴れた日、私はマリベルさんを再訪するために、また高速を走っていました。その日は、一人でした。</span></p>
<p><span style="font-size: medium;">「いつかデスイラードの作品を手にしたいけれど、今は心が少し混乱して決められないので、近いし、またゆっくり来ます」</span></p>
<p><span style="font-size: medium;">前回私たちは、そう告げてマリベルさんのお店を後にしたのです。今回は実演もしてくれると言い、おかげで、冒頭でご紹介することができました。</span></p>
<p><span style="font-size: medium;">「マリベルさん、こんにちは」</span></p>
<p><span style="font-size: medium;">テーブルの上には、すでに懐かしく思えるおしゃれな布たちが、あの日のようにたくさん並んでいました。</span></p>
<p><span style="font-size: medium;">「やっぱり、この小さいのも、いいですね」 と、私。</span></p>
<p><span style="font-size: medium;">「それを買ってくれていたお客様の話。覚えている？」と、マリベルさん。</span></p>
<p><span style="font-size: medium;">「これをタオル代わりにするという、あの貴族の方ですねー？」</span></p>
<p><span style="font-size: medium;">「ご主人が、先日亡くなったのよ」</span></p>
<p><span style="font-size: medium;">「まあ……」</span></p>
<p><span style="font-size: medium;">「また一人、デスイラードを知る人が……」と、マリベルさんが、寂しげに目を落としました。</span></p>
<p><span style="font-size: medium;">私は、ちょっと素敵なテーブルクロスを購入しました。いつの日か骨董になるかもしれないデスイラードの、私にとって初めての作品でした。来年、エミコさんがまたトレドに来たら、このクロスを敷いて、とびきり素敵なランチ・パーティーをするつもりです。マリベルさんも、呼ぼうかな！</span></p>
<p><span style="font-size: medium;"><span style="color: #3366ff;"><br />
</span></span></p>
<p><span style="color: #3366ff;"><span style="font-size: small;"> 【＊追記】編集過程で</span><span style="font-size: small;">編集部の<a href="http://mediahiroba.com/?p=2263" target="_blank">凛福子さん</a>に、イタリアにはドロンワーク、ノルウェーにはハーダンガー刺繍があると教えられました。おかげでインターネットの色々な記事にたどり着くことができ、レティセラ、プント・イン・アリアなどの技法もあること、それらは歴史も古く、アジア起源でフン族が欧州に伝えたらしいなどと知ることができました。日本にも作家さんがいらっしゃり、関連本もいろいろと発売されているそうです。凛さん、ありがとうございます。デスイラードもまた、かつてスペインに住んでいたアラブ人が伝えた伝統なのかもしれないと、いにしえに思いを馳せました。</span></span></p>
<p><span style="color: #3366ff;"><span style="font-size: small;"> </span></span></p>
<div id="attachment_9574" class="wp-caption aligncenter" style="width: 586px"><a href="http://chikyumaru.net/wp/wp-content/uploads/shokunin25_09.jpg"><img class="size-full wp-image-9574 " title="shokunin25_09" src="http://chikyumaru.net/wp/wp-content/uploads/shokunin25_09.jpg" alt="" width="576" height="383" /></a><p class="wp-caption-text">完成した模様</p></div>
<p><span style="font-size: medium;"><span style="color: #000000;">《<a href="http://mediahiroba.com/?p=306"><span style="color: #0000ff;">河合妙香（かわいたえこ）／プロフィール</span></a>》</span><br />
スペイン在住15年。ライター・フォトグラファー。大学講師。ビジネス・旅行コーディネーター。台湾・フランスを含め海外在住歴25年。日西通訳のほか、スペイン語・中国語の通訳も。最近、中国人留学生（歴史が好きな男の子二人）に日本語を教え始めた。中国の知られざる歴史や豊臣秀吉観などを詳しく教えてくれて、大変面白い。一方で、ユダヤ女性の友達と日本のユダヤ伝説について調べたり、彼女とイスラム教徒 との温かい交流を知ったり、長崎が舞台となるカトリック神父の殉教劇を見たり、スペインの新聞エル・パイスから、ラーメンについてのインタビューを受けたりと、良い人間関係を満喫中。</span></p>
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		<title>第19回 少年使節</title>
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		<pubDate>Wed, 13 Dec 2017 21:41:22 +0000</pubDate>
		<dc:creator>yashinoki</dc:creator>
				<category><![CDATA[えふなおこ／日本・東京]]></category>
		<category><![CDATA[さるいてみんね長崎／えふなおこ]]></category>

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		<description><![CDATA[ 
長崎空港は大村湾に浮かぶ箕島（みしま）を造成して建設した世界初の海上空港で、長崎上陸の際は箕島大橋という1キロ弱の連絡橋を車やバスで渡る（鉄道はない）。橋のたもとには「天正遣欧少年使節」の4人の像が建っている。車だと...]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p style="text-align: left;"><a href="http://chikyumaru.net/wp/wp-content/uploads/nagasaki19_1.jpg"><img class="aligncenter size-full wp-image-9526" title="nagasaki19_1" src="http://chikyumaru.net/wp/wp-content/uploads/nagasaki19_1.jpg" alt="" width="600" height="314" /></a><span style="font-size: medium;"> </span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="font-size: medium;">長崎空港は大村湾に浮かぶ箕島（みしま）を造成して建設した世界初の海上空港で、長崎上陸の際は箕島大橋という1キロ弱の連絡橋を車やバスで渡る（鉄道はない）。橋のたもとには「天正遣欧少年使節」の4人の像が建っている。車だと一瞬で通り過ぎるのでじっくり眺めるのは難しいが、この像を見るたび私は「ああ長崎だ」と感慨を覚える。その私も長崎にやってきた当初は「これ、誰だったかなあ」というほどの無知であった。<span id="more-9525"></span>しかし長崎との付き合いが深まるにつれ、彼らの数奇な人生に驚き、涙するまでになる。</span></p>
<div id="attachment_9527" class="wp-caption aligncenter" style="width: 567px"><a href="http://chikyumaru.net/wp/wp-content/uploads/nagasaki19_2.jpg"><span style="font-size: medium;"><img class="size-full wp-image-9527  " title="nagasaki19_2" src="http://chikyumaru.net/wp/wp-content/uploads/nagasaki19_2.jpg" alt="" width="557" height="216" /></span></a><p class="wp-caption-text">天正遣欧少年使節像と肖像画</p></div>
<p><span style="font-size: medium;">「天正遣欧少年使節」は天正10年（1582年）に長崎からローマを目指して出航した。イエズス会ヴァリニャーノ司祭の発案で壮大な計画は実行された。長崎、九州の大名の縁者で前途有望なキリシタンの少年4人をローマ教皇に謁見させ、東洋の果ての日本にどれだけカトリックが根付いたかを知らせ、日本での布教にさらなる支援を受けるため。また、少年達にカトリックの都ローマを見せて帰国後の布教に役立てさせるため。日本人でヨーロッパに行って帰ったのは天正遣欧少年使節が史上初である。</span></p>
<p><span style="font-size: medium;">詳細は書籍やインターネットで数多く紹介されているので読んでいただきたいが、伊東マンショ、千々石（ちぢわ）ミゲル、中浦ジュリアン、原マルチノという13～14歳の少年使節が8年かけて日本とヨーロッパを往復したのである。マカオ、インドを経由してポルトガルに到着、スペインで国王フェリペ2世、イタリアでメディチ家のトスカーナ大公はじめ各地の貴族の歓待を受け、遂にローマ教皇に謁見し、再びポルトガル、インド経由で無事に帰国した。現代も船でこの距離を行くのは大変だが、当時は我々の想像を絶する命がけの長旅だったに違いない。成長して戻った彼らは豊臣秀吉の前で西洋音楽を演奏した。秀吉は非常に喜んだというが、その後はキリシタン迫害に突き進んでいくので、運命とは酷いものである。</span></p>
<p><span style="font-size: medium;">彼らが出航した時が日本におけるキリスト教絶頂期だったかと思う。ザビエル来日から約30年で全国の信者は爆発的に増え、長崎は大名の大村純忠によってイエズス会に寄進され、キリシタンあふれる「東洋の小ローマ」だった。しかし少年使節が旅立って数ヶ月後に本能寺の変が起き、キリスト教に寛容だった織田信長は殺される。秀吉から始まったキリシタン弾圧は徳川時代に本格化し、彼らの人生を変えた。伊東マンショは迫害が厳しくなる中で病死、千々石ミゲルは棄教、中浦ジュリアンは西坂で拷問され殉教、原マルチノはマカオへ追放され客死。彼らの時代から約250年、長崎を中心に隠れキリシタンの苦難が続く。（<a href="http://chikyumaru.net/?p=7561" target="_blank"><span style="color: #0000ff;">第3回「殉教の丘」</span></a>参照）</span></p>
<p style="text-align: center;"><a href="http://chikyumaru.net/wp/wp-content/uploads/nagasaki19_3.jpg"><span style="font-size: medium;"><img class="aligncenter size-full wp-image-9528" title="nagasaki19_3" src="http://chikyumaru.net/wp/wp-content/uploads/nagasaki19_3.jpg" alt="" width="555" height="227" /></span></a></p>
<p><span style="font-size: medium;">今から数年前、イタリアで個人蔵だった絵画が伊東マンショの肖像とわかって話題になり、長崎や東京で公開された（その後も長崎歴史文化博物館では複製画を常設展示）。西坂の日本二十六聖人記念館でも天正遣欧少年使節の資料を見ることができる。しかし彼らにまつわる絵画や文書は日本国内よりもヨーロッパ、とくにイタリアやローマ教皇庁に保管されているものが多いようだ。これらが里帰りして日本の美術館を巡回することもある。先日も都内で少年使節がヴェネツィアに送った書簡を見たが、達筆な日本語と見事なイタリア語、4人のサインと花押が並び、教養の高さを感じるものであった。</span></p>
<p style="text-align: center;"><a href="http://chikyumaru.net/wp/wp-content/uploads/nagasaki19_4.jpg"><span style="font-size: medium;"><img class="aligncenter size-full wp-image-9529" title="nagasaki19_4" src="http://chikyumaru.net/wp/wp-content/uploads/nagasaki19_4.jpg" alt="" width="571" height="173" /></span></a></p>
<p><span style="font-size: medium;">今月はクリスマス、世界中でキリスト教徒が救世主の生誕を祝う。クリスチャン人口の少ない日本ながらも信者の多い長崎では教会がこの時とばかり美しくライトアップされミサが開かれるが、これは信仰の自由を得た潜伏キリシタンが復活して以来のことで（<a href="http://chikyumaru.net/?p=7631" target="_blank"><span style="color: #0000ff;">第4回「居留地」</span></a>参照）、少年使節の時代の教会はことごとく破壊されたため存在しない。ただひとつ、当時の面影を残すのが「サント・ドミンゴ教会跡」で、小学校の敷地から偶然掘り出されたものである。伊東マンショの複製画がある長崎歴史文化博物館からすぐのところで、跡地まるごとを資料館内で保存展示している。この教会もわずか5年で破壊され、後に代官屋敷が建ったのだが、下の地層から石積みや花十字の瓦など出土品が見つかって、往時を知る非常に貴重なものである。ぜひともさるいてみんね。</span></p>
<p><span style="font-size: medium;">（参考）<br />
<a href="https://goo.gl/ja4jZ4" target="_blank"><span style="color: #0000ff;"> 天正遣欧少年使節</span></a>／<a href="https://www.nagasaki-tabinet.com/guide/966/" target="_blank"><span style="color: #0000ff;">天正遣欧少年使節顕彰之像</span></a>／<a href="http://www.nmhc.jp/" target="_blank"><span style="color: #0000ff;">長崎歴史文化博物館</span></a>／<a href="https://www.at-nagasaki.jp/spot/60788/" target="_blank"><span style="color: #0000ff;">日本二十六聖人記念館</span></a>／<a href="https://www.nagasaki-tabinet.com/junrei/212/" target="_blank"><span style="color: #0000ff;">サント･ドミンゴ教会跡資料館</span></a></span></p>
<p><span style="font-size: medium;">《<a href="http://mediahiroba.com/?p=262" target="_blank"><span style="color: #0000ff;">えふなおこ（Naoko F）／プロフィール</span></a>》<br />
子供時代から多様な文化と人々に触れ、複数の言語教育（日本語、英語、スペイン語、フランス語、韓国語）を受ける。テレビ局、出版社、法律事務所勤務を経てフリーランサー（翻訳、ライター）。</span></p>
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		<title>第46回　雲の上は晴天なり</title>
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		<pubDate>Wed, 13 Dec 2017 02:47:38 +0000</pubDate>
		<dc:creator>yashinoki</dc:creator>
				<category><![CDATA[片岡恭子／東京]]></category>
		<category><![CDATA[運び屋だけどなんか質問ある？／片岡恭子]]></category>

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		<description><![CDATA[夏のある朝、目を覚ますと体が動かない。金縛りのようにまったく身動きがとれない。幸い意識ははっきりしていた。体が働かないぶん、頭はよく回る。すぐに前日に手足がつっていたことに思い至った。脱水症状である。東南アジアに寝たきり...]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<div id="attachment_9511" class="wp-caption aligncenter" style="width: 586px"><a href="http://chikyumaru.net/wp/wp-content/uploads/hakobiya47.jpg"><img class="size-full wp-image-9511 " title="hakobiya47" src="http://chikyumaru.net/wp/wp-content/uploads/hakobiya47.jpg" alt="" width="576" height="383" /></a><p class="wp-caption-text">羽田空港離陸直後の眼下に広がる風景</p></div>
<p><span style="font-size: medium;">夏のある朝、目を覚ますと体が動かない。金縛りのようにまったく身動きがとれない。幸い意識ははっきりしていた。体が働かないぶん、頭はよく回る。すぐに前日に手足がつっていたことに思い至った。脱水症状である。東南アジアに寝たきり老人がいないのは、自力で水が飲めなくなったら脱水を起こして死んでしまうからだ。</span><span id="more-9510"></span><span style="font-size: medium;"><br />
</span></p>
<p><span style="font-size: medium;">海外で撃たれるでもなく、刺されるでもなく、テロに巻きこまれるでもなく、このまま都内のアパートで死ぬのか。我ながらあっけない、バカみたいな死に方だな。手も足も出ない丸太のようにごろんと横たわったまま思った。おそらく普通の人ならそのまま死んでいる。特に酔っぱらいはイチコロだろう。でも、肝硬変の一歩手前で酒は一切止めたのだ。</span></p>
<p><span style="font-size: medium;">東日本大震災の翌年、横になると息ができなくて眠れなくなった。耳鼻科に行ったが異常はない。今思えばおそらく心因性の過呼吸であろう。疲れ果てれば眠れるので、夜の町を毎晩長い時間ほっつき歩いた。息苦しさを忘れるほどくたびれてやっと明け方の薄明りの中で眠りに落ちる。</span></p>
<p><span style="font-size: medium;">そんな日々の果てに台所の包丁で手首を切りつけようとした。勢いよく包丁を振り上げたとき、「本当に死にたいなら頸動脈を切れ」と耳元で声がした。包丁を手から落として床に崩れ落ちた。あれは間違いなく私だった。もう一人の自分の声だった。</span></p>
<p><span style="font-size: medium;">日本にいる私は寸止めセルフネグレクトだ。どうしても一人暮らしの部屋を片づけられない。自分一人が食べるのに手の込んだ料理なんてつくろうとはとても思えない。人って自分のためだけにはなにもできないものなのだ。足の踏み場もない部屋からなんとか這い出して、仕事をするために、誰かと会うために、風呂に入って清潔な服に着替えて外に出かける。</span></p>
<p><span style="font-size: medium;">せめて虫が湧かないようにゴミを捨て、布団を干し、洗濯をしてきた。他人を不快にさせないようにかろうじて身づくろいをしてきた。それなのに、こんな掃き溜めで孤独死したら、あっというまに私の死体に虫が湧いてしまうだろう。</span></p>
<p><span style="font-size: medium;">こんなところで死ぬわけにはいかない。死ぬのは全然かまわないのだが、さぞかし他人から憐れまれるだろう、こんなみじめな死に方はしたくない。脱水症状に生存本能が打ち勝った。初めて起動したガンダムみたいにぎくしゃくと立ち上がって水を飲み、全身をきしませながら水シャワーを浴びて体を冷やした。たまたま冷蔵庫に飲む点滴、甘酒の買い置きがあった。その日は日がな一日、ちびちび甘酒を飲みながら安静に寝ていた。</span></p>
<p><span style="font-size: medium;">暗がりでふと目覚めて自分がどこにいるのかわからないことがよくある。いつも慢性的な時差ボケなので、どこの国にいても昼夜関係なく眠くなったら眠る。夜明け前に目を覚ますと暗くてなにも見えない。おまけに出張で使うようなホテルは世界中どこでも似たり寄ったりで代わり映えしない。アメリカでもヨーロッパでもアジアでもアフリカでも、日本でさえも独りでいることに変わりはないのだ。</span></p>
<p><span style="font-size: medium;">日本にいるときはまずテレビは見ない。必要な情報がなにも得られないからだ。日本ではテレビをつけたところで視聴者にCMを見せるために番組があるのだという根本的な事実を再確認するだけだ。唯一CMのない局は強制的に受信料を徴収して、政府寄りの情報を押しつけてくる。テレビに出ればよほど金になるのだろう。「テレビの音は全部豚の鳴き声だ」と言っておきながら村上龍がテレビに出ている。</span></p>
<p><span style="font-size: medium;">世界一発行部数が多い新聞は、人民日報でもなければ、ニューヨーク・タイムズでもない。読売、朝日、毎日がトップ3を占めている。こんなに情報統制しやすい国は、北朝鮮と日本くらいだ。自分たちが世界中から嗤われていることにさえ気づいていない。</span></p>
<p><span style="font-size: medium;">いずれにせよ、極東の島国に住む人々は、日々の滅私奉公と目先のことだけで必死なので、なにごとにつけても見ざる聞かざる言わざるを貫いている。自分のことを奴隷扱いする為政者を性懲りもなく再選し続け、自ら貧困や過労死を招いている。飛んで火に入る夏の虫とはまさに日本人のことだ。</span></p>
<p><span style="font-size: medium;">世界のどこかで眠れない夜はテレビをつける。暗がりの中に映し出される我が国の緩慢な窮状や他国の急激な惨状をベッドの上で眺める。なんの落ち度もない人々が死んでいく。戦争はなくならない。正義は負ける。正直者はバカを見る。努力は報われない。才能は認められない。苦労は水の泡になる。今生きているこの世こそが地獄ではないのか？ この人生こそが天罰ではないのか？ 他の乗客乗員のことはこれっぽちも考えずに、これから私が乗る飛行機がいっそ落ちればいいのにと心ならずも呪いの言葉を吐く。</span></p>
<p><span style="font-size: medium;">どんなに長くとも明けない夜はない。時間だけはどんな人にも平等である。短く感じるか、長く感じるかは、ただその人の精神状態の如何による。雲の下にあるこの世では、雨も降れば、槍も降る。しかし、高度1万メートル、成層圏と対流圏の境目は、もはや神の領域に限りなく近い。地上がどれだけ悪天候であってもいったん雲の上まで突き抜けてしまえば、そこがいつ何時も快晴であることだけは確かだ。</span></p>
<p><span style="font-size: medium;">《<a href="http://mediahiroba.com/?p=194" target="_blank"><span style="color: #0000ff;">片岡恭子（かたおか・きょうこ）／プロフィール</span></a>》<br />
1968年京都府生まれ。同志社大学文学研究科修士課程修了。同大図書館司書として勤めた後、スペインのコンプルテンセ大学に留学。中南米を3年に渡って放浪。ベネズエラで不法労働中、民放テレビ番組をコーディネート。帰国後、ＮＨＫラジオ番組にカリスマバックパッカーとして出演。下川裕治氏が編集長を務める旅行誌に連載。蔵前仁一氏が主宰する『旅行人』に寄稿。新宿ネイキッドロフトでの旅イベント「旅人の夜」主催。2017年現在、50カ国を歴訪。オフィス北野贔屓のランジャタイ推し。処女作<a href="http://www.shunjusha.co.jp/detail/isbn/978-4-393-33331-0/" target="_blank"><span style="color: #0000ff;">『棄国子女－転がる石という生き方』（春秋社）</span></a>絶賛発売中！</span></p>
<p><span style="font-size: medium;">以下、ネット上で読める執筆記事<br />
・<a href="http://www.shunjusha.co.jp/web_shunju/index.html" target="_blank"><span style="color: #0000ff;">春秋社『WEB春秋』「ここではないどこかへ」</span></a>連載（12年5月～13年4月）<br />
・<a href="http://issuu.com/tabitabitoyo/" target="_blank"><span style="color: #0000ff;">東洋マーケティング『Tabi Tabi TOYO』「ラテンアメリカ de A a Z」</span></a>連載中（11年3月～）<br />
・<a href="http://104ka.net/jilist/series/36/" target="_blank"><span style="color: #0000ff;">投資家ネット『ジャパニーズインベスター』「ワールドナウ」</span></a>（15年5月）<br />
・<a href="http://www.nttcom.co.jp/comzine/no056/worldit/index.html" target="_blank"><span style="color: #0000ff;">NTTコムウェア『COMZINE』「世界IT事情」第8回ペルー</span></a>（08年1月）</span></p>
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		<title>第6回　自分に適した勉強方法とは</title>
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		<pubDate>Tue, 12 Dec 2017 22:47:31 +0000</pubDate>
		<dc:creator>yashinoki</dc:creator>
				<category><![CDATA[スクラブ－おばさんモニタリング技師の勉強法／伊藤葉子]]></category>
		<category><![CDATA[スクラブ]]></category>
		<category><![CDATA[モニタリング技師]]></category>

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		<description><![CDATA[学生時代、校内で開催される単発のワークショップに出来るだけ参加した。“あなたに適した勉強法を見つける”というような題名の講座に出た。私の勉強法を見つめ直し、効率よくするきっかけになった。

講師によれば、大きく分けると４...]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><span style="font-size: medium;">学生時代、校内で開催される単発のワークショップに出来るだけ参加した。“あなたに適した勉強法を見つける”というような題名の講座に出た。私の勉強法を見つめ直し、効率よくするきっかけになった。</span><span id="more-9522"></span><span style="font-size: medium;"><br />
</span></p>
<p><span style="font-size: medium;">講師によれば、大きく分けると４種類の勉強方法がある。それは視覚（visual）、聴覚（auditory）、言語 （linguistic）、運動 （kinesthetic）だという。テストを受けると、参加者は、ほぼ均等に４種類のタイプに分かれた。</span></p>
<p><span style="font-size: medium;">私は視覚タイプだと判明。納得できる気がした。</span></p>
<p><span style="font-size: medium;">講師は説明する。視覚タイプの人は、写真、図、イラストを見て、目から勉強するのが効果的。聴覚の人は、ひたすら聞いて学ぶ。言語の人は言葉を使って学ぶ。そのため、本をたくさん読んで学ぶのがいい。最後の運動の人は、身体を使って勉強する。たとえば、手で何回も書いて身体に覚えさせるというのだった。</span></p>
<p><span style="font-size: medium;">身体で勉強する、という概念は新鮮だった。まるで体育会系のようではないか。聴覚型というのも私には驚きだった。講師は言った。</span></p>
<p><span style="font-size: medium;">「ただ聞いただけで、すーっと頭に入って学習できる人もいるんですよ」</span></p>
<p><span style="font-size: medium;">私は関心してしまった。</span></p>
<p><span style="font-size: medium;">「聞くだけで勉強できるなんて、私には無理です。うらやましいです」</span></p>
<p><span style="font-size: medium;">しかも、第二言語である英語の講義を聞くだけで理解するというのは困難だ。</span></p>
<p><span style="font-size: medium;">このワークショップ以来、私は自分の視覚型を最大限に活かし、さらに他の方法も取り入れて勉強するようにした。</span></p>
<p><span style="font-size: medium;">解剖生理学の教科書のイラストをコピーし、台所に貼った。料理をしながら人体のイラストを眺め、骨や筋肉の名前を覚えた。講義を録音したCDを持ち歩き、運転中には必ず聞くようにした。時間は無駄にしなかった。</span></p>
<p><span style="font-size: medium;">裏紙をためておき、人体の名称は何度も書いて手に覚えさせた。時間があるときは教科書を必死で読んだ。こうして視覚型を中心にし、四種類の勉強法を全て駆使した。</span></p>
<p><span style="font-size: medium;">結局、解剖生理学のクラスはAを取り、一学期間先生の手伝いをし、少額ながら奨学金も頂いてしまった。このワークショップには感謝している。</span></p>
<p><span style="font-size: medium;">《<a href="http://mediahiroba.com/?p=1100" target="_blank"><span style="color: #0000ff;">伊藤葉子（いとうようこ）／プロフィール</span></a>》</span><br />
<span style="font-size: medium;">ロサンゼルス在住ライター兼翻訳者。米国登録脳神経外科術中モニタリング技師、米国登録臨床検査技師（脳波と誘発電位）。訳書に『免疫バイブル』（ＷＡＶＥ出版）がある。</span></p>
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		<title>第27回（最終回）さようならペルヘケルホ</title>
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		<pubDate>Tue, 12 Dec 2017 22:39:18 +0000</pubDate>
		<dc:creator>yashinoki</dc:creator>
				<category><![CDATA[New]]></category>
		<category><![CDATA[靴家さちこ／フィンランド]]></category>

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		<description><![CDATA[「どうだった？ 今日の難民キャンプは？」家に帰ってきた私に、夫が声をかけた。私は時折、彼のこういう無神経さが気に入らない。日本からフィンランドに戻り、日常生活に何ひとつ不便を被らなくなった“元外国人”である夫が、ケルホの...]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<div id="attachment_9519" class="wp-caption aligncenter" style="width: 586px"><a href="http://chikyumaru.net/wp/wp-content/uploads/Kutuke_27.jpg"><img class="size-full wp-image-9519 " title="Kutuke_27" src="http://chikyumaru.net/wp/wp-content/uploads/Kutuke_27.jpg" alt="" width="576" height="387" /></a><p class="wp-caption-text"> ケラヴァの街中。気が付いたら買い物するのに徒歩10分で歩けるはずのところを、次々にケルホ仲間に会うものだから、お店にたどり着くまで30分はかかるようになっていた</p></div>
<p><span style="font-size: medium;">「どうだった？ 今日の難民キャンプは？」家に帰ってきた私に、夫が声をかけた。私は時折、彼のこういう無神経さが気に入らない。日本からフィンランドに戻り、日常生活に何ひとつ不便を被らなくなった“元外国人”である夫が、ケルホのことをちゃかして「難民キャンプ」と呼ぶのはこれが初めてのことではなかった。</span><span id="more-9518"></span><span style="font-size: medium;">「あのさぁ、ケルホに通ってきている人たちの中には本当に……」珍しく苛立ちを露にした私に、夫は戸惑って「何かあったの？」と聞いた。原因は考えるまでもなかった。先のアンドレーサの話を聞いてから、私は、頭が、いや地面が、ぐるぐる回り続けているような、なんともいえない混乱に陥ってしまったのだ。</span></p>
<p><span style="font-size: medium;">口なら硬い。とりわけ女友達の秘密は絶対に漏らさないことにしている。この場合、私が夫に言って、夫からミカの耳に入ったら大変なことになるだろう。アンドレーサは自分の妹とミカが不貞を働いたと信じ込んでいるが、恐らくミカは潔白なのだ。嫉妬という感情は人を悲しくする。ありもしないことでアンドレーサに疑われていたと知ったらミカはどう反応するか。しかもそのことが親友の妻、親友という経由で耳に入ったら、悲しみを通り越して怒るだろう。とはいえ、このままにしておいてもいいのだろうか。あの場で妙に冷静だったアンドレーサだけど、家に帰ってどんな風にミカに接しているんだろうか。胸のざわつきがもう抑えられずに限界だった。</span></p>
<p><span style="font-size: medium;">「ねぇ、絶対ミカに言わないでね」と夫に念を押すと、私は数時間前にカフェでアンドレーサから聞いた話をした。「ミカが？」夫は吹き出した。「アンドレーサは、あのミカがそんなことできるとでも思っているのかね？」「ね、やっぱりそんなことしないよね」「アンドレーサは、その、大丈夫なのかな？」「え？」「実はミカは、彼女のことを心配しているんだよ」夫にそう言われても驚かなかった。アンドレーサは独学で心理学を勉強すると言っていたし、実は一度気分の落ち込みがあまりにも強いので、ポルトガル語が話せる精神科医のところにも診察に行ったことがある。</span></p>
<p><span style="font-size: medium;">「私、彼女のこと可哀そうなんだけど、もう何もしてあげられることがないのよね。私は私で、子供たちのことだけでも結構精一杯でしょ。もう、自分の想像の世界を超える他の夫婦の悩み事とか聞いてしまうと、自分も辛くなるだけで」「わかった。しばらく彼らとは会わないことにしよう。それにね、どの道もう会えなくなると思うんだ」「へ？」「こないだフィンランド中央のド田舎にある会社に面接しに行っただろう？」「あ！」「あれ、通っちゃったんだよ。就職できるんだ。あの町っていうか村、ここと比べたらとんでもなく田舎だけど、だから君には大変かもしれないけど、自然が豊かだし、子供たちには最高の環境だと思うんだよね」「わーお！」</span></p>
<p><span style="font-size: medium;">フィンランド在住8年目。これは大きなターニングポイントだった。さようならアンドレーサ。いや、それだけではなくて、さようなら、ケラヴァ。ということは、さようならペルヘケルホ！足がすくんで、地が揺れた。地震ではない。日本から夫の国のフィンランドに移住し、乳飲み子を抱えて新天地で外国人になった私。耳から入っても意味をなさないフィンランド語に囲まれながら、ベビーカーを押して長男と公園から公園をさまよった日々。やっと長男を保育園に入れて語学教室に通い始めた時は奇跡のようで、この次は就職だと思ったら次男を授かった時の気持ちの揺れ。それでも長男の時に公園で友達を見つけるのに苦労した経験をもとに、次男と私はケルホを見つけ、外国人の仲間たちとフィンランド社会の様々な発見と冒険を共にしてきた。<strong> </strong></span></p>
<p><span style="font-size: medium;">そのケルホでも、次男と同じかそれより少し大きな子供たちは、もう保育園に通い始めた。子供たちが保育園に通い始めると、ママたちも語学コースに通い始めて、やがてインターンで働き、就職活動を始める。言語障害が発覚した次男は、その当時夫が会社を辞めて家に居るようになり、私もフリーランスライターをしていたので、「両親とも家にいる家庭では保育園に通わせることはできない」と夫が言い張るので、一時保育を週に3回、音楽教室を週に１回通わせて、時間さえあればケルホに通い続けていた。ケルホを「卒業」した仲間とケラヴァの街中で会うこともしばしあって、「もう外国人でいるのはいや。ケルホには行きたくもない」という人もいれば、「楽しかったわ。まだ通えるなんてうらやましい」「あの頃に帰ってみんなとコーヒー飲んでおしゃべりしたい」と目を遠くする人もいて、私はそのどちらにもただうなずいて聞いているだけだった。</span></p>
<p><span style="font-size: medium;">さようならケルホ。私は手帳を開き、次男の一時保育と音楽教室が入っていない平日の午前中に印をつけた。ああこの日も、私はいつもの玄関のチャイムを鳴らす。パウラかメリヤかケルホの誰かが、ケルホのドアを開けて「モイ！」と迎え入れてくれるだろう。泣かないでお礼とお別れが言えるだろうか。月火水木、月火水木、来る日も来る日も通い続け「第二の応接間」とまで呼んでいたケルホ。夫と喧嘩して、本当に避難所に行くような気持ちで駆けこんで行った日もあった。私と次男の「卒業」はこんな形で、ある日突然訪れた。ありがとうケルホ。手帳を持つ手がふるえ、開いたページがぼやけて、涙で濡れた文字がにじんで揺れた。</span></p>
<p><strong>《ペルヘケルホ人物紹介》</strong></p>
<p><strong>筆者＝</strong><strong>靴家さちこ：</strong>フィンランド人の夫との間に2人の男児を持つ日本人。外国人母子向けの児童館「ペルヘケルホ」に次男と通い、フィンランド語を鍛えている。</p>
<p><strong>パウラとメリヤ：</strong>ケラヴァ市がプロジェクトとして認可した「ペルヘケルホ」を運営するフィンランド人の職員。明るくて真っ直ぐで、とてもパワフルな女性たち。<strong> </strong></p>
<p><strong>アンドレーサ：</strong>筆者に誘われて、筆者の次男と同い年の息子を連れて「ペルヘケルホ」に通ってくるようになったブラジル人。フィンランド人の夫のミカは、筆者の夫の高校時代からの親友。 <strong> </strong></p>
<p><span style="font-size: medium;"><strong> </strong>《<a href="http://mediahiroba.com/?p=219" target="_blank"><span style="background-color: #ffffff;"><span style="color: #0000ff;">靴家さちこ（くつけさちこ）／プロフィール</span></span></a>》<br />
1974年生まれ。フィンランド在住ライター／ジャーナリスト。青山学院大学文学部英米文学科を卒業後、米国系企業、フィンランド系企業を経て、2004年よりフィンランドへ移住。『Love!北欧』『FQ』などの雑誌・ムックの他、『T-SITE』『ハフィントンポスト』『NewsPics』などのWEBサイトにも多数寄稿。共著に『ニッポンの評判』、『お手本の国のウソ』（新潮社）、『住んでみてわかった本当のフィンランド』などがある。</span></p>
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		<title>第19回　津村光之－ペルーと日本の懸け橋として生きる　後編</title>
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		<pubDate>Sun, 10 Dec 2017 03:00:25 +0000</pubDate>
		<dc:creator>yashinoki</dc:creator>
				<category><![CDATA[New]]></category>
		<category><![CDATA[原田慶子／ペルー]]></category>
		<category><![CDATA[ペルー移住物語]]></category>

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		<description><![CDATA[「ペルー移住物語」に共通する出来事、それは1980～2000年にかけペルーを恐怖に陥れたテロリストの活動だ。その歴史で必ず語られる96年のペルー日本大使公邸占拠事件では、津村さんも人質として10日間も監禁されている。とこ...]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><span style="font-size: medium;">「ペルー移住物語」に共通する出来事、それは1980～2000年にかけペルーを恐怖に陥れたテロリストの活動だ。その歴史で必ず語られる96年のペルー日本大使公邸占拠事件では、津村さんも人質として10日間も監禁されている。ところが津村さんは、「いやぁ、それより戒厳令時代のほうがずっと怖かったですよ」と言うではないか。人質より恐ろしい体験とは、いったいどんなものだろう。</span><span id="more-9493"></span><span style="font-size: medium;"><br />
</span></p>
<p><span style="font-size: medium;">80年末～90年にかけペルー全域に布かれた夜間戒厳令。深夜1時から早朝5時まで市民の外出は一切禁止で、やむを得ない場合は通行許可が必要だった。街の至る所に軍の検問所が設置され、車両はその手前50mで停車することが義務付けられていたそうだ。日本とペルーを結ぶ飛行機は、そのほとんどが夜間に離発着する。津村さんは検問所前での停車を繰り返しながら、空港へと通い続けた。</span></p>
<p><span style="font-size: medium;"><a href="http://chikyumaru.net/wp/wp-content/uploads/peru_iju19_1.jpg"><img class="alignright size-full wp-image-9495" title="peru_iju19_1" src="http://chikyumaru.net/wp/wp-content/uploads/peru_iju19_1.jpg" alt="" width="359" height="275" /></a>ある夜。津村さんがいつも通り停車しようとした矢先に、兵士がいきなり発砲してきた。車のガラスが割れ、ミラーが吹っ飛ばされた時の恐怖は、今も忘れられないという。「50m未満に無断侵入した」と判断されたのが原因だが、街灯のない暗闇で停車位置が多少前後するのは仕方ないことだ。それをなんの警告も無く銃撃するとは、当時の軍の傍若無人ぶりが目に浮かぶ。「空港からの帰宅途中に殺された人や、暴行されたスチュワーデスもいたっていう噂ですよ。深夜で目撃者もいないし、たとえ誤射でも、彼らは始末書一枚で済んだんです」空港送迎が命がけだと、誰が想像し得ただろう。戒厳令下、深夜のリマはまさに狂気に満ちていた。</span></p>
<p><span style="font-size: medium;">もう1つ、津村さんがどうしても忘れられない思い出がある。</span></p>
<p><span style="font-size: medium;">いつものように空港でお客様の送り出しをしていた津村さんに、知り合いの女性が声をかけてきた。国に持って帰る荷物が多いので、エクセス（超過料金）の支払いを手伝ってくれというのだ。津村さんは快く申し出を引き受けたが、手続の途中で空港警察に囲まれ、2人とも別室に連行された。女性の荷物に、国外持ち出し禁止の品が入っていたのである。些細な事なら袖の下でどうにかなるこの国でも、当然禁忌はある。それを犯した場合、理由の如何を問わず最低でも懲役10年コースだ。</span></p>
<p><span style="font-size: medium;">「あぁ、俺の人生は終わった」津村さんはすぐ自宅に電話し、「今すぐありったけの金を下ろしておけ、子供たちの世話を頼む」と妻に告げた。件の女性は泣き崩れるばかりで役に立たない。警察は粛々と手続きを済ませ、後は責任者のサインを待つだけとなった。これで家族の顔を見る間もなく、拘置所行きだ。俺の人生はなんだったのか、なんでこんなことになったのか。その時、後ろから「おい、ミッキー、お前ここで何やってるんだ」と声をかけられた。その男性は、津村さんが数年前に会ったことのある税関職員だった。</span></p>
<p><span style="font-size: medium;">さかのぼること数年前、ある輸入品の通関手続きを担当してくれたのが、その税関職員だった。品物を受け取って帰宅した津村さんは、手続きにミスがあったことに気が付いた。すでに夜中で疲れてはいたが、「これじゃあいつが困るだろう」と思った津村さんはすぐ空港に引き返し、その件を伝えた。津村さんの誠実な対応に、彼は「お前みたいなまじめな奴は初めてだ」とずいぶん驚いていたという。</span></p>
<p><span style="font-size: medium;">その税関職員が責任者になっていたのだ。彼が警察を説得してくれたおかげで、津村さんと女性はなんとか見逃してもらうことができた。「責任者といっても1日3交代の単なる勤め人ですよ。彼の勤務時間じゃなかったら、絶対アウトだった。私なんてもう刑務所で野垂れ死にですよ」この事件以降、津村さんが他人の荷物にかかわることは一切ない。</span></p>
<p><span style="font-size: medium;">「他にもいろいろありますよ」とにこやかに応じてくれた津村さん。泥棒はもとより、テロを背景とした脅迫や誘拐未遂を始め、枚挙にいとまがない。やっと世の中が落ち着いてきたと思ったら、95年には病を患い片方の腎臓を摘出。信用していた人物にこっぴどく騙されたこともあるが、それでも日本へ帰ろうとは決して考えなかったという。「私は古い人間ですからね、一度国を出たらまともになる（成功する）までは帰れない」と、その心中を語ってくれた。</span></p>
<div id="attachment_9496" class="wp-caption aligncenter" style="width: 586px"><a href="http://chikyumaru.net/wp/wp-content/uploads/peruiju_19_familia.jpg"><span style="font-size: medium;"><img class="size-full wp-image-9496 " title="peruiju_19_familia" src="http://chikyumaru.net/wp/wp-content/uploads/peruiju_19_familia.jpg" alt="" width="576" height="432" /></span></a><p class="wp-caption-text">津村さんと妻カルメンさん、息子とその恋人、娘夫婦と一緒に。津村さんの息子さんが経営するニッケイ料理レストラン「Maido」は2017年世界ベストレストラン50で8位、ラテンアメリカベストレストラン50で1位を獲得。<br />娘さんは獣医で、現在おめでた中。来年には津村家待望の初孫が誕生する。</p></div>
<p><span style="font-size: medium;">津村さんの会社では最近、シンガポールや台湾からの問い合わせが増えているという。アジアの人々もまた「日本人ならではのサービスがペルーでも受けられる」と喜んでくれるそうだ。また、日本に興味を持つペルー人も増え、日本向けのインバウンド事業にも注力し始めた。「もう昔のように儲かる時代じゃない。だからこそ他社ができないようなサービスをしていかないとね」ペルーと日本に止まらず、ペルーとアジアの懸け橋に。津村さんの眼差しは、祖国日本とその先にある広い世界を見据えている。</span></p>
<p><span style="font-size: medium;"><br />
</span></p>
<p><span style="font-size: medium;">≪<a href="http://mediahiroba.com/?p=249"><span style="color: #0000ff;">原田慶子（はらだ・けいこ）／プロフィール</span></a>≫<br />
ペルー・リマ在住フリーランスライター：言葉や習慣の違う国で、時には死と隣り合わせになりながら生きてきた「ペルー移住物語」の主人公たちに共通するもの、それは強烈なまでの生命力だ。商売を成功させたい、自分の好きなことを形にしたい、もっとうまくできるはず、もっといい方法があるはず。人一倍の情熱と欲求が生きる糧となり、彼らを成功に導いた。そんな彼らの物語から、何かを感じ取って頂けたなら幸いです。「ペルー移住物語」、長らくのお付き合いありがとうございました。<br />
ウェブサイト：<a href="http://www.keikoharada.com/" target="_blank"><span style="color: #0000ff;">www.keikoharada.com</span></a></span></p>
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		<title>第5回　我が家のコリーの怖いもの</title>
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		<pubDate>Fri, 24 Nov 2017 20:12:33 +0000</pubDate>
		<dc:creator>yashinoki</dc:creator>
				<category><![CDATA[コリーと眺めるポーランドの風景／スプリスガルト友美]]></category>
		<category><![CDATA[スプリスガルト・友美／ポーランド]]></category>

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		<description><![CDATA[ラッキーの怖いもの、それはズバリ“騒音”。
 
ラッキーが生まれたのは、人口3万人程の小さな町。一戸建ての家が並ぶ静かな住宅街の一角で育った。一方ポズナンは60万人が住む大都市。中でも私たちが住む地区はほぼ中心部で、少し...]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><span style="font-size: medium;">ラッキーの怖いもの、それはズバリ“騒音”。</span></p>
<p><span style="font-size: medium;"> </span></p>
<div id="attachment_9484" class="wp-caption aligncenter" style="width: 586px"><a href="http://chikyumaru.net/wp/wp-content/uploads/dog-poland-5-3.jpg"><img class="size-full wp-image-9484 " title="dog poland-5-3" src="http://chikyumaru.net/wp/wp-content/uploads/dog-poland-5-3.jpg" alt="" width="576" height="323" /></a><p class="wp-caption-text">こんなに大きくなってもこの椅子の下が一番安全に感じるよう</p></div>
<p><span style="font-size: medium;">ラッキーが生まれたのは、人口3万人程の小さな町。一戸建ての家が並ぶ静かな住宅街の一角で育った。一方ポズナンは60万人が住む大都市。中でも私たちが住む地区はほぼ中心部で、少し歩けばもう車がビュンビュン走る大通りに出る。広い庭付きの大きな家でたくさんの兄弟姉妹やお母さんと一緒に静かにのんびり暮らしていたのに、こんな騒々しいところに連れてこられて迷惑だ、と思ったかもしれない。</span><span id="more-9479"></span></p>
<p><span style="font-size: medium;"> </span></p>
<div id="attachment_9481" class="wp-caption aligncenter" style="width: 586px"><a href="http://chikyumaru.net/wp/wp-content/uploads/dog-poland-5-1.jpg"><img class="size-full wp-image-9481 " title="dog poland-5-1" src="http://chikyumaru.net/wp/wp-content/uploads/dog-poland-5-1.jpg" alt="" width="576" height="432" /></a><p class="wp-caption-text">ラッキーが嫌いなゴミ清掃車。確かに日本のものより大きくて、食べられてしまうような気持ちになるのかもしれないけれど……</p></div>
<p><span style="font-size: medium;">ラッキーの1週間は、恐怖の月曜日に始まる。その日は朝からゴミ清掃車が走り出すのだ。朝の散歩に行くのは、娘が学校に行く前の6時半過ぎ。運が良ければ会わずに済むが、大抵はちょうど家を出て歩き始めたころに出くわしてしまう。ラッキーは遠くから音が聞こえてきた途端凍りついたように立ち止まる。比較的静かな土日を経ているだけに、その大きな音に一層拍車がかかっているような気もする。いつまでも逃げ回られても困るので、お座りさせ、通り過ぎるのを待ってから先に行こうとするのだが、右に左にオロオロする始末。</span></p>
<p><span style="font-size: medium;">騒音が苦手なのは、ラッキーが来た当初、すぐ近所で新しいマンションの建設や路面電車の線路交換が大々的に行われていたせいでもある。我が家のすぐ前を地響きさせながら大きなトラックが何台も走れば、それはびっくりするだろう。</span></p>
<p><span style="font-size: medium;"> </span></p>
<div id="attachment_9482" class="wp-caption aligncenter" style="width: 586px"><a href="http://chikyumaru.net/wp/wp-content/uploads/dog-poland-5-2.jpg"><img class="size-full wp-image-9482  " title="dog poland-5-2" src="http://chikyumaru.net/wp/wp-content/uploads/dog-poland-5-2.jpg" alt="" width="576" height="432" /></a><p class="wp-caption-text">ガタゴト走る路面電車。古くて小さめの型の車両より、大きい新型車両が怖いらしい</p></div>
<p><span style="font-size: medium;">ただ、線路交換が終わって、路面電車の運行が再開された後のことまでは考えていなかった。工事していたその場所は、我が家を出て1本向こうの道で、チラと歩いた思い出の散歩コースでもある。ラッキーと初めて散歩に出たときは、まだ路面電車が閉鎖されていたので、何事もなく歩いていた。路面電車が再び走り始めたある日、同じようにその道に出ると、車体のきしむ音やガタンゴトンという車輪の音に震え上がってしまったからもう大変。それ以来、何とか慣れさせようとそちらのほうに行くようにしてみるものの、その度に悲痛な声で鳴いたりするものだから、最近では行く回数を減らし、なるべく静かな通りを行くようにしている。もう少し大きくなったら気にしなくなることを祈りながら。</span></p>
<p><span style="font-size: medium;">チラの方は騒音には怯えたことはなかった。もう忘れているだけかもしれないが、少なくとも、ゴミ清掃車や路面電車を見て逃げ出すことはなかったように思う。でも風に舞い上がる小さなビニール袋を見て驚いて飛び上がることがあった。音ではなく、「ふわふわする得体のしれないもの」が怖かったのかもしれない。</span></p>
<p><span style="font-size: medium;"> </span></p>
<div id="attachment_9483" class="wp-caption aligncenter" style="width: 586px"><a href="http://chikyumaru.net/wp/wp-content/uploads/dog-poland-5-4.jpg"><img class="size-full wp-image-9483 " title="dog poland-5-4" src="http://chikyumaru.net/wp/wp-content/uploads/dog-poland-5-4.jpg" alt="" width="576" height="384" /></a><p class="wp-caption-text">ラッキー1歳の誕生日の記念にパチリ</p></div>
<p><span style="font-size: medium;">そんなチラにもラッキーにも共通して苦手なものがひとつあった。それは「キャンキャンほえる小さな犬」。大きな犬なら黙って通り過ぎるだけなのに、小さな犬がほえてくるのは気に入らないらしい。ひょっとするとラッキーにとってはこれも騒音の一つなのかもしれない。そういえばチラも静かなところが好きだった。怖くはなくてもうるさいのは嫌いだったのだろう。</span></p>
<p><span style="font-size: medium;">まもなく大晦日がやって来る。こちらで大晦日から元日にかけての夜といえば、新年を祝う打ち上げ花火。毎年大晦日が近づき、近所の子どもたちが“フライング”して爆竹をパンパン鳴らすようになると、バスルームに逃げ込んで震えていたチラ。今のところラッキーは怖い音が聞こえると椅子や机の下に隠れているが、大晦日の花火にはどんな反応を示すのだろうか。できることなら静かに穏やかに新年を迎えさせてあげたい。</span></p>
<p><span style="font-size: medium;">≪<a href="http://mediahiroba.com/?p=235" target="_blank"><span style="color: #0000ff;">スプリスガルト友美／プロフィール</span></a>≫<br />
10月24日、ラッキーはめでたく1歳の誕生日を迎えた。あと1か月もすれば、我が家にやって来て丸1年という記念日だ。最初の頃は私たちが帰宅しても、離れたところから玄関を見つめているだけだったのが、今では遠くから走って来て抱きついてくるようになった。ちょっと出かけただけでもそんなに喜んでくれることがたまらなく嬉しい。<br />
<a href="http://poziomka.exblog.jp/" target="_blank"><span style="color: #0000ff;">ブログ「poziomkaとポーランドの人々」</span></a><br />
<a href="http://ameblo.jp/poziomka-pl" target="_blank"><span style="color: #0000ff;">ブログ「ポーランドで読んで、ポーランドを書いて」</span></a></span></p>
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		<title>第18回　津村光之－ペルーと日本の懸け橋として生きる　前編</title>
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		<pubDate>Fri, 24 Nov 2017 00:12:47 +0000</pubDate>
		<dc:creator>yashinoki</dc:creator>
				<category><![CDATA[ペルー移住物語／原田慶子]]></category>
		<category><![CDATA[原田慶子／ペルー]]></category>

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		<description><![CDATA[日本と各国の友好親善に多大な貢献をした個人や団体の中で、特に功績が顕著な人に贈られる外務大臣表彰。その平成29年度ペルー表彰者の1人が、リマの大手旅行代理店ミッキーツアー社長の津村光之さん（65歳）だ。1984年の創業以...]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p style="text-align: left;"><span style="font-size: medium;">日本と各国の友好親善に多大な貢献をした個人や団体の中で、特に功績が顕著な人に贈られる外務大臣表彰。その平成29年度ペルー表彰者の1人が、リマの大手旅行代理店ミッキーツアー社長の津村光之さん（65歳）だ。1984年の創業以来、日本とペルーの懸け橋であり続けた津村さんは、日秘商工会議所観光委員会委員長としてペルーの観光促進にも大きく寄与。旅行者泣かせの出入国カードと税務申告書の公式日本語版を、初めてペルー政府に採用させたのも津村さんだ。長年の努力の積み重ねが認められた喜びを、「素直にうれしいですね」と感慨深く一言で表してくれた津村さんに、今日に至る歴史を振り返ってもらった。<img title="もっと読む..." src="http://chikyumaru.net/wp/wp-includes/js/tinymce/plugins/wordpress/img/trans.gif" alt="" /></span></p>
<p style="text-align: left;"><span id="more-9467"></span><a href="http://chikyumaru.net/wp/wp-content/uploads/peru18.jpg"><img class="aligncenter size-full wp-image-9468" title="peru18" src="http://chikyumaru.net/wp/wp-content/uploads/peru18.jpg" alt="" width="576" height="383" /></a></p>
<p><span style="font-size: medium;">津村さんをペルーに招いたのは、リマで旅行業を営んでいた叔父。ペルー日系社会で最も古い旅行代理店の1つだったその会社は、都心の代官山に自社ビルを構えるほど成功していた。しかし自身の子供がスペイン語しか話せなかったため、代官山支店の経営を任せようと甥の津村さんに声をかけたのである。英語が得意でシカゴ駐在の経験もあった津村さんは、当時勤めていたミシンメーカーを退職したばかりで次の仕事を探していた。26歳の津村さんは1978年8月、旅行業のノウハウを学ぶためにペルーへと旅立った。</span></p>
<p><span style="font-size: medium;">食事とスペイン語には苦労したものの、駐在経験で培った度胸を武器に、津村さんはガイドから運転手、雑用係までなんでもこなしていった。ところが、当初約束していた1年の研修期間が過ぎたころ、叔父の娘が日本人と結婚。英語とスペイン語がともに堪能だったその婿が、代官山支店長のポストに就いてしまった。叔父にはペルーでの日本人客対応を甥にやらせたいという思惑があったのだろう、「約束が違う」と詰め寄る津村さんに、「給料を倍にしてやるから、お前はここに残れ」と命じた。おかげで贅沢をしなければなんとか生活はできたが、リマの日本料理店で大好きな日本酒を楽しむにはあまりにも心もとない。「足りない部分は、駐在時代の貯金を取り崩してやりくりしました」という津村さん。そうこうしているうち、知人の紹介で知り合った日系2世のカルメンさんと結婚し、1981年には第一子も誕生。妻の実家に助けてもらったり、父には内緒で日本の母から仕送りしてもらう日々が続いた。</span></p>
<p><span style="font-size: medium;">1982年のある時、津村さんの父が突然リマに乗り込んできた。仕送りのことを知った父は、「光之はリマで遊ぶため母に無心している」と誤解したのだ。父の怒りを鎮めるため、津村さんは給与明細を見せながらことの顛末を説明した。この件が発端で父と叔父は大げんかになり、津村さん自身も帰国するかどうか悩んだ。そんな時、日本の兄から「お前は英語ができるんだから、もう少し頑張ってスペイン語をしっかり覚えろ。今は留学していると思え」というアドバイスをもらう。この一件で、給料も多少見直してもらうことができた。旅行業が肌に合っていた津村さんは、引き続き叔父の下で働く道を選んだ。</span></p>
<p><span style="font-size: medium;">ところがその2年後に叔父が他界、その息子が後を継いだ。自分を育ててくれた恩を感じていた津村さんは、会社に骨を埋める覚悟でいた。ただリマの私立校の学費は物価に対し極端に高い。子供の将来を考えると今の給料ではさすがに厳しいと、新社長に直談判した。しかしなかなか応じてもらえず、見かねた妻のカルメンさんに独立を勧められる。近所で自動車修理工場を営んでいた舅も、事務所の2階を貸してくれるという。このままでは家族を養えないとの結論に至り、津村さんは会社を退職し独立。1984年、ミッキーツアーが誕生した。</span></p>
<p><span style="font-size: medium;">妻と二人三脚で始めた旅行代理店。1歳と3歳になる子供を事務所に連れて行き、連日仕事に没頭した。日本人在住者の信頼を得ていた津村さんの商売をさらに後押ししたのは、当時の景気だった。折しも日本はバブル直前、すぐにペルー旅行業界の黄金期が到来した。</span></p>
<p><span style="font-size: medium;">バブル景気の最も大きな恩恵は、日本の遠洋マグロ漁船だった。世界4大マグロ漁場の1つと言われたペルー沖には、年間およそ200隻に上るマグロ漁船が集結。人手不足から当時の船員はけた外れに高給で、船で3か月かけて帰国させるよりも、日本までのビジネスクラス航空料金の方が安上がりだった。津村さんはその航空券手配を一手に引き受けた。</span></p>
<p><span style="font-size: medium;">さらに、日本へと向かう出稼ぎ日系人の航空券手配でも、大きな利益を得た。ただ津村さんは「確かにあれは儲かりましたが、私は2年で手を引きました。だって『どうか航空券を売ってください』ってお客のほうから頭を下げてくるんですよ。あんな商売をしていたらまともな仕事ができなくなる。人間、バカになると思ったんです」。津村さんらしい堅実な判断だ。</span></p>
<p><span style="font-size: medium;">約束を守り、仕事を確実にこなすことを心がけてきた津村さんは、日系企業にもかわいがられた。アテンドのため年400回は空港に通い、大勢の日本人を送迎し続けた。その努力が実り、1990年にはヴァリグ・ブラジル航空（当時）から、92年には日本航空からペルー売り上げトップの代理店として表彰される。これだけを見れば「なんと順風満帆な人生か」と思われるだろうが、それだけでは終わらないのが「ペルー移住物語」の主人公たちだ。津村さんが体験した“テロ時代の恐怖”は、これまでのものとまた一味違う凄みがあった。</span></p>
<p><span style="font-size: medium;"> </span></p>
<p><span style="font-size: medium;">≪<a href="http://mediahiroba.com/?p=249"><span style="color: #0000ff;">原田慶子（はらだ・けいこ）／プロフィール</span></a>≫<br />
ペルー・リマ在住フリーランスライター： 2006年来秘、フリーライターとしてペルーの観光情報を中心に文化や歴史、グルメ、エコ、ペルーの習慣や日常などを様々な視点から紹介。『地球の歩き方』ペルー編・エクアドル編、『今こんな旅がしてみたい（地球の歩き方MOOK）』ペルー編、『トリコガイド』ペルー編、共著『値段から世界が見える！日本よりこんなに安い国、高い国』ペルー編、『世界のじゃがいも料理』ペルー編取材・写真撮影など。ウェブサイト：<a href="http://www.keikoharada.com/" target="_blank"><span style="color: #0000ff;">www.keikoharada.com</span></a></span></p>
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