第2回 ガレキに咲いた花

8月、お盆に合わせて日本に帰国した。
 
日本に帰ってからまず行く場所は、震災後に変わった。いわき市沿岸部にある薄磯(うすいそ)という、壊滅的な津波被害があった地域だ。私の友人が、あの日、津波の犠牲となった場所。かつてそ...
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8月、お盆に合わせて日本に帰国した。

かつて家屋があった場所。奥には海。

日本に帰ってからまず行く場所は、震災後に変わった。いわき市沿岸部にある薄磯(うすいそ)という、壊滅的な津波被害があった地域だ。私の友人が、あの日、津波の犠牲となった場所。かつてそこには彼女が住んでいた家があり、そして彼女がいま眠っているお墓がある。

その地区に足を運ぶときはいつでも、気が重い。

お線香と、彼女が大好きだったビールとおつまみを持って友人と行くのだけれど、どうしてそうしているのか分からなくなる時がある。どうして彼女がいないのか。

それでも、彼女のお墓の前で近況報告や思い出話をする。山に囲まれているので、夏は身体中蚊にさされながら、時にはビールを一緒に飲みながら、時間が経つのを忘れてそこで時間を過ごす。

その後は決まって、彼女の家があった場所に行くのだけれど、その地区にあったほとんどの200世帯以上の家屋が倒壊し、今では撤去され基礎しか残っていない。

殺伐とした風景が広がる薄磯地区だが、明るくなっていた。

一部崩壊した防波堤や、ガレキ、残っている壁などに、色とりどりのお花が咲いていたからだ。スプレーで描き上げられたお花と、敷地一面に咲いている向日葵。

奥に見えるのは美空ひばりさんのみだれ髪で有名な塩屋崎灯台。

「ガレキに花をさかせましょうプロジェクト」によって咲いたさまざまなお花の力によって、ようやく太陽のひかりとあたたかさにつつまれる場所になったのではないか。

豊間(とよま)中学校。手前の青い壁はプール。奥にはガレキが山積みになっている。

ガレキに咲いたお花の写真を撮っているわたしの横を、一人の男性が通り過ぎていった。

防波堤の目の前にあったであろう家屋の、基礎しか残っていないその場所で彼はお線香に火をつけ、大きく肩を震わせて泣いていた。静かにずっと……。

かつて海水浴客で賑わっていた薄磯海岸は、夏だというのにひっそりと静まり返っていた。海水浴客の代わりに、今は多くの悲しみを背負った方々が訪れている。

この地区で亡くなられた方々のご冥福をお祈りするために。

大堀功美子/プロフィール
福島県いわき市小名浜出身、オーストラリア・ゴールドコースト在住。2006年よりオーガニックコンシェルジュとして五感で楽しめるオーガニックを広めるために、メディアへの出演、新聞や雑誌、ウェブマガジンなどへの寄稿、ワークショップなどを開催。現在連載中のコラムがいくつかある。