1 アメリカでバリアフリーを考える/アメリカ合衆国      

日本で定着しているバリアフリーという言葉、在米の私はあまり聞くことがない。代わりに、高齢者、障がいや病気を持つ人々に対して物理的、精神的な壁を取り去るという意味の言葉として、アクセサビリティー(accessibility...
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日本で定着しているバリアフリーという言葉、在米の私はあまり聞くことがない。代わりに、高齢者、障がいや病気を持つ人々に対して物理的、精神的な壁を取り去るという意味の言葉として、アクセサビリティー(accessibility)、ディスアビリティー(disability)、ダイバーシティー(diversity)といったキーワードが浮かぶ。

電動カートで買い物する人々

アメリカでは1990年にAmericans with Disabilities Act (障がいを持つアメリカ人法)が制定されたことにより交通機関や公共施設においての物理的整備のみならず、障がい者の雇用をはじめとする社会参加などに対しても平等の機会を与えないことは違法である。

こうした背景もあり日本語でいう「バリアフリー」な環境はかなり機能しているように見える。ディスアビリティーと呼ばれる障がいの範囲は、身体障がいに限らず、学習障がいや注意欠陥・多動性障がい(ADHD=Attention Deficit / Hyperactivity Disorder)などの発達障がい、性同一性障がいに至るまで含まれるため、外見だけで障がいがあるとはわからない人々にも配慮が行き届いている。

一例として、地元の州立大学には障がいのある学生のためにStudent Disability Servicesというオフィスが設けられていて、困ったことは相談できる仕組みが整っている。たとえばADHDと診断されている学生なら、所定の手続きをすれば、テストを受ける場合、気が散らないように個室を利用でき、テストに与えられる時間を延長するなど配慮してもらえるそうだ。ハンディキャップのある人に、ハンディを克服できるよう、別の方法を提供する姿勢はすばらしい。社会全体に、そのような意識が定着することが真の意味でのバリアフリーなのだろう。

サインには点字も

「差別」に対してのバリアフリーぶりの例としては、大学ではゲイの職員も偏見なく雇用され職務を全うしているし、自身がレズビアンであることをカミングアウトしたうえでその種の講義を専門とする教授まで存在することには、日本人の私にはちょっと驚きだ。もちろん、この手の問題はとてもセンシティブであり、各州、自治体や関係機関によって扱いはちがうため、一概に「米国では」と括ることはできないが……。

しかし、こんな環境で暮らしていると、自然と多様性を受け入れることが当たり前になってくる。世の中は人種、性別、年齢、身体障がいの有無も含めていろいろな人々で成り立っており、それぞれの価値観や宗教観によってもさまざまな生き方、考え方があることを目の当たりにしているのだから。特定の型枠にはめて、人を差別したり批判するのではなく、ありのままの姿をどう受け入れ、どう共存するかという姿勢を持つことが、成熟した社会に求められるバリアフリーといえるのではないだろうか。

完璧な人なんていない。得意なこともあれば苦手なこともある。生きている限り、迷惑をかけることもあるし、かけられることもあるのだ。私は日本語の「おたがいさま」という言葉が好きだ。人々の心に「おたがいさま」が定着すれば、物理的アクセサビリティーの整備は必要だとしても、心のバリアフリーという考え方はなくてもよいのではないかとさえ感じるがどうなんだろう……。

椰子ノ木やほい(やしのき やほい)/プロフィール
アメリカ・ミシガン州在住。「海外在住メディア広場」運営・管理人。
日本を出てはじめて、あらゆる価値観と客観的に付き合う力がついてきたような気がしている。暮らしている環境により、物事のとらえ方や感じ方は大きく変わるものだと最近つくづく思う。Twitter
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