第10回 遺品整理終了で、すっきりライフ開始!

忙しかった、がんばった〜!

12月中に住んでいた家を引き払わなければならなかった。10月に夫が亡くなった直後から娘や息子たちの手を借りつつ遺品整理を始めてはいたが、いよいよタイムリミットだった。

夫の持ち物は、わたしの10倍、いや100倍、いやいや1000倍はあったかもしれない。20年ほど前、スーツケースとサモアから船便で送ったサバイバルレベルの所持品から米国生活をスタートさせたというのに何たる量! 歳月と夫の溜める習性によりモノは増えた。もっとも夫にしてみれば、好きなもの、要るもの、手に入れたものをたいせつにしてきただけなのだろうが。

わたしたちの年代は、モノのなかった親世代から“もったいない”をすりこまれてきた。モノをたいせつに、そして手放せない気持ちもわかる。しかし夫のそれはハイレベルだった。戦後のモノがなかった世代同様、貧乏学生時代に苦労した経験の影響もあったのかもしれない。何しろ、要不要に関わらずおまけや景品には弱い。消費社会の米国では、販促用無料グッズはたまるばかり。「もらわない」と意識していないと得体の知れないロゴや宣伝入りTシャツ、文具、雑貨が家の中に溢れてくる。そんな侵入を嫌うわたしと、もらえることは得と考える夫だった。

読書家だった夫は読んだ本はキープしておきたい派で蔵書量も多かった。旅に出れば旅先で手に入れた地図やパンフレットもたいせつに持ち帰った。「家に帰れば二度と見ないし、今どきそんな情報ネットでみつかるでしょ」とたしなめるも聞く耳持たず。無造作に紙袋に溜めてあった様子からして、一度だって見返した形跡はない。重い紙類をよくまあこれほど持ち帰ったものだと呆れた。

空き缶から4000ドルのキャッシュを発見したので、紙類にも紛れていないかと丁寧に整理した。いっしょに旅したあちこちの地図やお店のチラシ、観たショーのチケットの半券などどんどん出てきた。パラパラめくれば思い出がよみがえり紙の上にボタボタと涙がこぼれた。ひょっとしてこの紙の束に意味があったとするなら、この瞬間わたしに涙を流させるためだったのか……? と泣き笑い。遺品整理って辛くて複雑。

感傷に浸っている場合ではない……整理、処分だ。

つい、吹いてしまったのは、わたしと出会う前の彼女の写真が出てきたことだ。会ったことはないけれど、夫の実家でその写真を見たことがあった。実家からこっそり持ってきていたことにびっくり。「捨てられない習性」のレベルを見た気がした。とまあ、呆れたり涙したり吹いたりしながら整理を続けた。紙類はリサイクルゴミに、服や靴、各種雑貨、書物などはリサイクルショップに何度も運び込んだ。

処分に悩んだものは、趣味に分類されるものだ。夫は古いモノを集めることが好きだった。いわゆる“コレクター”というやつだ。特に、ノスタルジックな50’s グッズはチリが積もって山だった。コレクションが趣味だと「あるからもういらない」とはならない。お値打ち品が見つかれば即ゲットだ。米国にはどんな小さな町にもアンティークの看板を掲げる店があり、落ちていても拾わないようなものまで売られている。散歩ついでに夫に付き合いよく出かけたが、店で買うことはまずなかった。ガレージセールやフリーマーケットで発掘すれば格安だったからだ。そんな宝探しが、夫にとっては米国暮らしの楽しみであり、お金のかからないレジャーだった。わたしは夫が妙なものを買ってしまわないように引き止めるストッパー役だったが、制止に失敗も多く集めたコレクションは、いつの間にか2台入るガレージの半分を占拠していた。

「あなたのガラクタのせいで、わたしの車が入らないんですけど」と、不満をぶちまけると、「ガラクタじゃなくて宝!」と返された。「あなたより絶対先に死なせてね。あなたのガラクタをわたしが整理するなんてまっぴらごめんだから」というのも、夫にいい続けていたことだ。そのたび「はいはい」と苦笑いでごまかされたものだが、さすがに癌宣告のあとには禁句となった。

今回の遺品整理で頭を抱えたのが、大きくて重いビンテージの洗濯機とロールプレス式アイロンだ。しかも全部で4つ。レトロな自転車だけで10台以上、タイプライターに足踏みミシン、ミキサー、ラジオに、得体の知れないものまでありとあらゆる古いものがあぁぁぁぁ。アンティークショップが開業できそうだ。店ならそれなりの価値で売られているので、捨てるのは忍びないし、古いモノはリサイクルショップに持ち込んでもゴミ扱いされかねない。コロナ禍で限られた時間内に売りさばくことも簡単ではない。夫の宝なのだから形見としてとっておくか? と思ってみたり、いやいや、じゃまなだけ!! と、葛藤の連続だった。

幸い、娘のダーリンのママがアンティーク好きとわかりかなり引き取ってもらった。こんな趣味のものは、好きな人が持っていてはじめて価値があるのだ。それでも、処分に困ったものはSNSでアンティーク好きローカルグループに「タダで差し上げます」と呼びかけてみた。ほしいという人がトラックで現れ引き取ってくれて、「夫の宝」の整理は終了した。わたしが所有していてもジャンク、ほしい人が持てば宝だ。

夫はDIYも趣味だった。電動工具や大工道具もたっぷり。釘やネジ、材木の切れ端にいたるまであるあるある。作る人というのは、どんな廃材もいつかの作品の材料としてとっておきたいようだ。保管スペースがあったからともいえるが、それにしても多趣味、多才もモノを増殖させた原因だと唖然とする。わたしは整理整頓が好きな断舎離派で、着ない服もどんどん処分するし、不要なものを溜めておくことはスペースと労力が無駄と考えるタイプ。夫は、わたしのクローゼットの何倍もあるスペースに一生着きれないほどの衣類と、一生使わなさそうなものもたくさん持っていた。「あなた何万年生きるおつもりですか?」とわたしによく茶化されていたのである。よくまあ、これほど真逆なのに仲良く夫婦でいられたものだと笑えてくる。

 

これが2杯目のおかわり

ともかく、儚くもわたしの願いは叶わず、夫の「はいはい」も空振りとなり先立たれてしまった。できる限りリサイクルを試みたが、それでも多大なゴミが出た。廃棄処分用に10フィート(約3m)のコンテナを準備したが、それでは足りず、倍サイズの “おかわり”も満杯となった。夫の宝箱というガレージを片付けながら、「あの世には持っていけなくて残念だったね」とやさしい言葉をかけようとするわたしと、死んでしまった夫に怒りすらこみ上げる自分もいて、葛藤に満ちた遺品整理は終了した。

持っていたいものを最期まで所有していられたのだから本望だったろう。だけど夫よ、よく聞いてほしい。これからわたしはスッキリと暮らしていくぞ!!

 

椰子ノ木やほい/プロフィール
夫の遺品整理をしてみて、我が家にあったものほとんどは夫が気に入って買ったモノばかりと再認識。わたしがモノに執着しないからなのか?はたまた、夫が執着しすぎでわたしの出る幕がなかったのかはわからない。夫のモノを処分すると何もなくなってしまうので、アンティークコレクションから、わたしも気に入っているものだけ厳選。ピアノ、ハモンドオルガン、アコーディオン、50’s ダイニングセット、ファイヤーキングの食器はキープ。