第1回 2020年代の幕開けに、未来に向けてのキャッチアップ

いよいよ新しい10年が始まった。

わたしの人生は60年代から始まったので、6度目の新たなデケイドとなる。節目の年を迎えて、これまでの人生を振り返ればまさに“光陰矢の如し”。この調子で新たな十年も過ぎていくのだろうか? と考えるとちょっぴり焦る。―― 「この先のわたしの未来はそれほど長くはない」と。

2013年に「フンドシ締め直す!」と宣言して、『「ミシガンの風に吹かれて」緊褌一番編』というエッセイを1年間連載させてもらった。もう7年も前のことだ。タイミングとしては、家族6人同じ屋根の下で暮らす日々が終わりの時を迎え、上から順に娘と二人の息子がそれぞれの目指す道をみつけて家から出て行き、大学在学中の末息子だけが残っていたころのことだった。それまでは、毎日4人の子どもと夫の送迎をしながら家事をこなすだけで朝が来てまた夜になるという日々だった。子どもたちに自立の兆しが見えはじめ、物理的な忙しさから少しだけ解き放され、多少のゆとりを実感できたときに書いたものだ。

エッセイでは、ざっくり新婚時代から我が家の田舎暮らし、南国暮らしは軽くすっとばし、米国暮らしと、それまでのわたしが生きてきた日々を紹介しながら2013年のできごとと合わせて、思うことを気ままに綴らせてもらった。読み物として楽しんでいただけたかは別として、わたし自身が書くという作業を通して、回想と共に良いリフレクションタイムを過ごすことができたことは大きな収穫だった。

先日、久しぶりに読み返した。時間をおいて読んでみると、自分自身が過去の日々の小さなできごとから、いろんな学びを得ていたんだなと気づかされた。「意外と成長してるやん!」なんて思いながら読み進めていくと6、7年前の自分と遭遇できたような当時の思い出もよみがえり、寄稿しておいて良かったと思えた。あいにく、2014年以降は特に定期的に記していないため、確かにあったはずの暮らしの記憶がうすいことにはっとした。

家族で暮らしていたころは、子どもたちを被写体に一瞬一瞬を残そうとカメラを離さず、撮った写真をたどれば日々の記憶を思い出せたが、被写体がいなくなり、写真を残そうという瞬間が消えた。昔とちがってカメラを携帯せずとも、手元にはいつでも簡単に撮れるスマホがあるというのに、最近は旅の写真すらほとんど撮っていない有りさまだ。何より、撮った写真の整理がめんどうくさいし、SNSにプライベートな写真を載せることもないので、「撮った画像を見せる人もいないしな……」と思うと、撮る気力さえわいてこないのだからどうしようもない。「歳をとると根気が失せる」とよく聞くがこれはどうもホントのようだ。

そんなわけで、このまま記録する作業を怠れば、わたしの人生の後半はすっかり抜け落ちたままになりそうなので、加齢による症状がさらに進行する前に、緊褌一番編の続編として、「悠々閑々編」の連載を寄稿させていただくこととする。

最近は「人生百年時代」なんてキャッチフレーズをよく耳にするけれど、今の自分のまま100歳まで生きられるわけじゃないことは明白だ。“今日のわたし”は、この先の自分に与えられた人生の中でいちばん若い自分である。またいつか、また今度なんて言っているとそんな“いつか”は来ない可能性のほうが高いのだ。明日、明後日、今週、来週に大した変化はなくとも、5年、10年先となれば取返しはつかない。この先、どんな未来が待っているのかだって想像もつかない。緊褌一番編を読んでみて、おおいにそれを感じた。日々の暮らしレベルでは大きな変化を感じなくとも、いつのまにか、我が家をとりまく状況は激変していて唖然とする。

たとえば、2013年連載終了から6年間のできごとを簡単に並べてみる。

夫婦で英国訪問、末息子大学卒業、次男結婚、スペイン、ギリシャの旅、長女電撃結婚、義父他界、ジャマイカへ、自宅売却、引っ越し、長男職を得てテキサスへ、夫婦でヨーロッパ周遊、娘夫婦カリフォルニアに移住、三男スタジオ兼自宅購入、メキシコへの旅、義母他界、長男結婚、三男安定職辞職、カリビアンリゾート堪能、娘夫婦カリフォルニアからミシガンに……っといくらでも羅列できる。こんなふうに新聞の見出し風に並べれば、へ~の一言で、なんてことないけれど、この全てにいろんな背景があり、ハラハラ、ドキドキ、ワクワクなドラマがたっぷり詰まっていた。

過ぎてから思い起こすと、起こることの全ては過去にも繋がっていたし、未来にも通じている。そんな時々のドラマの中で感じた気持ちこそが、わたしの人生そのものであることはまちがいない。次回からは数々のエピソードを顧みながら、これから始まる2020年の平穏な日々と合わせて、さらなる反省と自戒、これからの希望や企み? を記していこうと思う。

記憶が失せてしまう前に。

 

椰子ノ木やほい/プロフィール
6年前、最終回で――「喜びや幸せを感じるためにどれだけエネルギーを注げるか」に、自分の限りを尽くしていきたいと思うこのごろである。――と結んだが、これは順調に守られている。この目標の設定は、自分でも気に入っている。無理にハードルを高くすることはないし、どうせコントロールできないことなら過度にこだわることはやめる。本来のずぼら力に加えて、これを意識することで限られた残りの時間は気長にのんびりゆったり、まさに「悠々閑々」を目指して日々を楽しんでいけたらと思っている。