第9回 いまさら自分の存在意義と価値を問い直す

毎日、「前を向けー!」と自分に言い聞かせている。

夫が他界し2ヶ月が過ぎ、いなくなったことをゆるりと受け入れ、夜もだんだん眠れるようになってきた。同時に今度は「悲しみにくれている場合か?」という、いましめの声も自分の内側から聞こえてくるようになった。この辛い節目がもし子どもたちの自立前だったとしたら、悲しんでいるどころではなかっただろう。そう考えれば、娘や息子たちの多大なるサポート体制の中でぬくぬくとしながら、いつまでも自分を甘やかしているわけにはいかない。

これまで稼ぎ頭の夫に頼り切って生きてきたわけだが、亡くなったとたん、隔週ごとにあった振り込みは途絶えた。「そうだ、安定した収入はもうなくなったのだ……」と現実が立ちはだかる。はー、無情だなーとため息をつくも、あたりまえといえばあたりまえだ。「一生遊んで暮らせる財産をありがとう」と言いたいところだが、そんなわけない。それどころか、生涯現役で長生きするつもりだった夫は、病気など自分には無縁と思っていた昨年の今ごろに、新築の家を建てる契約書にサインしていて、新品の住宅ローンまで遺して逝ってくれた。

おまけに、恐るべし米国の健康保険制度! 夫の扶養家族として加入していた健康保険も、今後は自前でときた。米国にはメディケアという、高齢者向けの公的健康保険制度があるにはあるが、65歳からなのでわたしはまだ該当しない。安い保険は“それなり保障”しか望めない。夫が加入していた健康保険の継続を希望するなら、毎月の支払いが日本円にして約6万円弱とのこと。ひゃー。

この7ヶ月間、夫の癌闘病をつぶさに見てきて、恵まれた健康保険に入っていたことに胸をなで下ろしたところだ。夫の治療費は日本円にすればゆうに1000万円を超えた。なにしろ、受けた手術1回が約450万円、その後単価4、50万の抗がん剤治療を何度も受けて、それとは別に投薬と必要な医療サプライが処方されるたびに医療費が加算されていった。それでも、夫の場合は30万円ほどの自己負担だけで、ほぼ全額保険でカバーされたのだった。もし、しょぼい保険にしか入っていなければ、借金と資金繰りで悲しみもぶっとんでいたことだろう。実際、病気になったからと家を売却したり、破産する人があとを絶たないのが米国社会の現実なのだ。このような世界でこれからも生きていくのだとすれば、すぐさまあらたな生活設計をたてなければ生き延びることは難しい。

今まで夫のおかげでそんな心配をすることなく生きてこられたのだなと思うと、生きているうちにもっと感謝すべきだったと悔やんでしまうがもう遅い。いやいや、ちがうな。安定収入を失ったというのに、健康保険だけで毎月6万円の世界にわたしを置いて逝ってしまった夫を今こそ恨むべきなのかもしれない。

これまでのわたしは、夫がしっかり働ける環境作りのために頑張ってきたつもりだ。「腹減った」のひとことで、15分もあればレストラン並みの食事をすぐに準備した。焼き立てパンも、手作りおやつもお手の物。掃除、洗濯、片付け、もスイスイ楽しんでできる。リクエストに応じての生ピアノ演奏だってついてくる。そばにいればほんとうに便利な人だと自負している。残念なことに、何十年もかけて培った家事力も、大学教授を支える専属秘書レベルの雑務力も夫以外には“価値”としては通用しないのが現実なのだ。

そういえば、夫が病気になる前にそんな会話をした覚えがある。「わたしって、こんなに使えるオンナだけど、その価値はほんと低いよね」と。夫は否定しなかった。さすが、価値をいちばん認めているが、独り占めしてきただけのことはある。「あなたに万が一のことがあれば、わたしは路頭に迷うよね」すると、夫はいけしゃあしゃあと、「だいじょうぶ、もっといい人みつかるから」とのたまった。そんな過去の夫婦の会話を思い出しながら、結局、万が一に備えなかったことを自業自得とあきらめるより仕方がない。

自身の価値の大半を夫に捧げて得たものは、たくさんの思い出だけ? と、ちょっぴり自分を哀れんでみたり、いや、大人になった子どもたちの絶大なるサポート能力こそが、夫の存在の影でわたしの価値が発揮できた結果なのかもと誇ってみたり。選んだ生き方に正解があるわけでもないが、このところ自分の存在意義と価値を多いに見つめ直し、問い直す日々だ。できること、できないこと、したいこと、したくないこと、ぐるぐる思いを巡らせながら、自分探しの自問自答を繰り返している。

長いようで短い人生、こんなふうに自分を見つめ直す時間があってもいいよね。

 

 

椰子ノ木やほい/プロフィール
自分の心の中を文章にすることがとっても楽しいと思えるこのごろ。書くことを続けてきたことは、わたしにとっての拠り所だ。よく、精神を病んだときの治療にも書き出すことが有効と聞くけど、記すことは考えること、心を整理することでもある。書くことで気持ちが落ち着くから不思議。こんな駄文を読んでくれた方、どうもありがとう。それにしても、連載タイトル“悠々閑々編”なのにどんどん遠くなっていてごめんなさ〜い。