第1回 フンドシ締め直してキンコンイチバン!

久々に連載復活!させていただきます。
とはいうものの、わたしのことなど、知るわけもないほとんどの読者のために改めて自己紹介をすると、1961年生まれ、名古屋育ち。人並みに学校に行き会社勤めもしたけれど、特筆するほどの学歴...
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久々に連載復活!させていただきます。

とはいうものの、わたしのことなど、知るわけもないほとんどの読者のために改めて自己紹介をすると、1961年生まれ、名古屋育ち。人並みに学校に行き会社勤めもしたけれど、特筆するほどの学歴、職歴はない。22歳で結婚し退職。その後4人の子に恵まれ、子育てに没頭。ちょっとだけ風変わりなのは、長女が生まれてすぐ、田舎暮らしへの憧れが強かった夫の希望を受け入れて、過疎の山村に家を建 て12年間田舎生活を楽しんだこと。そして、長女が中学にあがるころ、夫が次は「南の島!」というので、97年には南太平洋の小国サモアに4年間住み、その後米国に。つまり、日本の都市部と田舎、エコな南の島暮らしと消費大国トップの米国暮らしといった対極にあるライフスタイルを経験。4人の子育てはその流れの中で体験してきた。

山村で田舎暮らし、南太平洋で南国暮らし、そして米国・ミシガン州の小さな町へ

とまぁ、謳う肩書きなどなにもないただのオバさん!ということがおわかりいただけただろう。特権として組織や上司のご機嫌を伺う必要も、失う権威もないということ。 お金や損得になびくことない、“ピュアなオバさん魂”だけが自慢だ。そして、「あなたは今幸せですか?」と問われれば、自信を持って「YES!」と答えられる。辛いことや嫌なこと、悲しかったことはもちろんたくさんあったし、これからもあると思うけれど、わたしはそれを不幸だとは思わないので「幸せでいられるオバさん」が見てきた、子育て、女性、夫婦、家庭、異文化のことなど……。しばしこの場をお借りして、振り返ってみたい。このような気持ちになったのは、やっとその時間と心のゆとりが生まれたからにほかならないわけだけど。

結婚する前から漠然と子どもは4人と決めていた。学歴もなく俗に言うデキる女でもないわたしの目指すところは、それこそ良妻賢母しかなかった。わたしの父母は良くも悪しくも“昭和”な人たちで、父は「頭のいい女はいかん」などと平気でのたまったし、母は、我慢が得意で、男にタテはつかないタイプの女性だ。その夫婦が育てた長女であったからして、外でバリバリ働く女性になるというよりは、結婚したら夫と足並み揃えて家庭を守ることが、わたしにとっての当たり前の生き方だった。

時代錯誤にもほどがあると笑われるかもしれないが、本当だから仕方がない。そっと告白すると、わたしは未だかつて、夫にゴミ出しなど頼んだことがない。それをすると、影で母に睨まれそうな気がして、できない体なのだ。たまに、自分がもっと頭のイイ女だったら別の人生を歩んでいたのではないか? とか、じゃあもっとアホだったらどうだっただろう? 特別な才能があったとしたら……などと想像することもある。お勉強ができること、博識なこと、生きるための賢さがあること、などは微妙にちがうよな~? などと思いめぐらすうちに、どんなに頭が良くても、悪くても、幸せに生きるためには、女性は優しく、誠実で、強いという基本をもとにした賢さを備えていなければ! と気づきはじめ、今さらながら賢さが足りなかった過去を反省することもある。

若いころはそんなこと考えることもなく、物理的忙しさに身悶えながら突っ走っていた。だからこそ、やってこられたともいえるけど、振り返ってみると、そのときどき、最良と思える選択をしてきたつもりでも、あの頃、もう少し賢ければもっとうまくことは運んでいたかなということは数限りない。人は誰でもそうなのかもしれない。夫婦や家族の歩みに、正解とか不正解があるのかどうかはわからないけれど、子育ても一段落し、現時点でいちおう円満なわたしが、良かったと思うことや、まずかったなという反省、不思議に思うこと、思い知ったことなど回想し記してみることは悪いことではないだろう。

ということでの「緊褌一番」ヨロシクです。

椰子ノ木やほい/プロフィール
あっという間に結婚生活30年。口の悪い夫は、わたしを“メデタイやつ”と呼ぶ。「メデタイやつにならざるをえないわたしにしたのはどこのどいつだ!」  と言い返したい気持ちがなくはないが、夫の暴言などもはや気にもならない、華のアラフィフという年回りも最近とても気に入っている。う~ん余裕だ!♪