第1回 見えない放射能の恐怖を実感

2011年3月11日、最大震度6弱を観測した福島県いわき市。津波被害に原発問題、風評被害……今もなお苦しんでいる人はたくさんいる。わたしの実家のあるいわき市小名浜は、福島第一原発からおよそ50km、福島第二原発からはおよ...
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震災が起こる5ヶ月前の小名浜の海水浴場

震災が起こる5ヶ月前の小名浜の海水浴場

2011年3月11日、最大震度6弱を観測した福島県いわき市。津波被害に原発問題、風評被害……今もなお苦しんでいる人はたくさんいる。わたしの実家のあるいわき市小名浜は、福島第一原発からおよそ50km、福島第二原発からはおよそ40kmの距離にある太平洋に面した港町だ。

震災以来、3度日本に帰国するなかで体験した目に見えない放射能。確信的な情報がないからこそ、いわきでも放射能に対する考え方は様々で、温度差があるのも事実だ。

震災後初めて帰国した5月下旬

いわき市小名浜の放射線量は、0.20μSv/h (※参照)以上あり、外出する際にはマスクを着用。いわき市でも福島第一原発から30キロ圏内の志田名・荻地区は、地元住民自ら線量を測定した結果、放射線量が高いことが判明。ホットスポットであるとNHKの番組で取り上げられて以来、急速にクローズアップされるようなった。

帰国していた2週間。津波被害によって自分の生まれ育った大好きなふるさとの変わり果てた姿をみたショックもあるかもしれないが、もともと敏感な身体のわたしは頭痛や吐き気、めまい、そして鼻の中の粘膜が焼けるような鼻血がでそうな感覚がずっと続き、ベッドから起き上がれない日もあったほど。周りからは「考えすぎ」「敏感になりすぎ」なんて言われたりもしたが、口の中がずっと苦く、何を食べてもおいしいと感じなかったのにはショックだった。小さなお子さんの鼻血がとまらなかったり、大人の方でもわたしと似たような症状を訴えている方がたくさんいるとも聞いた。外出時にはわたしは必ずマスクを着用したが、他にマスクをしている人はほとんどいなくいるとしたら子供か妊婦さんぐらい。何度か「なぜマスクをしているのか」と聞かれたこともあり、驚いた。この当時、テレビ画面には常に放射線量が表示され、毎日の天気予報のように淡々と線量を知らされたので数値に慣れていくことが怖かった。

オーストラリアへ戻ってからも約1ヶ月間体調が悪く、仕事が手につかないほどだった。

2度目に帰国した8月

0.20μSv/hを下回り、線量が落ち着いて来てはいる様子。普段の生活の中でマスクを着用しなくても前回のような症状は出なかったが、いわき市北部や木々が多い公園などに行くと激しい頭痛に襲われた。売り切れ続出で入手困難なガイガーカウンターをレンタルできると聞き、1泊2日レンタル。自宅や小名浜にある両親の会社と倉庫、犬の散歩で行く公園などの線量を測定した。その公園の特に木々に囲まれた場所や芝生の上を測定したところ、0.30μSv/h以上あり、なぜ頭痛が起きたのか納得した。いわき市の各市所で毎日定期的に線量を測定して発表していたが、細部のチェックは各自でして線量の高い場所には近づかないよう、自分で自分を守るしかなかった。

3度目に帰国した11月

小名浜では 0.20μSv/h下回っていたが、地域によっては上回っている場所もあり線量はいわき市の中でも様々。マスクを着用するしないは、行く場所によって変わった。ちょうどそのころ、大豆キャンドルの収益金寄附先でもある「いわき放射能市民測定室たらちね」http://www.iwakisokuteishitu.com/ で、ホールボディーカウンターという機械を使用した全身の放射能測定検査を受けたので、その時の模様は次回に書きたいと思う。

※μSv/h(マイクロシーベルト毎時=1時間あたりの生体への被曝の大きさの単位)

海外在住メディア広場のひと・人@広場」のコーナーもご覧下さい

大堀功美子/プロフィール
福島県いわき市小名浜出身、オーストラリア・ゴールドコースト在住。2006年よりオーガニックコンシェルジュとして五感で楽しめるオーガニックを広めるために、メディアへの出演、新聞や雑誌、ウェブマガジンなどへの寄稿、ワークショップなどを開催。現在連載中のコラムがいくつかある。