第9回 繋がる子どもたち

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連載:『サモアの想いで』
文・写真:椰子ノ木やほい(ミシガン州・アメリカ合衆国)

サモアの家の庭で息子たちが友だちと遊んでいたのでカメラを向けたら、「ハイポーズ!」

私のお気に入りの1枚だ。

1997年から約4年間を過ごしたサモアでの暮らし。すっかり慣れた頃にサモアを離れることになり息子たちは残念がった。友だちと別れるのはいつでも、だれでも辛い。しかし、「逢うは別れのはじまり」とも言う。小さな南の国での笑顔の一瞬を、子どもたちがいつまでも忘れないようにと思い、今もリビングルームの片隅にこの写真を飾っている。

この頃から9年ほど経っただろうか……。発展途上の国でもあるサモアでは、まだまだ電話のない家も多い。自由に国際電話ができる環境が整っているとは言いがたい。戸別に住所がないため郵便配達もない。それぞれの私書箱を知らなければ、手紙を送ることも不可能だ。そんな事情もあり、サモアを離れたあと、子どもたちの交友は途絶えてしまった。

息子たちの様子から想像しても、ここにいる屈託のない子ども顔の少年たちは今ごろ体格のいい、立派なサモアン青年になっていることだろう。息子たちが、彼らと再び会う機会はあるのかな~などと思いながら、リビングルームの写真を眺める毎日だったが、少し前に驚くことがあった。

長男がパソコンの前で「オ~!!」と叫ぶので、なにごとかと思ったら、写真に写っている、仲よしだったジョンが、アメリカで人気のあるSNSサイトを検索して「みつけた~!」とメッセージを送ってきたのだ。

彼はサモアの高校を卒業したあと、奨学金を得て日本に留学というチャンスをつかみ、今では日本語、いや、大阪弁を操るようになっていた。日本語ができるようになり、彼もサモア時代に仲良しだった息子のことを思い出したのだろう。サモアで育んだ友情が絶えてしまったかと思ったら英語でも日本語でもコミュニケーションができる二人となって、再び繋がったのだ。

大阪弁で伝えてくる彼の近況報告を読んではクスクスと笑っている息子を見ながら、ついこの写真に目をやってしまう私だ。

≪椰子ノ木やほい/プロフィール≫
たくさん撮ったものの、サモア時代に撮った写真の質はとても悪いのがいつも残念だ。当時のデジカメの解像度は今とは雲泥の差、加えてフィルムで撮影した写真も現地で現像したためかどうもきめが粗い。それでも、記憶はだんだん薄れていくので、なんでもないような一瞬を撮った写真が想いでを繋いでくれている。ありがたいことだ。 「ぼへみあん・ぐらふぃてぃ」