第11回(最終回)金山嶺長城から司馬台長城へハイキング

中国北方の旅は長城に始まり長城で終わるといっても過言ではない。明代につくられた「万里の長城」は、北京の郊外では八達嶺長城をはじめとして観光ポイントが何ヶ所もある。そのひとつである金山嶺長城から司馬台長城(以下「長城」は略...
LINEで送る

中国北方の旅は長城に始まり長城で終わるといっても過言ではない。明代につくられた「万里の長城」は、北京の郊外では八達嶺長城をはじめとして観光ポイントが何ヶ所もある。そのひとつである金山嶺長城から司馬台長城(以下「長城」は略)は、北京市街から東北へ130km、密雲県と河北省との境にある山の尾根沿いの城壁を歩くハイキングコースとしても知られている。

金山嶺へ行くのに悩むのが交通手段だ。金山嶺へ行く公共バスは、乗り継ぎが必要で、時間が推し測りづらいハイキングの後に司馬台でバスがまだあるかもわからない。車をチャーターすると乗用車1台で3,000元(約40,000円)近くかかるのも腑に落ちない。バスツアーなら1人300元(約4,000円)ほどと安く行けるうえ、ハイキングにはガイドが付いた方が安心なので、息子と2人で外国人向けのツアーに参加することにした。外国人向けとはいっても参加者のほとんどは北京在住者だ。

バスは金山嶺に到着する前にトイレ休憩のために停車した。古ぼけた田舎の公衆トイレは、扉も仕切りもない空間にコンクリートにただ穴が空いた便器が並んだ「ニーハオトイレ」だった! 私は一瞬建物の中に入ったものの、初めて見る光景に戸惑いを覚えて外に出てしまった。するとツアー客の欧米人の女性に「No choice. Let’s go! (選択肢はないのよ。行きましょ!)」と背中を押され、観念して入ることにした。日本人の中には私のように即決できず、我慢することもあるだろう。こんなとき欧米人の割り切りが良いと思うのは、彼らはライフスタイルが大きく異なる中国に来る時点で、大きな覚悟を必要とするからなのか。ニーハオトイレデビューで面食らったのは言うまでもないが、扉も仕切りもないトイレにいたのがほぼ全員外国人というのも妙な体験だった。

ふもとから長城に出るまで山を登っていくと、目の前に雄大な山並みが広がった。稜線に沿ってくねくねと果てしなく伸びる城壁は龍のように見える。山の色は、近くは濃い青、遠くは薄い青と水彩画のグラデーションだ。雲ひとつない青空が待っていてくれたことにも感謝した!

長城のハイキングは、尾根伝いに上っては下ることをひたすら繰り返して進む。城壁の穴や城楼からだけでなく、兵士が歩く階段からも攻撃し、身を隠せるよう、階段上に穴の空いた盾のような壁のあるところもある。金山嶺はそれほど補修の手が付けられておらず、城楼も城壁も崩れかけたところが何ヶ所もあり、古戦場としての雰囲気はあるが、よく気をつけていないと、子どもが落ちてしまう危険がある。高いところが好きで、勢いあまって走り回る息子だったが、ガイドも参加者もみんなでよく息子の相手をして見ていてくれた。

くずれかけた城楼             どの方角からも攻撃と防衛に備えている

ガイドは英語を話す若い中国人女性だ。イギリス留学を経て大学卒業後はテレビ局に勤務し、ドキュメンタリー番組を制作していたという。なぜ外国人向けのカルチャーツアーを企画し、ガイドになったのか聞くと、「テレビ局はあまり仕事もなくて退屈だったの」と意外な答えが返ってきた。エリートが集まる華やかで安定した職場のように見えるテレビ局が退屈だったというのは、彼女がまだ若すぎたのか、有能過ぎるからか。まだ大学を卒業して数年の若い彼女なら、そのうち責任ある仕事を任されて社会的に高い地位についてそうだが、今のツアーの仕事の方が人とのつながりがあって幸せなのだそうだ。こうやって客の私と直接会話を交わし、子どもの相手をするのが楽しいらしい。中国では若い起業家が多く、彼女もいずれその道を行くのだろうか。

傾斜が急なボロボロのレンガの段を上がっていくと、将軍楼と呼ばれる大きな城楼の跡があり、そこでお昼ごはんとなった。サンドイッチを持ってきている人が多い中、息子と私はおにぎりと卵焼きなどのおかずを詰めた日本のお弁当。そんなにきれいなものではないが、弁当箱を開くとそばにいた人たちが注目しているのがわかった。その中で以前福岡県に住んでいたイギリス人の女性が、「日本のお弁当ってキレイで美味しいのよ!」と懐かしんでくれた。

大人はもうすっかりくたびれているが、息子は高い場所にいるのがご機嫌で、城楼のあちらこちらへ探検に行き、下りスロープでは転がりながら降り、上りでは走って元気いっぱい。眺望の良さと開放感が子どもにパワーをみなぎらせているよう!

吊り橋と険しくそびえる司馬台長城が見えてきたら、ハイキングはいよいよ終盤。最後の力を振り絞って上りの急坂を登るとゴール! この先も司馬台長城へ登ることができるが、ツアーではここまで。暖かい飲み物とクッキーをもらうと力が抜けてしまい、息子は電池が切れたようにバスの中で眠ってしまった。

急勾配の司馬台長城

これで中国徒然親子旅の連載はおしまいです。今まで読んでいただきありがとうございました。金山嶺を登った時7歳だった息子は12歳になり、最近、「おかあさん、もう一度長城に登りたいね。ジンシャンリン(金山嶺)の眺めすごかったね」と中国文明の宿題をしながら話してくれました。息子が見たさまざまな空間や出会った人や目の前で起きたことは、彼の頭とハートにしっかりと残っていて、最近少しずつ封印していた記憶を開き始めました。

金山嶺長城にて筆者と息子

林 秀代(はやし ひでよ)/プロフィール
2005年から2008年まで中国・北京在住。現在神戸在住のフリーライター。北京滞在時より中国の旅や子どもとの暮らしのエッセイを書いている。http://bluecanopy.cocolog-nifty.com/blog/