第17回 サモアで昼寝した父

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連載:『サモアの想いで』
文・写真:椰子ノ木やほい(ミシガン州・アメリカ合衆国)

異国への移住決行という、突拍子もない知らせを聞いたとき、我々の両親は何を思っただろう。孫の顔を見るのが何より楽しみというおじいちゃん、おばあちゃんは、「顔で笑って心で泣いて」という心境だったにちがいない。

しかし、飛行機にさえ乗ってしまえば訪問できる。「和食以外は食べない」という義父だけは海外旅行が苦手だが、義母も私の両親も海外旅行大好きという、国際派の年寄りだ。子の決断を応援したい気持ちと心配でたまらない親心を抱えながら、我が家の生活ぶり、そして孫たちの様子を見るために、南太平洋のど真ん中まで、エッサコラサと来てくれた。

私の父は、「仕事こそ生きることの全て」というほどの仕事人間だったが、さすがにエメラルドグリーンの海と青い空、椰子の木がゆらゆらするばかりの景色以外は何もない簡素な国に上陸して、「ここで仕事のことを考えるなんて無駄な抵抗」とすっかり降参したようだ。

「こんな世界があったんだなぁ」としみじみ言った。

「働くことが生きること」とも言わんばかりの父流の価値観は、ハラハラと崩れ去ったことだろう。降参した後の父は何を思ったか、とつぜん南太平洋を臨む塀の上で昼寝をはじめたかと思うと、上着を脱ぎ捨て、シャツのボタンをはずし、サモアの魚市場や野菜市場を見て回った。ビーチで孫たちと一日のんびり過ごしたあと、ホテルのディナーショーでは、サモア流ファイアーダンスに歓声をあげた。

まったく異質の価値観に自らの身を置くことで、「南国暮らし」という我が家のチャレンジを多少なりとも理解してくれたのではないかと思う。南の島の滞在は満更でもなかったようで、以来父はよく「もう一度サモアに行きたいな」と言っていたものだが、その願いは叶うことなく、この2月14日に永眠した。

私の「サモアの想いで」の中に、父もいるひと時があって心から良かったと思う。

≪椰子ノ木やほい/プロフィール≫
両親の滞在中、イタリアから移民としてやって来ていた、隣人のアンジェロが急逝したため、父母は、見ず知らずのイタリア人画家のサモア流葬儀に参列というハプニングも体験。また、私たちがサモアで知り合った友人たちからも手厚い歓待を受け、短い旅行ながらも、何か熱いものを感じてくれたと思う。父よあのときのように安らかに……。HP:ぼへみあん・ぐらふぃてぃ