第1回 プロ車いすレーサー・伊藤智也さん

 
 
「皆さんが応援してくれたおかげで取れたメダルやから、思う存分触ってください。でも、持って帰らんといてや!」。2008年、北京パラリンピックで金メダル、昨年のロンドンパラリンピックでは、3つの銀メダルを獲得した伊藤...
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講演会で触らせてもらった銀メダル。来場者らはメダルを首にかけたり写真を撮ったりと大喜びだった

「皆さんが応援してくれたおかげで取れたメダルやから、思う存分触ってください。でも、持って帰らんといてや!」。2008年、北京パラリンピックで金メダル、昨年のロンドンパラリンピックでは、3つの銀メダルを獲得した伊藤智也さん。昨年12月に大阪で行われた講演会では、開口一番「銀メダルを3つもらったけど、一つぐらい金メダルでもよかったんや!」と、笑いながら会場を和ませてくれた。

持ち前の明るさと真っ直ぐで飾らない性格。伊藤さんが話し始めると、その一言一言が、私たちの心をつかんで離さない。講演会場はあっという間に、笑いと感動の渦。言葉に宿る力は積み上げてきた努力の証だ。「健常者も障がい者も、経営者もアスリートも、色々経験してきたから」と様々なテーマで講演を続け、北海道から沖縄まで日本全国を飛び回る。人気の講演依頼は後を絶たず、ロンドンパラリンピックが終わってから、12月までわずか4日しか休みがなかったという。

親やサポートしてくれる人への感謝、これからの夢、福祉などについても話す伊藤さん

10代の頃は、やんちゃばかりして、20代では約200人を雇う企業の経営者になったが、働き盛りの34歳に、多発性硬化症という難病を発症。突然、両足の神経と左目の視力を失い、医者から余命3年と言われた。車いす生活になり、誰からも必要とされていないと気付いた時、悲しくて生きていても仕方がないと思った。

入院中のこと。「真夏の暑い日に、ボーッと車いすで日差しの中にいたら、一羽の鳥が私の影を利用して羽休めをしていることに気付いた。このまま腐ったら親が悲しむ。こんな私でも何かの役に立っていると気付いた」。

「地獄の中で励ましてくれた全ての人に、車いすレーサーとして世界の頂点に立つことで恩返しがしたい」と、一念発起。ハーフマラソンに初挑戦した。多くの人が1時間以内でゴールするのに、伊藤さんの最初の記録は2時間45分。だが「絶対、諦めへん」と、完走したことで新たな目標が生まれた。入院しながら毎日60キロを走り続け、次の大会では1位でゴールした。会場からの拍手に「男前は、やることが違いまっしゃろ!」と、おどけてみせたが、「どんなに長く続く冬でも、必ず春がくる。目標、希望を持ち続けることで夢をかなえることができる」と、身をもって証明した本物の男前だ。

「自分自身を諦めたらあかん。夢を持って前に進んでいる間は、必ず誰かの世話になり、誰かが力を貸してくれたはず。自分ひとりでやってきたわけではない。簡単に諦めたら、その人たちの人生も変えてしまう。夢を持つなら、腹をくくって持ってほしい」と話す。2005年には車いす陸上界で初めてプロ宣言し、「プロ」のアスリートとして自分自身に責任を課した。

伊藤さんは、「パラリンピックで金メダルをとること」を夢に掲げた時、金メダルのレプリカを購入し、「伊藤智也 世界新記録」と書いたという。「そのメダルが自分に刺激を与え、厳しい練習にも耐え、夢に向かって努力することができた。自分がこうなりたいと思ったら、夢はずっと側においておくことが大事」。その後、北京パラリンピックで、世界新記録を樹立、金メダルを獲得し夢を叶えた。そして、ロンドンパラリンピック。大会の3週間前、持病の「多発性硬化症」が悪化し、上半身の筋肉にも麻痺が広がった。医師からは「参加を諦め入院しないと、寝たきりになりかねない」と忠告されるも、ロンドン行きを決意。そして、「生きた証を刻むため」に走った200・400・800メートルで銀メダルを獲得したのだ。

同じ障害クラスの中では最高齢。ロンドンパラリンピックで銀メダルを獲得して「年寄りには年寄りの意地があると見せたかった」と笑顔をみせた Photo by 武田敏宏

「明日という日は奇跡。私の病気は夜に進行します。朝起きたら、目が見えなくなって、口が聞けなくなってしまうかもしれない。誰かに『ありがとう』と言い忘れたら、2時間かけて会いに行ってでも、今日中に言わないと一日が終わらない。明日があるか分からないから、今日を後悔をせず、前を向いて精一杯生きる。皆さんも精一杯生きてください。私も頑張ります」。伊藤さんの笑顔がはじけた。

800メートル決勝スタート寸前。大観衆の声援を浴びる伊藤さん Photo by 武田敏宏

伊藤さんが伝えたいことはたくさんある。「僕の話を聞いてやる気になったり、何かを諦めず、もう一回やってみようと思ってもらえれば」。競技生活を引退した伊藤さんは、これからも執筆活動と講演会で日本を飛び回る。

伊藤智也ホームページ

山下敦子/プロフィール
映画字幕編集職を経て現在はフリーランスライター。カナダ滞在歴約5年。大阪を拠点に活動し、時々海外逃亡。人物インタビューやコネタ、旅、終活など幅広いジャンルの記事をウェブや雑誌に執筆。映画、お笑いが好き。2012年に書き始めた落語台本では、上方落語協会佳作受賞。

2010年に取材したバンクーバーパラリンピックで、初めて選手の活躍を目の当たりにし「伝える」ことの大切さを痛感しました。日本では、なかなか放映されないパラリンピック競技ですが、こちらの連載では、皆さんに選手たちの声を届けていきたいと思います。