第7回 万里の長城の先っちょって? – 河北省・秦皇島

初めて、息子と母の週末旅行の行き先として、河北省の秦皇島に行くことにした。秦皇島は当時住んでいた北京から270キロほど東へ行った渤海湾に面する海辺の街だ。明代は北方からの軍事の要所だったが、今は避暑や海水浴で夏になるとに...
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初めて、息子と母の週末旅行の行き先として、河北省の秦皇島に行くことにした。秦皇島は当時住んでいた北京から270キロほど東へ行った渤海湾に面する海辺の街だ。明代は北方からの軍事の要所だったが、今は避暑や海水浴で夏になるとにぎわっている。

11月の朝、早起きして北京駅へ向かった。息子は広い駅の中をよく知っていて、私よりも先に自分が乗る列車を電光掲示板で確認し、階段を走り下りてホームへ降り、スキップで列車の乗車口へ向かって行った。

 北京駅のホーム

北京駅のホーム

私たちが乗る列車は秦皇島行きの快速列車で、3時間半の列車の旅だ。今は「動車」と呼ばれる新幹線型の高速鉄道が1年中運行しているので、2時間程度で行くことができる。「軟座」という1等席は満席で、外国人が多く乗車していた。私たちの向かいには、中国各地を旅行しているニュージーランド人バックパッカーの父と子が座っていた。

秦皇島駅のホームでニュージーランド人親子と別れたが、彼らは切符を紛失し、改札口を通ることができず困っていた。おそらく車内に置いてきたというので、私が事情を説明して一緒に車内に戻り、切符を見つけて無事駅の外に出ることができた。彼らは帰りの切符をこれから駅で買おうとしていたが、中国語が話せないので窓口で私に通訳してくれないか頼んできた。ところが切符売り場は長蛇の行列で、何分かかるかわからないほどだった。「これ以上あなた方を引き止めるのは申し訳ない、切符はなんとか買えるだろうからもう行ってください」と父親がすまなそうに申し出た。私は、「○月○日、北京まで軟座2枚買いたい」と中国語でメモに書いて手渡し、失礼することにした。

秦皇島という名から想像できるのは、秦の始皇帝だろう。その通り始皇帝が不老不死の薬を求めて、港から船を出して使者を送った話は有名だ。結局使いは日本まで来たというが、始皇帝は薬を手にいれることなく亡くなり、「秦皇島」の地名だけが今に残っている。

秦皇島の海岸

秦皇島の海岸

海辺のホテルにつくと、息子は砂浜に向かって走って行き、しばらく波打ち際で遊んでいた。海を見るのは久しぶりで、潮のにおいが心地よい。ちょうどお昼時で朝早くに家を出た私たちはお腹がすいていた。内陸の北京では高価で滅多に食べられない海鮮料理が食べたい一心で、ホテルから近い海鮮料理店に入ってみた。店頭にある水槽から魚貝を選び、料理方法や味付けを指定する。注文は少し難しいが、店主が気を利かせてくれて、「こんな食べ方もできる、あまり辛くしないよ」と提案してくれた。私たちは、蒸したワタリガニ、タコの炒め物、そして野菜の炒め物などを食べたが、どれも美味しくて幸せな気分! 日本人には海のものを求める「何か」が体の中にあるのだろうか、なんだか生き返ったようだった。

タコの炒め物

タコの炒め物

しかし、一泊二日の短い旅なので、じっとはしていられない。タクシーに乗り、山海関に向かう。明代につくられた万里の長城は、西はシルクロードの砂漠が広がる敦煌の玉門関、東は秦皇島の山海関まで続いている。楼閣まで登って行くとその向こうに、老龍頭と呼ばれる見張り台が海までせり出していた。そう、これが「万里の長城の先っちょ」なのだ。すでに1980年代に修復されたと記されているが、それは過去の戦でよほど壊されたということだろう。息子は無邪気に兵士のまねをしながら歩いていた。

山海関で兵士になったつもり

海に突き出た万里の長城

海に突き出た万里の長城

東端の要塞から一番目の関である、天下第一関へ移動する。長城伝いに歩けばなんとか行けるだろうが、工事をしているのか通行禁止だった。天下第一関とはなんとも仰々しい名前だが、明から清への王朝の移り変わりは、山海関と天下第一関が開かれたことから始まったっている。そびえ立つ城壁はたいへん高く、攻め入った者を唖然とさせたに違いない。城壁の上に立つと、天下第一関は城を守る要塞というより、四方を城壁に囲まれた城壁都市のようだった。

そびえたつ天下第一関

そびえたつ天下第一関

城壁の中の通りは北京の横丁同様に胡同(フートン)といい、人が住み、市場もある。民家は建てられてから100年以上経過しているような、古い四合院(中庭があり、それを囲むように四方に建物を配置した家)だ。市場では、食品や日用品だけでなく、北京ではあまり見ない木炭やタバコの葉なども売られている。突然甘い香りがしたと思うと、懐かしいベビーカステラを店頭で焼いていて、つられて買ってしまった。土産物ではなく暮らしの見える市場は楽しく、つい買い物をしてしまう。日が沈んできて少しずつ暗くなってきたが、城壁の街では四方の門からしか外に出ることができない。ところが、あちこちで行われている城壁や通りの補修工事で、どこから城壁の外に出ていいのかわからなくなってしまった。偶然、城壁の一部を崩して工事をしているところを通ったので隙間から出させてもらい、道路に出てタクシーに乗ることができた。

古城内の胡同

古城内の胡同

人でにぎわう市場

人でにぎわう市場

夜は別の店でカニやあわびを食べ海鮮三昧だったが、よほど魚介類に飢えているのか、息子は翌日の昼もまたカニが食べたいと言うので、またホテルの近くの海鮮料理店へ顔を出した。店主は私たちのことを覚えていて、この日も注文の手助けをしてくれた。カニは炒めてもらい、ウニは子どもでも食べやすいよう茶碗蒸しにしてくれた。さらにもずくのスープをサービスで出してくれたりと、美味しいのはもちろん、親切で値段が安かったのもたいへん助かった。

炒めてもらったカニ

炒めてもらったカニ

11月になると肌寒い日も多いが、息子は波打ち際で遊ぶだけでなく、ズボンをたくし上げて海に入ることもできて、おてんとうさまが味方してくれた旅となった。

林 秀代(はやし ひでよ)/プロフィール

2005年から2008年まで中国・北京在住。現在神戸在住のフリーライター。北京滞在時より中国の旅や生活のエッセイや記事を書いている。9月より息子がインターナショナルスクールのミドルスクールに進み、自分の時間と子どもの出費が増える日々。http://keiya.cocolog-nifty.com/beijingbluesky/