第3回 ここはコソボケルホ?

「明日もまた来てくれる?」と聞かれて「はい」と答えたら、それはもう、一つの約束の成立。一見外国人母子向けの児童館という公共の施設でありながら、まるで優秀な営業マンが顧客から”YES”を取る技術も身につけているペルヘケルホ...
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「明日もまた来てくれる?」と聞かれて「はい」と答えたら、それはもう、一つの約束の成立。一見外国人母子向けの児童館という公共の施設でありながら、まるで優秀な営業マンが顧客から”YES”を取る技術も身につけているペルヘケルホの職員はただ者では無さそうだ。それがいよいよ実感させられたのは、連日の「明日もまた来てくれる?」にのせられて次男ともども通い続けた一週間後。

毎朝ケルホが始まる朝9時ピッタリに来て同じ肘掛け椅子に座り続ける寡黙なイラク人の次に部屋に入ってきた私は、メリヤとパウラに「どう、このケルホってどんな感じ?何かここでやりたいことや改善して欲しいことはある?」とフィードバックを求められた。こういう公務員らしからぬきめの細かさに感動した私は、すっかり心を開いて思っていたことを言ってみた。

「そうね、正直なところ、このケルホってコソボ人が多くてまるでコソボケルホみたいね。私は別に構わないけど、始終コソボ人同士で自分たちの母国語を話して、彼女達、フィンランド語が上手くならなくて困らないのかしら?」

さらに、数か月前に姑を亡くしたばかりだった私は、「ケルホでやってみたいこと」の一つとしてパウラとメリヤに「フィンランド料理のお料理教室」をリクエストした。そうでなくてももう高齢だった姑から夫が慣れ親しんできた味、子ども達に伝えるべき味を伝授してもらえず困っていたのだ。

ところでこのケルホで生まれて初めてお目にかかったコソボ人達を目の前に、何が「外国人らしい」と思ったかと言えば、フィンランド人ママでは珍しい、アイラインまでばっちりの濃いメイクや大振りのアクセサリーやセクシーでグラマラスなファッション。郷に入れば郷に従えなのか、単に手抜きが身についてしまったのか、毎日ジーンズにコットン素材のトップを身につけている私は、これらの違いからして彼女達との距離を感じる。

それでいて、在住8年というハズビエは長身でおしゃべりで、フィンランド語も仲間内で一番出来てしまうものだから私と同じく在住5年のシポニエとまだ在住3年目のミモザの通訳係も引き受けていた。そしてシポニエもミモザも実は僅かでもフィンランド語の心得があるというのに、エキスパートの前では恥ずかしいのか、そのなけなしのフィンランド語を引っ込めてしまう。それでやっとハズビエがいない日に、彼女たちともフィンランド語で少し話せるという具合だった。その様子は日本人同士でもありがちな光景である。私は彼女達に妙な親近感を持った。

しかし、それがこの「お料理教室」で、やっと少し馴染んできた彼女たちと私が火花を散らすことになる。その日パウラが教えてくれたのは、フィンランドの基本の焼き菓子である、カルダモンの香りがエキゾチックなPulla(プッラ)。生地はたっぷり出来上がり、あとは小さく丸めて成形するだけという段階で「こうやってテーブルに押しつけながら手のひらで転がすのよ」とパウラがお手本を見せると、ミモザは「私ならこう」と片手でくるくる丸めてしまった。「あら、そんなやり方もあるのね」とパウラが感嘆するとミモザとハズビエが「コソボ流よ」と得意げに鼻を鳴らす。

一方コソボ流はおろかフィンランド流でも生地がまとまらない私は、ついに日本式に両手で丸め始めた。するとミモザが眉をしかめて「シャチーコ、エイ(さちこ、ダメ)!」とダメ出し。しかも、そのあとアルバニア語で放った一言にコソボ人一同が手を打って笑っている。目が点の私にハズビエが「この調子じゃ明日までこねてる、だって」と通訳してくれた。私は金魚のように口をパクパクしながら立ち尽くし、頭の中で叫んだ。「笑いのセンスが辛すぎよ、あんた達!!」

自宅に戻る「どうだった、難民キャンプ?」とこれまたギャグセンスの辛い夫が出迎えた。何この不謹慎な、と思いながらも私が「コソボ人がね」とその日のプッラ事件を伝えると、夫は重ねて聞いた。「君、コソボってどの辺にあるどんな国だか知ってる?」自慢じゃないが地図なら弱い。そこで適当に「そうねぇ、ロシアの近く?」と答えたら、夫はかぶりを振り「本人達の前でそんなこと言ってみなよ、きっと袋叩きにあうよ」と言い残してキッチンを去った。私は寝室にあるパソコンの電源を入れた。「コソボ共和国」をWikiる。ここ数年フィンランドになじむことだけで精一杯だった私の新たなる異文化への好奇心が揺り起こされた。調べていくうちに私は――夫がギャグで言ったと思った「難民キャンプ」という言葉の意味の深さを知ることになる。

靴家さちこ/プロフィール
1974年生まれ。フィンランド在住ライター。青山学院大学文学部英米文学科を卒業後、米国系企業、フィンランド系企業を経て、結婚を機に2004年よりフィンランドへ移住。「marimekko(R) HAPPY 60th ANNIVERSARY!」「Love!北欧」「オルタナ」などの雑誌・ムックの他、「PUNTA」「WEBRONZA」などのWEBサイトにも多数寄稿。共著に『ニッポンの評判』『お手本の国のウソ』(新潮社)、『住んでみてわかった本当のフィンランド』(グラフ社)などがある。フィンランド直送のギフト店「ラヒヤパヤ(Lahjapaja)」を運営。