第11回 思い出のタイムトラベル

平穏なひとコマのなかにこそ意味があったのかもしれないと、何度も感じた。

前回書いたようにたくさんのモノを手放した。処分する作業は快感でもあったけれど、わきあがるさびしさで胸が苦しくなる瞬間もあった。モノにさほど執着しないわたしでも、思い出のつまったものをとっておきたい気持ちはわかる。特に贈り物や手作りのものには、心と思い入れもつまっているのだからなおさらだ。

ガレージの高い棚の上から、娘の描いた絵がたくさん出てきた。夫は処分されることを心配して、わたしの目に触れない場所にしまっておいたのだろう。娘は大学でアート、大学院でファッションデザインを専攻した。卒業し社会人となり長い歳月が過ぎたので、絵ばかり描いていたころがあったことすら忘れていた。

出てきた絵を前に、今や美大でペインティングを教える立場となっている次男がおもしろがって採点しはじめた。「これはAだけど、これはBだな」「これは遠近が正しくないね」学生たちに成績をつける側なのだから、評価の基準にちゃんとした理由もつく。

現在はテキスタイルデザイナーという職を得てアート系フィールドで生きている娘は、次男の評価を素直に受け止めながら思い出の作品を懐かしんでいた。娘のダーリンもいっしょになって目を通したあと、とっておきたい絵だけを拾っていた。

サモア時代に絵の具で描いた絵もたくさん出てきた。「絵を描くことはありえない」はずのわたしの絵も混じっていた。なにしろ、犬の絵を描いてもこれは何?と言われるほどわたしは絵が描けない。夫に「見たものを描写する機能が備わっていない」と言わしめる画才のなさだ。それほど絵に無縁なわたしまで巻き込んで、家族で絵を描いて遊んだ時代があったことを思い出した。

今となっては、そういう時間を経たからこそ次男がアーティストとして生きているのかもしれないと思えてくる。長女がアートを学んだのもその影響はあったかもしれない。当時は、暇つぶしに家族で絵を描いて遊んだだけのことだったが、そんな時間の過ごし方にも意味があったような気がしてきた。

ガレージの奥からはベニヤ板で作られた箱が出てきた。20年前、アメリカに移動するときに使ったギターケースだ。サモアではギター用ハードケースが手に入らなかったので夫が作ったのだった。なかには聞いたこともないブランドの安物エレキギターが入ったまましまってあった。すっかり忘れていた“ベニヤギターケース”を前にして、サモア時代に住んでいた家のテラスで、したたる汗を拭きながら、ありあわせの板を張り合わせて、夫がDIY したあの日の記憶がよみがえった。

今でも息子たち全員がギターを弾き、音楽を楽しむことは暮らしの一部だ。特に、大学で音楽を専攻しジャズ三昧のカレッジライフを過ごした末息子は、今では、数々の楽器を演奏するマルチプレーヤーとして、ミュージシャン/プロデューサーを生業としている。もし、このギターがなければ“今”はなかったかもしれないとしみじみ思った。

いちばん上の息子に、「これあなたたちの原点だね」って言うと、苦笑いしながら「ホントだよね。安物ぼろギターだけど」

「とっておきたい?」ときくと、しばらく考えて「うーん、どうしよう」

思い出はあっても、息子たちが使う“楽器として”機能しないことは明白だ。

「将来、ハルキが有名なミュージシャンになってしまったら、高く売れるかもよ」と夢のような冗談をいいながら、処分か否かで悩む、悩む、悩む。

こんなおんぼろギターをベニヤで作った箱に入れてアメリカに担いで来たことは、今となっては笑い話だが、それは夫が子どもたちに良かれと思って与えた環境でもあった。何を持ち何を持たないかで、暮らす環境は整えられていくのだ。その意味では我が家の環境構築担当は夫であり、築かれた環境を整理整頓するのはわたしの役目だった。

夫なりの父親としての信念と理想に基づき、どこの家庭にもあったような流行りモノ、ゲーム機や人気のおもちゃはなかった。子どもの身になれば、それはそれで残念な親のもとに生まれてしまったと思ったこともあっただろう。とくに米国ではほしいものは、クリスマスまで待てば手に入る家庭も多い。うちはそんな家庭からはほど遠かった。

ところが!! である。

そんなふうに子どもに与えるものには、かなりの拘りと制限をしたというのに、こと自分の所持していたものとなると、子どもたちに顔向けできないような意味不明なものが次々と出てきたわけだ。父親としての夫の姿と、物欲旺盛なやんちゃな夫はまるで別人格のように。

「これどうするつもりだったんだろ?」

覆面レスラーがするカラフルなマスクがいくつもでてきた。

最初のひとつはメキシコ、カンクンのマーケットで買ったことを覚えている。欲しがる夫に「こんなもの買ってどうするのよ!」と冷ややかな目を向けたが、カンクンの記念のみやげとして、ひとつだけ買ってきた。その後わたしの知らないうちにコレクションが増えていたとは……。テコンドーのブラックベルトで格闘技好きだった夫は、確かにプロレスも好きだったが、だからといって被るわけもないのに、なぜマスク??! とまぁ呆れてしまう。

「新品だし、よかったら持っててね」と息子たちにいうもシーン。

「ハロウインでなら使えるんじゃない?」さらに「……」。

わたしには、娘や息子たちの沈黙の裏にある無言の言葉が聞こえたような気がした。

「自分はこんなに変なものをたくさん持っているくせに、よくもまあおれたちには厳しくできたものだ」と。もちろん、それはわたしの推察だ。

夫のひたむきな父親ぶりにレスペクトはあるものの、「子ども以上に子どものような夫」の証拠品の数々には呆れるやら、笑えるやら。ここには記せないものもたくさんだ。娘や息子たちが子どもとして接していた威厳ある父親とのギャップはあまりに大きい。

モノは少なく身軽に生きたいものだが、一方でモノの中には歴史も数々の思いも、人となりも宿っている。記憶だけで全てを留めることは難しい。見るから、触るから思い出せることもある。記憶を辿りながら、「意外とおもしろい人生を歩いてきたな」とあらためて思慕の念が深まるいい時間だった。

さて、回想はこれくらいにして次は前進しなくては。

椰子ノ木やほい/プロフィール
思い出のあるモノを捨てることにはほんとうに勇気がいった。テコンドー試合で獲得したたくさんのメダルやトロフィー、音楽コンペの受賞の盾、ハイスクールで息子全員が受賞した“ベストミュージシャン”と刻まれたオスカー像は4つも出てきた。こういうものはリサイクルするわけにもいかず、かといって捨てるのも忍びない。かさばるトロフィーは処分したが小さめのものは再びしまい込んでしまった。子どもたちは捨てていいと言うのだから、結局そんな思い出の品々は親の宝なのだ。