第6回(最終回)ロンドン同時多発テロ当日の記憶

2005年7月、あの年の夏は忘れられない。2012年度オリンピックの開催地がロンドンに決まり、お祭りムード一色になった日の翌日だ。
朝、ロンドン中心部の仕事先に向かう為、私はフラットを出て地下鉄の駅への道を歩き出した。が...
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2005年7月、あの年の夏は忘れられない。2012年度オリンピックの開催地がロンドンに決まり、お祭りムード一色になった日の翌日だ。

朝、ロンドン中心部の仕事先に向かう為、私はフラットを出て地下鉄の駅への道を歩き出した。が、なぜかその日はふと「今日はバスで行こう」と思いつき、バス停に向かった。

二階後方右側の窓際席でバスに揺られ、地下鉄エッジウェア・ロード駅の前を通り過ぎて信号に引っかかった時、前の座席の中年男性が後ろを振り返って駅の方角をきょろきょろと見渡した。目前にその男性の横顔があったので「鼻が高いな、中東系だな」と思ったのだが、何気なくその人の視線の先を追ってバスの外を見た。……ん? 地下道から数人の人が走って出てくる。その様子に何か奇妙な胸騒ぎがして「地下道で事故?」と脳裏をよぎったが、「まさかね」と思い直した。

その後、私がゾッとしたのは仕事先の人が「テロだ!」と知らせた時だった。「同時多発テロって、今ラジオで!」。その瞬間、勘でエッジウェア・ロード駅も狙われたんじゃないかと咄嗟に思った。

午後二時、仕事が終わり外へ数時間ぶりに出た私は、街の異様な雰囲気を感じた。通りには車は走っておらず、バスも皆無。地下鉄の駅はすべて施錠され、警官が地下道の入り口に立っている。通りは右往左往する大勢の通行人と、号外記事を手に声を上げる新聞売りの人。迷わず私は新聞を購入し、bomb(爆弾)とかmissing(行方不明者)という非日常を感じさせる単語や被害の出た駅リストにエッジウェア・ロード駅がやはりあることにドキドキしたまま、徒歩で一時間半ほどかけて帰宅した。

被害については報じられた通りなので詳細は述べない。この日は動揺して感覚が麻痺していたが、恐怖心は翌日からじわじわ来た。仕事は休めない、地下鉄は怖くて乗れない。バスで隣に中東系のターバンを巻いた人が座ったりすると、変なあぶら汗がだらだら出て、このオッサン自爆したらどうしよう、と恐怖の余りに心臓が締め付けられるような痛みを感じることもあった。(甚だ失礼とは思うが、当時の恐怖心は本当にこんなものだった)

暫くの間、これまでの人生で経験のない「テロの恐怖」という緊張感を感じた私。あの朝、テロ現場を通過する地下鉄ではなくバスにした思いつきは虫の知らせだったのだろうか。それよりずっと気になるのは、まだ速報が出る前、バスの中で私の前の席の男性が駅の方角を気にしていたのは何だったのかということだ。偶然? 地下にいた知人から連絡でも受けたのか? それとも、まさか……。あの日のことを思い出す度、同時に脳裏に浮かぶのはあの男性の横顔だったりする。

河野友見/プロフィール
広島市出身。ネタを求めて渡り鳥のようにあちこち飛び回る傾向がある。好物は中世・文学・ビール・アート・ユニオンジャック。
実は来春出産予定です。お腹の赤ちゃんとともに、連載最後まで走ってこられました。皆様、最後までお付き合い頂きありがとうございました! 最後の最後が少し重苦しいエピソードですが、私にとって忘れられない一日の出来事です。世界からテロという暴力が無くなりますように……!