第7回 永遠の別れ-共に歩んだ43年-

これほど悲しい報告をしなければならない日が、こんなに早く来るとは……

夫がわたしの前から消えてしまった。10月7日水曜日、ミシガン州の自宅で永遠の眠りについたのだ。平均寿命ぐらいまでは二人の時間は続くものだと思っていた。結婚生活は37年と半年、わたしが16歳の今ごろに初めて夫と出会い、それから43年もの間ずっと共に歩んできたのに二人の人生の幕は閉じられてしまった。いつもわたしの左側で寝て、目覚めればやはり左側にいた。これまでの当たり前が突然消滅した。目を覚ましても左側に誰もいないことに今まだとても戸惑っている。

昨年の12月には、恒例となったカリビアンリゾートの旅を夫婦で楽しんでいた。その“恒例”はこれから先も何年かは続くのだと疑うこともなかったが、年が明けてコロナパンデミックが襲いかかり、「旅どころではない」という世界となり、がっかりしていたところにさらなる苦難が襲いかかってきた。

コロナ感染拡大によりミシガン州内の医療機関の外来診療を見合わせるという情報が出た3月13日の金曜日、夫の様子がただごとではなかったので、嫌がる夫を無理やりER(救急外来)に連れて行った。2月に体調を崩し近くのクリニックで診察を受け、尿路感染症だろうと診断され抗生剤で治療するもちっとも回復しないので、おかしいと思っていた矢先のことだった。血尿といった症状から腎盂腎炎などになっているのでは? と心配していたのだが、CTスキャンの結果は、ステージ4の大腸癌とのことだった。

臆病で医者嫌いの夫は、過去30年ほど医者の世話になったことがなかった。健康だったからとも言えるが、だからこそ早期発見できなかったと悔やまれる。それというのも、夫は「自分だけはだいじょうぶ」「オレにタマは当たらない。タマがよけてくれるから」という、なんの根拠もない思い込みが得意だった。自分を思いきり過信できる悪い癖があったからこそ、フツーの人なら躊躇するような決断も恐れずに突き進み、生き抜いてきてしまったともいえるが、癌細胞ばかりは精神力や気力、思い込みで退治できるはずもなかった。ただただ残念で悔しくて「こんなにでかいタマあたったじゃん!」と無情な宣告を受けている夫をなじってしまった。

それにしても「青天の霹靂」とはまさにこのこと、目の前が真っ暗になった。ERで、地元では専門医がいないから今すぐにでも対応可能な病院に行ったほうがいいと勧められた。何が起こっているのか? まるで夢でも見ているようだったが、とりあえず専門医のいる病院を探してもらった。自宅に戻り、入院に必要な着替えや貴重品をかばんに詰め込み、150キロほど離れた紹介先の病院に急いだ。幸いにも娘夫婦と次男夫婦が暮らす町の病院だったので、まずは次男の家に行き事情を話し、家族みんなが父親の危機に愕然とするなか、病院に滑り込んだときには深夜の1時を過ぎていた。すでにパンデミックの序章に突入しており、病院の前には警察の車が物々しく並び、入り口では数人のポリスが病院に入る人を厳しくチェックしていた。付添いは一人しか認められずで、ついてきてくれた次男夫婦は門前払いとなった。

入院後翌々日にはストーマ造設術を受けた。術後はコロナ拡大で、一人の付き添いすら認められなくなり、わたしは病院を追い出された。どちらにしても、その後は入院してできる治療もないからと退院し、コロナ禍での過酷な癌との闘病生活がはじまった。子どもたち夫婦の絶大なる連携サポートがなければ、わたし一人ではどうにもならなかっただろう。この7ヶ月余りの間は、夜になると自然に涙がこぼれて死ぬほど泣いた。眠っている夫が息をしているか、日になんども確認しそのたび得体の知れない恐怖に襲われて胸が張り裂けそうになった。こんな毎日が続けば、夫の癌よりも自分の精神がおかしくなってしまうと自分が心配にもなってきた。それでも腹を括り、「いくら泣いても現実は変わらない。なるようにしかならないんだから」と言い聞かせ、未来を案じることを止めて、とにかく一日、一日を充実させようとやり過ごしてきた。

4月から始めた抗がん剤治療で夫はどんどん衰弱していった。本人は、持ち前の根拠のない過信力により、いくら何でもあと数年はだいじょうぶと信じていたようだった。わたしは、日ごと目に見えて弱っていく姿に、夫との時間が秒読みだと恐れていたというのにだ。亡くなる数日前は痛みとの戦いだったが、それでもモルヒネを嫌がったのは、自分の意識を失いたくなかったからだろう。わたしが聞き取った最期の言葉は「まだいっしょにいたい」だった。「だいじょうぶだよ」というわたしの応答にコクンとうなづいた。その後、モルヒネを使ってからは意識がだんだん薄れていき息をひきとった。

ほんとうに残念だっただろう。もっと生きたかっただろう。それでも夫の命は終わってしまったのだから、わたしにできることは残された宿題を夫の代わりに片付け、たくさんの良い思い出を胸に、遺してくれた反省と教訓を活かしながら前を向いて、自分らしく生きていくしかない。

そんなわけで、「悠々閑々編」と題したシリーズなのに、またまたジメっとした内容となってしまい申し訳ない。連載が始まり、第1回から3回までの寄稿が終わったところで、事態が起こり第4回以降、裏ではこのような混乱の中でそれを隠して書き続けていたことに一抹の後ろめたさを感じていたが、夫の病というプライバシーをわたしが公にはできなかったことをご理解いただければ幸いである。

椰子ノ木やほい/プロフィール
配偶者の訃報など伝えなくてもいいのかもしれないが、わたしの場合これまでたくさんの原稿に夫も登場させており伝えないわけにはいかないと考えた。さらっと見返してみたら「緊褌一番編」だけでもこんなに!!
第2回ワレナベにトジブタ第3回 ツクるタノシミを知る第8回ノラリクラリとコシアゲテ第9回ミラクルパワーでアダルトに第12回タンガに替えてキンコンイチバン  
  というわけで夫よ、楽しい人生をほんとにどうもありがとう。