第2回 “お試し”修士課程

2014年秋。合格したばかりのポーランド語検定試験の検定結果を携え、満を持して今度こそとアダム・ミツキェヴィチ大学で再度入学手続きを進めていった。入学を希望していたのはポーランド・古典文献学部で、毎週土日のみ開講されているという平日勤務の人向けのいわゆる“社会人大学”。修士課程には教職コースと編集コースの2コースが用意されていた。教職コースの場合はまず学士号から取らなければならないので、必然的に編集コースを選ぶことになった。父が出版社勤務だったこともあり、編集者という職業に憧れ、日本で就職活動していた頃も出版社巡りをしていたほどなので、編集コースは私にはうってつけの専攻だった。社会人向けコースの手続きを担当していたタチアナさんがいろいろと手伝ってくださったおかげで、全てが順調に進んでいくかに思われた。

授業の初日が数日後に迫った9月も終わりのある日、電話のベルが鳴った。事務のタチアナさんだった。私が通うことになっていた編集コースでその年は人数が集まらず、「今年は開講しない」との連絡だった。ポーランドでは国立大学であれば授業料は不要なので、授業料を支払わなければならない社会人向けのコースを選んでいたことが仇となったのかとも思ったのだが、教職コースのほうは通常通り開講されるとのこと。受話器を持ちながら、私は落胆の色を隠せないでいた。

そんな私のがっかりした気持ちを感じ取ったのか、タチアナさんは続けて「その代わり、平日に行われている通常の修士課程であればまだ空きがあるので入れるわよ」と教えてくれた。そうはいっても、平日の昼間に娘を置いて大学に通うことはできないので、残念ながら再びあきらめざるを得なかった。ただ幸運なことに、大人数が参加する講義であれば聴講という形で自由に来てもいいと言われたので、とりあえず娘が幼稚園に行っている時間で面白そうな講義を2~3選んで行ってみることにした。自分の語学レベルで講義についていけるかどうか試したかったのだ。

選んだ科目は「文化論」、「ポーランド語論」の二つ。ポーランド文学科の修士課程では、専門が文学と言語に分かれている。後者は言語学専門の講義だったためか、内容が専門的過ぎてとても難しく感じられ、1~2回聴講しただけでやめてしまった。一方文化論の方は、夫が文化人類学の研究者で、それまでにもいろいろと文化に関する話を聞いたり本を読んだりしてきたこともあり、聞き慣れた言葉も出てきて馴染みやすく感じられた。また先生の講義の仕方も面白かったため、続けて通うことにした。その先生には最初の授業の後に自己紹介をしたところ、授業のテーマが文化だったこともあってか日本人の私は大変歓迎され、1時間日本のことについてのプレゼンテーションをする機会まで得られた。更に前期最後の授業の後、「後期の授業は講義ではなくて、少人数のディスカッション的な授業だけど、出席してみますか」と提案してくださった。もちろん断る理由もなく、喜んで後期に予定されていたその授業にも参加させて頂くことになった。

実はこのエルジュビェータ・ヴィニェツカ先生こそが、後に私の修士論文の指導教官となってくださることになるのだが、そのお話はまた後程。

 

スプリスガルト友美/プロフィール
ポーランド在住ライター。翻訳にも従事。世界中でコロナウィルスに振り回されているように思われる今日この頃だが、先日ついにポーランドでも感染者が出た。私などアジア人だというだけで見知らぬ人からは避けられているように感じることが多かったが、その感染者はドイツ帰りの人だという。もはや感染経路は分からない。今できることは予防だけ、と家族そろってせっせと手を洗う毎日だ。