第4回 ユルユル気分でワダカマリについて考える

16年ぶりに日本で咲き誇る桜を見た。というわけで、3月後半から一時帰国し今回はミシガンの風に吹かれることなく、日本からデトロイト行きの機上でこれを記している。

今回の帰国の目的はいくつかあった。5年ごとの誕生日にやって...
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16年ぶりに日本で咲き誇る桜を見た。というわけで、3月後半から一時帰国し今回はミシガンの風に吹かれることなく、日本からデトロイト行きの機上でこれを記している。

今回の帰国の目的はいくつかあった。5年ごとの誕生日にやってくる日本の運転免許の更新。ひざに持病を抱える義母が今年に入り歩けなくなり、人工関節を入れる手術をしたためリハビリ後の回復の様子の確認。そして、「もういちど台湾に行かないと死ねない」と言う母を台湾に連れて行くことだ。

帰国のたび、家族に会えることはうれしいが、いつも顔を合わせていない分、老いていく親たちを痛感することになる。もっとも、自分もその道に向かっているのだが……。

わたしの父は4年前に他界。義父母や母は、ときおり不調はあるものの健在だ。とはいうものの「できていたことができなくなる」を受け入れつつ歳を重ねている姿を目の当たりにすることとなる。これまでのように“そのうちにね”などとあれこれを先延ばしにしているとチャンスを逃がすことを予感し、このごろは“いまのうちにね”と即実行が大切と感じ始めている。

だからこそで、母を連れての台湾旅行を強行した。

母にとっては懐かしい台中の街。最後に訪ねてから十年近く経つ。

母にとって台湾は父との思い出がたっぷり詰まった地であり、息子が暮らしているところでもある。生前の父は、言葉もろくにわからないくせに、単身で台湾にわたり、日本に向けての家具製造販売業の道筋をつけ、台湾を拠点にビジネスを展開していた。当初は、後継ぎであるはずのわたしの弟も、父と二人三脚で同じ道を歩んでいたが、悲しいかな、なにかの行き違いから父子は対立、決裂した。長女とはいえ、自分の家庭を持ち海外で暮らしているわたしにはどんな確執があったのか、よくは知らなかった。

母が夫と息子との板ばさみとなりどれほど苦しんだかは痛いほどわかったが、長いあいだ、弟は消息すら不明だった。そんな哀しくも切ない時間を経た母にとって、台湾は父といっしょによく訪ねた特別の場所であり、今は息子が暮らす場所だ。幸い、父が亡くなってからは、音信不通だった弟とも連絡が取れるようになった。

そんなわけで、わたし自身も今回、実の弟と十ウン年ぶりの再会を果たす旅となった。今回は観光目的ではないので、弟が暮らす台中に直行。弟がお世話になっている台湾の家族とご対面。母は、弟の日頃の暮らしぶりを自分の目で確かめて心から安堵したようだった。

わたしにとっても久々の台湾!相変わらずおいしかった。

弟の台湾の家族といっしょにカラオケバーに繰り出した。驚くことに、台湾のカラオケバー、日本の歌はかなりそろっている。歌手なみに歌の上手かった父が生前よく歌っていた『みだれ髪』を、弟が母のために歌った。弟の歌唱力に、「さすが父の息子!」と聴き入っていたら、いろんな思いが交錯したのだろう。弟は嗚咽を漏らしはじめた。母も感極まり泣き出した。それを見ていたピュアな台湾の人々もみんなで貰い泣きというハプニングに見舞われたが、その光景をあっ気にとられて眺めながら「いまのうち」を強行してほんとうに良かったと胸をなでおろすわたしがいた。

母は「このまま死んでもいいぐらい幸せ」と言い、そこにいるみんなに感謝した。その言葉を聞き、日ごろ近くにいない親不孝の罪滅ぼしが少しだけできたような気がしつつ、人のわだかまりについて考えた。

弟に涙の理由は尋ねなかったが、時の流れと、自身の成長によりつかえが取れたのだろう。渦中にいるときには目の前のことにぷりぷり腹をたてたり、苦しんだりするものだ。でも、振り返るゆとりができたときには、不思議なものでそのときの全体をみわたすことができる。腹立たしいはずの相手の立場になることができたり、胸のうちを想像できたりして、あ~自分も未熟だったなと反省し、赦すことができたのではないかと想像した。

親になったり、歳をとったりすることで、人の心は成長を続けている。その成熟度は人によりちがうけれど、幸福度の高い人ほど、人の弱さや立場を思い遣り、赦すことが上手いような気がする。

誰かのせいで辛いめにあったり、苦しいめにあうことは生きていれば、誰にでもある。でも、だからといって、一生それを恨み憎み続けて幸せかといえば、そうではないだろう。辛い体験、苦い経験は消えなくとも、「困った人だけど、こんな良いところもあるな」と思える人ほど、幸せになる力は高いと思う。

いつもアメリカ、ミシガン州の片田舎でのんきに暮らしているわたしは、帰国するたび、日本の整然としたなかにある、ピリピリした感覚に戸惑うが、台湾の雑然としたなかに漂うユルユル感は妙に心地よかった。

椰子ノ木やほい/プロフィール
海外在住メディア広場の仲間で『親ががんだとわかったら』の著者はにわきみこさんが、以前、台湾にご両親を連れて親子旅をされたことがあった。わたしが母を台湾に連れて行こうと心に強く決めたのは、ご両親のにこにこ笑顔のお写真を拝見したときだった。くしくも、わたしが台湾滞在中に彼女のお父さまの訃報を知ることとなった。ご冥福をお祈りするとともに、決断させてくれてありがとうと伝えたい。また、地球丸にも寄稿して下さる台湾在住の作家、有川真由美さんとも台中にて再会を果たすことができ、有意義な旅となった。快く「行って来い」と見送ってくれた夫にも感謝。