第3回 「愛しい時間」と感じるとき

LINEで送る

連載:『サモアの想いで』
文・写真:椰子ノ木やほい(ミシガン州・アメリカ合衆国)

何の変哲もなさそうなこの写真がお気に入りだ。

ここは、我が家が4年間暮らしたサモアの家の庭だ。同じ敷地内に、大家さんはじめ、その家族、親戚、縁者が大家族を成して住んでいる。夕方になると、いつもシュッシュッシュッシュッ、シュッシュッ。シュッシュッシュッシュッ、シュッシュッ……と小気味のよいリズムが聞こえてくる。大きなマンゴの木が作ってくれる日陰で、隣のお兄ちゃん、レオフィがサモア料理には欠かせない、ココナツクリームを作るためココナツの果肉を削りだした音だ。今日も大人数の食事の準備がはじまった。

シュッシュッという音に混じって、子どもたちが屈託なく話かける声がこだまし、笑い声が響いてくる。私は、我が家のテラスから子どもたちの様子をぼんやり見つめているのが好きだった。「昨日と同じようにまた食事のしたくがはじまった」「その平和な時の流れのなかで子どもたちが遊んでいる」という、たわいのない時を“感じとること”が心地よかった。「食べるために食事を作る横で、子どもたちが笑っている」それを見つめていられる私の時は、偉く尊いことのように思えた。

昨日と変わりなく繰り広げられる、単調な光景を眺めながら、あれをして、これもして、あそこに行って、それを買って、この次は、あれもほしいし、これも要る……、という暮らしを続けていたころの日本の私を思い浮かべていた。せわしない日常の中で起こる、すべてのできごとは、どれもこれも、重要なことだったはずなのに、こちらの世界から見るとそうでもなかったなと苦笑した。翻弄されているうちに、目の前にあるもっと大切な瞬間を味わい、慈しむことを忘れていたのかもしれないと思った。

この写真を見るたび、ココナツを削る音と子どもたちの笑い声が聞こえてくる気がする。そして自分自身の前を過ぎて行く時空を愛しいと感じた日々がよみがえる。

≪椰子ノ木やほい/プロフィール≫
フリーランスライター。1997年、受験のない世界での、のんびりゆったり子育てと、シンプル&スローライフを求めて、家族(夫・子ども4人)で南太平洋の小国サモアに移住。4年間、南国生活を楽しむ。思春期に向かう子どもたちにとっての、より適切な環境を模索する中で、2001年より、アメリカ合衆国、ミシガン州に在住。米国に暮らす現在、つい、つまらないことに翻弄されそうになる自分に呆れては、サモア時代のシンプルライフを懐かしんでいる。関連サイト:サモア時代のリアルタイムを伝える、「Talofa lava from Samoa」我が家が日本を脱出してからの記録「ぼへみあん・ぐらふぃてぃ」、海外在住ライター、フォトグラファーを支援するサイト「海外在住ライター広場」