第9回 張壁村は遠かった– 山西省平遥市郊外

平遥のゲストハウスに泊まった翌日はまだ小雨が降っていた。息子と私は平遥郊外を回るので、チャーターしていた車とドライバーを待っていた。どんな人が来るのか少し緊張していたら、ドライバーの「おはようござんす」という東北なまりの...
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平遥のゲストハウスに泊まった翌日はまだ小雨が降っていた。息子と私は平遥郊外を回るので、チャーターしていた車とドライバーを待っていた。どんな人が来るのか少し緊張していたら、ドライバーの「おはようござんす」という東北なまりの挨拶に拍子抜けしてしまった。

外国語を話すドライバーに会ったのはこれが初めてだった。旅行代理店に手配したのは、ドライバーと車だけ、ガイドは不要と言っておいた。中国ではドライバーとガイドははっきり分業している。ガイドがいると安心に思えるが、あまり興味のない土産物店に連れて行かれたり、手を抜いた案内に閉口することもあり、行き先で不安な事がない限りは雇わなくなった。しかし車とドライバーは、辛うじてバス交通があるかどうかの中国の田舎を子どもと旅するには不可欠で、突然の「オシッコ!」にも対応しやすく安心だ。ただドライバーには無愛想な人もいるし、平遥やその周辺は方言の強い地域でもある。母子だけで移動する私達のために旅行代理店が気を回して日本語を話せるドライバーを探してくれたのだろう。ただそのドライバーの名前を思い出せないので、ここでは「Aさん」と呼ぶことにする。

Aさんが日本語を覚えたのは、出稼ぎ労働者として働いた岩手だった。彼は標準語で話そうとするが、東北なまりのアクセントになってしまう。でも言っていることは理解できるし、何よりも物腰が柔らかい。息子も私も気分がなごみ、車は順調に高速道路を走っていた。

平遥からこれから行く張壁村へは40キロほどの距離で、Aさんも以前張壁村には行ったことがあるそうだ。でも高速道路を降りた後からAさんは道に迷い始め、車1台しか通れないほどの狭い坂道に入り込んでしまった。戻ろうにもバックしかできないところを付近の住民が誘導してくれてようやくその場は抜け出せた。しかし、道の状態は悪く、民家の軒先に捨てられた石炭の燃えかすが雨水と混ざり、車が水たまりに入るたびに黒い大きなしぶきを上げて一瞬前方や横が真っ黒になる。息子は遊園地のアトラクションに乗ったような気分で大喜びだが、私は車酔いが始まっていた。結局2時間近くかけてようやく張壁村に到着! 車から降りると、白いセダンはパトカーのようなツートンカラーになっていた。

張壁村のような古い佇まいのある村を「古鎮」といい、数年前から古鎮を訪れるのがブームになっている。全国の古鎮を案内する分厚いガイドブックやテレビ番組まであるほどだ。数ある古鎮の中でも張壁村は、保存状態の良い歴史的建造物と街並みから中国中央テレビ(CCTV)の「中国の魅力的な古鎮10選」のひとつとして選ばれたこともある。

村の中を歩いて行く息子            馬も絵になる張壁村の街並み

観光客を受け入れている村では、入村料を払って観光する。張壁村では、大人40元(約480円)、子ども20元(約240円)、さらに20元払って村内ガイドを付けた(2008年当時)。先ほどまでガイドは不要と言っていたのに、村のガイドを付けるとは? ガイドは村民なので村人にも顔が利くし、村の歴史や事情もよく知っている。トイレに行きたくなれば近くの家に貸してもらえるよう頼んでくれたり、入ってはいけないところに迷い込むこともない。それに張壁ではガイドなしでは歩けない場所があるのだ。

張壁村の軍事洞窟の中                   洞窟の窓

その場所が「張壁古堡」と呼ばれる、唐代から地下に掘られた全長約5キロの軍事洞窟だ。洞窟の入り口は周囲をレンガで補強してあり比較的新しい感じがしたが、先には原始的な赤っぽいごつごつした岩肌の洞窟が続いていた。洞窟は左右だけでなく、上下にも分かれて3層構造になっていてまるで迷路のようだ。この洞窟の中ではしばらくの間生活できるよう様々な工夫がされている。井戸や食糧倉庫だけでなく、火を起こせるように煙突のような排気口もある。また軍事洞窟なので矢を撃つ窓もあれば、入ってくる敵には落とし穴まであるのだ! ガイドは熱心に説明してくれるが、息子は探検気分で勝手にあちこちへ走っていくので、私は穴に落ちないか気がかりでしょうがなかった。

お寺の瑠璃瓦の装飾             野外劇場のすぐそばには道路が

洞窟から外に出ると雨はあがっていた。この村は中国の激動の100年を生き延びて、清朝末期の「村の形」が残っている貴重な文化財だ。石畳の道を歩くと映画のようなひなびた風景が現れ、角を曲がるたびにワクワクした。村の家はレンガの高い塀や壁、大きなアーチ型の扉は平遥古城内の住宅のスタイルと似ている。富のある村だったのか、巨大な「福」の字が彫られた壁や、美しく葺かれたお寺の瓦屋根には瑠璃瓦で装飾が施されている。村の道にはところどころに、レンガのアーチ型の門があり、その上部には祠(ほこら)があったりもする。関帝を祀った寺や野外劇場に加え、清代につくられた貯水池も残っている。干ばつに悩む北方では、水は貴重な資源だ。店らしい店はほとんどなく、民宿が数軒ある程度で、観光客の食堂としても営業している。まだ観光客はまばらで、逆に静かに散歩を楽しむことができたのは嬉しかった。できればここで一泊したかったほどだったが、私たちはAさんが待つ車に戻った。

林 秀代(はやし ひでよ)/プロフィール
2005年から2008年まで中国・北京在住。現在神戸在住のフリーライター。北京滞在時より中国の旅や子どもとの生活のエッセイを書いている。息子がこの秋から履修している国際バカロレア(IB)教育に興味のあるこの頃。http://keiya.cocolog-nifty.com/beijingbluesky/