第5回 アメリカの高校スポーツと東日本大震災

もう1年半近く前のこと。
東日本大震災が発生してから、それほど時間が経っていないときの話だ。日本を離れて海外に住む日本人は直接には被害を受けていないとはいえ、動揺したり、焦ったり、情報を得ようと必死になったりという状況に...
LINEで送る

もう1年半近く前のこと。

東日本大震災が発生してから、それほど時間が経っていないときの話だ。日本を離れて海外に住む日本人は直接には被害を受けていないとはいえ、動揺したり、焦ったり、情報を得ようと必死になったりという状況に陥った人も少なくないと思う。私もそのひとりだった。

私は、近くに住む日本人たちと募金活動もしたけれど、何の役にも立っていないのではないかとむなしさも感じていた。

そんなとき、近所の公立高校の野球部からのお知らせが届いた。「野球部の高校生たちが小学生に野球を教えます。集まったお金はすべて日本の被災地に寄付します」というような内容だった。半日の野球教室で参加費はひとりあたり20ドルだったと思う。

日本のテレビ局からの映像には、被災地に近い高校の野球部員たちが、飲料水を運ぶなど頼りがいのある社会の一員として立ち働く姿があった。日本から遠く離れた米国の高校球児たちは、また別の方法で今の自分たちにできることで、被災された人々を助けようとしていた。

高校生たちの野球教室は近くの室内練習場で開催された。数十人の小学生が集まっていた。高校生たちは子どもたちのキャッチボールの相手をしながら、投げ方を教え、トスを上げるなどで打撃練習に付き添った。

実際に野球教室を開催するにあたっては野球部の監督という大人の存在が大きかったと思う。それに、部員全員がはつらつと使命に燃えてというわけではない。子どもの扱いに慣れていないティーンエージャー男子がぎこちなく小学生に話しかけるという姿もあった。それでも、私は日本人としてとてもうれしかった。

このようなチャリティ教室が震災発生から間もなく開催された背景には、ふだんからの高校スポーツと地域との結びつきがある。高校サッカー部は年に1度、地域の小学生を招待し、ハーフタイムには子どもたちをグラウンドに降ろしてシュートさせるイベントを行っている。

筆者の子どもはアイスホッケーをしているが、高校の試合に定期的に招かれ、インターミッション(休憩)の間にシューティングを披露したり、市内最年少チームである幼稚園児が試合をしたりして、それを高校生選手たちが声援する。

小学生にとって、プロスポーツ選手は憧れであっても遠い存在。しかし、高校生の選手は近い将来、自分が望めば、そうなれるであろうという身近なモデルでもある。招待された小学生たちの何人かは数年後には確実に近所の公立高校のグラウンドに選手として立ち、小学生を迎える立場になる。自然災害は発生してほしくはないが、チャリティ野球教室の心意気も、また次の高校生に引き継がれていってほしいと願う。

谷口輝世子/プロフィール
デイリースポーツ社で1994年よりプロ野球を担当。1998年に大リーグなど米国スポーツ取材のために渡米。2001年よりミシガン州に移り、通信社の通信員などフリーランスとして活動。プロスポーツだけでなく、米国の子どものスポーツや遊び、安全対策、スモールビジネス事情などもカバーしている。

著書『子どもがひとりで遊べない国、アメリカ』(生活書院)、『帝国化するメジャーリーグ』(明石書店)、章担当「スポーツファンの社会学」(世界思想社)。主な寄稿先 「月刊 スラッガー」(日本スポーツ企画出版社)、体育科教育(大修館書店)、JNEWS(メールマガジン)