第8回 前に進めー!失って得た気づきと共に

命とはなんと尊いのだろう。

そして遺されたものにとって、亡くなった命とは、記憶と思い出そのものなのだと感じている。夫がこの世からいなくなり1か月とちょっと過ぎたが、わたしの涙腺はまだゆるい。闘病中はすべての状況がつらくて泣いたが、今は元気だったころの夫に逢いたくて涙があふれてくる。目にするあらゆる物に思い出が宿っているからだ。夫の衣服はすでに処分したものの、自分が着ている服、履いている靴、いつも使う食器や調理器具に至るまで、何を見ても、何を触っても当たり前にあった日々の記憶が涙を誘う。靴を見て、「これ履いてみろよ」と差し出されたときの顔を思いだすし、何ものっていない皿を見ても、「うまいなコレ!」と、うれしそうにつぶやく声が耳元に響いてくる。未だに亡霊としてわたしにまとわりついているのか? とさえ思ってしまう。もちろん、そんな声がなにひとつ聞こえないよりは、数々の思い出があるほうがシアワセなのだろうが、その記憶がたくさんあるからこそ失った悲しみは深い。

人生に限りがあることぐらいはとうの昔にわかっていたし、そう感じていたからこそ、前連載の最終回「タンガに替えてキンコンイチバン」でもこんなふうに記していた。

子育ても終わり、親も年老いてきて、健康に不調のでてきた友人の話を聞くようになり、今さらながら、人生に限りがあることを意識し始めている。実際、夫婦の会話の中でもことあるごとに、「早くしないと死んじゃうのでいまのうちにしておこうよ!」なんてセリフが飛び出す。ちょっと大げさかもしれないけど、「限りある人生に、幸せを感じる回数が少ないのはもったいないな」とまで思うようになった。

これが今から7年前のことだ。だからこそよく旅もした。ステキな出会いや、たくさんの楽しい思い出が生まれてほんとうに正解だったと思う。でも実際に夫を亡くし今思うことは、もっともっと当たり前にあったシアワセを噛みしめておけばよかった。存在をもっと愛しく感じておけばよかった。もっともっと感謝の気持ちを伝える日常を送っておけばよかったということだ。かっこいいことを記しておきながらも、日常の中では些細なできごとに不満を感じて不機嫌な日もあったし、「オマエなんか死んじまえ」と頑固な夫の背中にアカンベーをした日もあったことは、今となれば面目ないことだったと思う。

今年になって、世界的パンデミックによりこれまでの生き方は激変した。当たり前だった日々の暮らしが、恋しくも愛おしい日々だったことに多くの人々が気づいていることだろう。そんな状況で伴侶まで亡くしたわたしは、夫の愛情と経済力で守られていた日常までも失うこととなり、ダブルパンチをくらっている心境だ。

それにしても2020年という年は最悪の年だが気づきの年でもある。失ってはじめて価値がわかることが多すぎる。命はもとより、健康であること、普通に眠れること、何も恐れず買い物に行けること、人と自由に会えること、旅に出られること、アートや音楽を存分に楽しめること、これまでならどれもこれもあってあたり前と思っていたものばかりだ。

ある日、闘病中の夫と「難なくトイレで用が足せることすらありがたいことだったんだね」と話したことがある。大腸がんで膀胱にも転移があった夫はそれすら困難と苦痛にあえいでいたからだ。「いろんなことが実は当たり前ではなかったね」と、何でもない日常がどれほど愛おしく価値があったのかと気づかされた。夫は病気になるまではよほどのことがない限り「ありがとう」という言葉を口にする人ではなかったが、闘病中「ありがとう」を連発した。「あなたらしくないから止めて」と頼んだほどだ。いつも強気だった夫こそが、自分が弱っていく中で感謝すべきことに気づいたのだろう。

我が家は、在米でありながらも日本の古い昭和的価値観「夫唱婦随」をひきずったまま生きてきてしまった。何をするにも、決めるにも夫が先で、わたしの優先順位は夫の次に置いてきた。それはそれで、うちのルールとして納得し機能してきた。夫が長生きしたのなら“仲の良い夫婦”としてそのスタイルは続いていたことだろう。しかし、予想と期待に反してそれが終わった今、これからわたしは自分で決めて、自分の道を切り開いていかなければならなくなった。コロナ禍と政治的にも経済的にも混沌とする米国で、この先どう生きていこうかとほんとうに戸惑っているというのに、本来ならいちばん頼りにしたい人がもういない。「田舎で暮らすぞ!」「南の島に引っ越そう!」「よっしゃ、次はアメリカだ!」という決断にひょぃっと乗っかってきたこれまでの生き方より、わたしにとっては難しいことなのかもしれない。

ひょっとすると、「アカンベー」に気づいていた夫が「夫唱婦随」はもう終わったのだから、「お手並み拝見」と言うために、こんなに早く逝ってしまったような気もするが、いやはや、ほんとにどうしよう。

とりあえずは、自分の未来に続く今日を無駄にするほど、わたしに残された時間はたっぷりあるわけではないのだから、数々の得た気づきを無駄にすることなく、毎日をしっかり噛みしめて、感謝の気持ちを忘れず、少しでも笑って過ごす日々を重ねていけるように「前を向けー!」と自身に喝を入れるところからはじめるか……。

 

椰子ノ木やほい/プロフィール
実をいうとこれまでは、州立大学の教授という夫の職業柄、彼の社会的な地位を失墜するようなことは書いてはいけないという、自制心がわたしのなかにあったのだが、これからははじけてもいいのかな? と考えはじめている。ネタにはこと欠かない人生を送ってきた人だったので、わたしだけで抱えておくのは実にもったいないのである。