第2回 プロローグ その2 ―日本への帰国がこんなに大変だとは! ―

前回、行ったばかりなのにもう帰るの!? とお思いでしょうが、このコロナ禍のさなかだからこそ、おそらく決して少なくはない私の渡航歴の中で初の、そして異例の緊急帰国の顛末を、まずはお届けしようと思った次第。そして、前回同様、本編とは毛色が違う内容のため、プロローグその2としたい。

-日本への帰国がこんなに大変だとは!-

2月の声を聞くころには、新型コロナウィルスについての報道は、南アでも連日世界各地の情報が伝えられていた。関係の深いヨーロッパのニュースが中心とはいえ、日本のニュースも入っていた。国際放送向けの内容とはいえ、毎日NHKの放送を視聴していたし、ネットでもニュースは拾えるので、置いていかれている感はあまりなかった。

そして、日本のことを心配する声を、現地の人々からずいぶんとかけられた。3月といえば、ダイヤモンド・プリンセス号関連のニュースが、遠く離れたこの地にも届いていたからだ。一方、南アでは3月5日に初の感染者がひとり、発表されたばかりだった。その感染者はイタリア旅行から帰国した人で、その後、感染者と行動をともにした人たちの感染が確認され、合計4人の発表となった。私の滞在しているクワズール・ナタール州での発生なのがちょっと気になったが、危機感はまだ感じられなかった。

むしろショックだったのは、現地の人に

「今、この南アにいて、日本みたいに危険な国に帰りたくなかったら、申請すればビザの延長をしてもらえるらしいよ」

と言われたことだった。もちろん、本人は親切で言っている。わかってはいるがビザ云々のことより「日本みたいに危険な国」という言葉がズシンと心に響いた。

その後は、当然のことながら感染者は日増しに増え、人々の様子にも変化が出てきた。わずかな時間のうちに、買い物に行けばスーパーの入り口には係員が立ち、アルコールでの手指消毒をしないと入れてもらえなくなり、レジの店員はビニール手袋をし、客がひとり買い物を終えるごとに、レジ台が消毒されるようになった。その頃の感染者は国全体でまだ3桁になるかならないかだったので、正直なところちょっとビックリしたが、この国で流行しはじめたら、大変なことになることも容易に想像がついたので、もちろん受け入れた。

感染者数は日々ニュースで更新され、スマフォから簡単にグラフが確認できた。そうこうするうちに、あっという間に感染者数は3桁になり、Nationwide Lockdown(国家封鎖)が近いとささやかれるようになった。それが現実味を帯びてきたのは3月中旬。

滞在先の友人、峰子さんが私の帰国について案じて、いろいろ手を尽くしてくれた。

3月20日過ぎには、近々ロックダウンについて国からの発表があるとの情報が入ってきた。23日、この日は峰子さんが電話で真剣に何かを話していた。どうやら電話の向こうにいるのは、峰子さんが信頼をおいている長年の朋友、旅行代理店のファルザナさんのようだ。私は先日お弁当を届けに行って、彼女とちょっと話し込んで、旅行会社の苦境を聞いたばかりだった。峰子さんがおもむろにこちらを向いて、電話口を押さえながらこう言った。

「今なら明日のチケットが取れるって……明日帰って!! いい?」

いろいろなことが頭の中を駆け巡った。予定では、滞在期間はまだ1ヶ月残っていた。やりたいことリストには、実現できていない項目がいくつもあった。しかし、先のことも、ビザなどがどうなるかも、誰にもわからない状況。いいも悪いもない。

「お願いします!」

即答したものの頭の中では、やっぱり様々なことがぐるぐる……とにかく帰り支度をしなくてはならない。うわぁ〜大変だ!!! ぐるぐるしていた頭の中はついに真っ白になった。

何が大変かというと、滞在させてもらっていた部屋は散らかり放題……ということはないものの、滞在が長いため、まだ「生活している」状態で荷造りとは程遠い。そして、おみやげも、帰る直前にまとめて買おうと思っていたので、ほとんど揃っていない。もちろんこの緊急事態におみやげのプライオリティが低いことは重々承知だ。でも、ほとんどナシでは私の気が済まない。

取り急ぎ、まずは荷造り以前の整理を慌てて済ませると、最低限必要なおみやげを買いに連れ出してもらった。吟味している時間はない。なんとなく目をつけていたものをどんどんカゴに入れる。これで足りているのかも確認しきれないままだったが、一通りの買い物を済ませて急いで戻った。

夜には大統領声明がテレビ放送されるという。それまでに荷造りを終えなくては! 荷物はおろか、気持ちの整理もつかないまま、ひたすらに荷物を詰め込んだ。

そしてその夜、峰子さんと息子のかんじくん、もうひとりの日本人滞在者であるゆきこさんと、私はテレビの前に鎮座してラマポーザ大統領の声明を待った。発表から2日間の猶予を持って26日から国家封鎖に入ること、その間にやっていいこと、いけないこと、誰にどのようなサポートをするか、など詳細な内容が伝えられた。自分の母国ではない国のトップの声明を、ここまで真剣に聞くことは後にも先にもこの時だけとなるだろう。真剣に聞かなくてはならない理由は、内容もさることながら、当然だが英語だからだ。これから先もこの国で暮らしていく峰子さんは、私よりもっと確実に情報を得なければならない。逐一通訳してもらうわけにはいかない。この国のことをよく知らない私でも、称賛に値する早期の英断だということは理解できた。

国家封鎖になれば、空港も閉鎖となる。明日の帰国を手配してもらえたことが、どれほど恵まれたことか……改めて感謝の気持ちが溢れる一方、本当に無事に日本の土を踏むまでは、安心できない、という不安もあった。

ガラ空きのダーバン・キングシャカ国際空港

果たして翌日、私は帰国の途についた。滑り込みの客で空港がごったがえしているといけないからと、かんじくんの運転する車で、早めに家を出た。ところが……である。欠航便が多かったこともあるのかもしれないが、空港はお休みなのか? と思うほどにガラガラ。狐につままれた、というのはこういう状況かなぁと思いながら、チェックインを済ませ、乗り換えのヨハネスブルグへ向かった。

ヨハネスブルグの空港は、それなりに混雑していた。空港職員はゴム手袋やマスク、をしている人が多かった。乗客といえば、簡易にレインコートなどを着て、医療従事者用のようなすごいマスクや手袋をした重装備の人から、丸腰のひとまでさまざま。なんだか異様な気配の中、ドーハへのトランジットへ向かう。ゲートについてまたビックリ。こんなにいるのかという数の日本人がいた。よく考えれば、その時点でアフリカ各地から日本へは、ドーハ以外に経由地はほぼなかったのだから、当然だったのだろうが、とにかく驚いた。そのドーハとて、入国は不可だが、乗り継ぎのみ認めるという措置をとってくれていたにすぎなかったが。そして、なんとか無事に南アフリカを出国。第一関門突破! という気持ちになった。

最後の乗り継ぎとなるドーハの空港でも、職員は手袋やマスクをしていた。空港の規模からするとそれほど混雑はしていないものの、人は大勢いる。ひとりなので人との接触は少ないが、どこか緊張しながらゲートに向かう。成田行きの便が飛び立つここでは、当然のことながら乗客の殆どが日本人。旅行者らしき人もいるが、駐在員の家族と思われる母親と子どもの組み合わせも少なからず。久しぶりに日本語のあふれる環境に少し戸惑う。ともあれ、特になんの問題もなく、ドーハを飛び立った。

機内の雰囲気は、これで日本へ帰れるという人々の安堵の心情を移してか、落ち着いていた。数少ない空席をひとつおいて隣の席の女性はモーリシャスからの帰国だという。仕事で在住しているが、現地には病床が一桁しかないので、さすがに帰国せざるを得ないとのこと。あらためて世界中が大変なことになっているのだなと複雑な気持ちになった。

そしてついに、成田空港に着陸。とにかく無事に戻れたことにホッとして力が抜けた。しかし、ここから変な緊張を強いられることとなるとは、夢にも思わなかった。検疫の手前では、職員に「どちらからのご帰国ですか」と尋ねられ「南アです」と答えると、「そのままお進みください」という。ヨーロッパ諸国からの帰国者は、問診を受けている様子だったが、なにやらのんびりした雰囲気。

え? こんなことでいいの? そもそも私が本当のことを言っているかわからないだろうに……パスポートくらいチェックしないのかとモヤモヤしながら荷物を受け取りに行く。海外からの帰国者は、私を含め、マスクや手袋をしている人もけっこういるが、空港職員は丸腰である。これには正直なところ目が点になった。南アでは日本人は危機意識が薄いという声が聞かれたが、こういうことかといささがショックを受けた。そして、いよいよ保税エリアを出て、空港内に出る。今回の帰国で、もっとも本能的に怖い!!! と感じられた風景がそこにあった。出迎えに来ていた丸腰の一般市民が、通常時と変わらないくらいたくさん、押し合いへし合い待っていたからだ。

公共交通機関を使わないために、私はわざわざ知人に迎えを依頼し、除菌スプレーを持ってきてくれるようにお願いするほどに気を使ったのに……ますますモヤモヤしながら、知人に連絡を入れる。もちろん、知人は出迎えのゲートとは別の場所で待機していてくれた。出迎えの人の多くが車で来たであろうに、なぜみんな駐車場で待っていないのか? 半ば怒りにも似たイヤな気持ちのまま、駐車場に向かう。

知人から除菌スプレーを受け取ると、私自身にも、持ち帰った荷物にも、すべてにスプレーをかけ「えらそうで申し訳ないけれど、助手席ではなく後ろの席に座らせてください」とお願いして車に乗った。おしゃべりをするのもためらわれ、言葉少なに車に揺られた。

車窓を流れる久しぶりの東京の景色は出発前となんら変わらないままだったが、まったく違う気持ちで眺める私の目には、これまでとは別の世界のように映った。

凛 福子(りん ふくこ)/プロフィール
東京在住。日本とアジアを中心に世界各地を、旅モノと食べモノをメインテーマに飛び回る日々。海の向こうにはしばらく行かれそうにもないが、旅の楽しみを忘れないために、悪あがきでも動き続けたいな。